オカルト研のやつに吸血鬼にさせられた

手毬めあ

前編

 人生の転換期はいつかと聞かれたら、僕は必ずこの日を選ぶだろう。


 季節は夏。

 真っ青な空から太陽の熱光線が燦々と降り注いでいる。

 どこかのテレビ番組で、遠く離れた宇宙人が地球を滅ぼそうとしているせいだ何だと、いい歳こいた大人が真面目な顔で討論していたのを思い出す。

 あながち間違いじゃないのかもしれないな、と悟は渡り通路を歩きながら思った。


「もう一本打ち込んでこい!」


 と、どこからかそんな怒声。

 柔らかくて硬いもの同士がぶつかり合う激しい衝撃音が聞こえてくる。


 ばしん!ばしん!と耳朶を打つ。

 そちらを覗くと兜のような面をした生徒たちが、獣のような声を上げながら道場内で竹製の刀を流動的に振り回していた。


 俺みたいな貧弱者では一秒も持たないだろう。

 流石は剣道部。こんな炎天下の中お疲れ様です、と悟は心の中で手を合わせた。


 さて、目的の御方はどこにいるのだろう。

 さっさと手元のスポーツドリンクとおさらばしたいのだ。意外と重い。


「悟、来てくれたんだ」


 道場内を探るようにチラチラ見ていると、女子生徒が駆け寄ってきた。


「練習抜け出してきていいの?」


「ちょっとだけなら大丈夫、スポドリありがとね」


 幼馴染の蜜柑に、悟はスポーツドリンクを手渡した。

 蜜柑はガサツな手つきで袋から取り出してごくごくと飲み始める。

 炎天下も相まって相当な運動量だったらしく、一リットルペットボトルのはずなのにものの数秒で半分以下にまで減ってしまう。


 うちの高校の剣道部は強豪だ。

 全国大会には常連で、一位とまではいかないがそれなりの成績を残している。


 そんな場所で一年生ながら蜜柑はレギュラーを獲得している。

 幼馴染ながら凄いと思う。どこでこんな差がついたのやら。

 まあ、こうして喜んでもらえるのならパシリ冥利に尽きるというもので。


「なに見てんの、キモいんだけど」


「あ、お疲れ様です。すみません邪魔するつもりはなくてですね」


「え、え、あ、ごめんなさい!サボっているわけじゃ」


 蜜柑は振り返りながら頭を下げるという器用なことをしたが、数秒たって背後には誰もないことに気がついた。

 憤慨する蜜柑から悟は逃げるように立ち去るのだった。



 放課後の目的を済ませた悟は、帰宅しようと廊下を歩いていた。

 学校の中は外よりはマシだったがそれでも熱かった。

 こんな日は陽の届かない涼しい部屋でアイスとゲームを楽しむに限る。


「お、森山」


「どうしたんですか先生」


 廊下ですれ違ったのは担任の教師だった。

 なぜかちょっと気持ち悪い微笑みを浮かべている。ていうかかなりきつい。


「頼みたいことがあるんだが」


「嫌です。帰ってゲームしないといけないので帰らせてくださいお願いします」


「そんなこと言わずに頼むよ。今後三回分の授業でここ解けるやついるか〜のやつで森山を決して指名しないと約束するから!」


 そんなことを言われたら引き受けるしかない。

 教師の頼み事とは、ある部活へ提出資料の催促をして欲しいとのことだった。


 自分でやれよと思わなくもないが教師も忙しいのだろう。

 中々にブラックだと聞くし。


 そんなことを考えながら、悟はその頼まれた部室に辿り着く。

 部室の窓には遮光カーテンが取り付けられていて中が見えないようになっていた。


「ここがオカルト研究部か」


 教師から言われたオカルト研究部の活動場所はここらしい。

 何だかやけに雰囲気のあるところだと悟は思った。


 軽く近づいて教室内に耳をそば立てると、お経?のような声が途切れることなく聞こえてくる。ボソボソと言っていて上手く聞き取れない。


 入りたくねえ〜〜〜。


 でもここで帰るわけにはいかない。パシリはパシることを完遂してこそのパシリ。

 悟はオカルト研究部室の扉を開けた。


「失礼します。オカルト研究部の方はいらっしゃいますか?」


「うえ!?」


 教室内は真っ暗だった。

 校庭側の窓も遮光カーテンで覆っているせいだろう。

 目視での確認はできないが、声音からして女子生徒がいるようだった。


「あの〜、驚かせてすみません。提出してほしい資料があるみたいで」


「は、入ってきちゃダメ!早く扉を閉めて!」


 なぜそんなにも慌てているのだろう?

 もしや、光に当ててはいけない物があるとかだろうか。

 そうだとしたら、ノックもせずにとんでもないことをしてしまった。


「は、早く!」


 悟は慌てて廊下の扉を閉める。

 光と暗闇の境目が消えかける瞬間、悟以外のができるのを見た。


「うう、どう?間に合った?」


 パッと教室内が点灯する。元々いた女子生徒が電気を点けたようだった。

 暗がりで分からなかった教室の構造と、彼女の姿が目視できるようになる。


「間に合ったって、何がですか」


 一年生の階で彼女の姿は見たことがなかった。

 恐らく先輩だろうとアタリをつけて悟はそう訊ねる。


「君、身体に異変はある?」


 彼女は悟の質問に答える気はないようだった。

 というよりも、悟ではない何かに気を取られている様子であった。


「身体に異変、ですか。言われてみれば少し熱いような」


 いったい何だというのだろう。

 まさか、あの担任もこうなることを予想していた?

 だからあんなにも急に仕事をぶん投げてきたのではなかろうか。


 くそ、嵌められた。あのサボり魔教師。三回分じゃ済まされないぞ!


「ちょっと屈める?」


 気がつくと目の前に先輩が立っていた。

 何だか逆らってはいけない気がして悟は素直に屈む。

 身長の低いオカルト部員の彼女と、自然と視線が合うようになる。


「はあ見せて」


 はあ?


「なんですか?」


「だから、だって」


 突然彼女は無理やり悟の口内に指を突っ込んできた。

 今までの人生で経験のない気色悪さがゾゾと背筋を張っていくようだった。

 何なんだよこの人!?


「あ、あがっ」


「やっぱり」


 やっと指を出してくれた。

 先輩の細い指からぬらりと悟の唾液がアーチを作る。

 彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


「ごめんよ。君は吸血鬼になってしまったようだ」



「きゅ、吸血鬼?」


「そう。吸う血の鬼と書いて吸血鬼。ヴァンパイアとも言われる」


 そんな得意げに言われても。

 オカルト研究部の部員はみんなこんな感じなのかと悟は不安になる。


「それじゃあ、俺は帰りますね。書類の提出忘れないでください」


「ちょっと待って。信じてないでしょ」


「もちろん」


 あらゆる情報が氾濫している現代。

 オカルトを人のほうが少ない。


「ハッキリ言うね。オカルト研究部に欲しい人材かも。名前は?」


「一年の森山悟です。遠慮しておきます」


「私は二年の宮崎千佳。私はまだ誘ってもいないよ。オカ研に入りたいのかな?」


 予想通り一つ上の先輩だった。

 その割には大人気ない言動を繰り返している気がする。


「と、こんな冗談を言ってる場合じゃない。証拠を見せてあげる」


 宮崎先輩はスッと切り替えてスマホを取り出した。

 ケースの裏側には古新聞が切り取られたであろう紙片が挟まっている。


「ほら、笑って笑って」


「え、は、はい」ーーーパシャリ。


「きも・・・」


「人の笑顔はあんまり笑うものじゃないですよ」


 何をするかと思えば、写真をとられた。

 宮崎先輩は小さな指を懸命に動かして悟に画面を見せてくる。


「何ですかこれ。加工写真?」


「悟君のありのままを写しただけだよ」


 そう言われて悟は口内を指でまさぐる。

 すると上顎の歯が二本鋭く研磨されていることが判明した。

 これじゃあ歯というよりまるで獣の牙だ。それこそ吸血鬼のような。


「う、嘘ですよね?」


「嘘もなにも自分で確認したことでしょう」


 宮崎先輩は至って真面目な表情で語っている。

 まさか、本当に?


「な、治してください!」


「ムリい!」


「ええええ!?」


 焦る悟の一方で宮崎先輩は落ち着いて床にあった本を拾う。


「吸血鬼を呼ぶ方法はこの本に書いてあったから分かるけど、吸血鬼になってしまった人間を治す方法は分からないんだ」


「そ、その本はなんですか?」


「これはくまざわ書店で買った税込み1500円のオカルト本。まさか本物だとは」


「せめて古本屋とかで買ってくださいよ」


 などと冗談を言っている場合じゃなかった。

 治す方法を見つけないと、一生を吸血鬼のまま過ごすことになる。

 それだけは嫌だ。

 吸血鬼を呼ぶ方法があるのだから、きっと治す方法もあるはずだろう。

 悲観している暇はなかった。


「先輩、俺と一緒に吸血鬼の治し方を探してくれないでしょうか」


 元はと言えば、勝手に扉を開けてしまったこちらに過失がある。

 ノックをするだけで変わる人生もあるようだ。


「いいよ」


 宮崎先輩は思ったより軽くOKを出してくれた。


「吸血鬼召喚中とでも張り紙をしておかなかった私の責任でもあるからね」


 そうして宮崎先輩との吸血鬼の治療法を探す日々が始まった。



 翌日の放課後。

 早速オカルト研究部室に集まって吸血鬼の本を机に広げた。


「昨日本屋に行って買ってきたよ」


「ありがとうございます。俺も何冊か見繕ってきました。そういえば勝手に部室使わせてもらってますけど他のオカ研部員は?」


 どうやらオカルト研究部はほぼ幽霊部員で構成されているらしい。

 まともに活動しているのは宮崎先輩くらいだとか。

 それなら心置きなく使わせてもらえる。


「まずはお互いに情報収集をしましょう。有力な情報があったら教えてください」


 そう言ってから数分後に宮崎先輩が声をあげた。


「早速あったよ」


「本当ですか。試してみましょう」


「どうやら吸血鬼の苦手なことをするのがいいらしい。そうすることで体内の吸血鬼成分が徐々に抜け出していくみたい」


「そんなアルコール抜くようなテンションなんですね」


 とはいえ、馬鹿にはできない。

 なにせ先輩が買ったものは本物だったのだから・・・


「吸血鬼の弱点は日光だけど」


「今日は快晴でしたけど全然平気でしたね」


「そう・・・なら次からが本番だ」


 まずはド定番のニンニクから始めることにする。

「にんにく買ってきた。丸ごと食べてみて」

「腹壊しますよ」


 次は十字架。

 吸血鬼は十字架を見ると自責の念に駆られるという。

「どう?なんか思うところはある?」

「成り立てだからよくわからないです」


 銀。

「ゆっくりね。火傷するらしいから」

「ホッカイロみたいで暖かい」


 etc・・・


 色々なものを試したものの特に効果はないようだった。

 加えて悟は人間よりの吸血鬼なのか、弱点と呼べる弱点が無かった。


 最初の本は失敗だと二人はそう思った。

 また、こんなにも早く吸血鬼の治療法が見つかるのだから、案外早く人間に戻れるのではないかという希望が悟には渦巻いていた。


 だが、そんな簡単に上手くいくことは無かった。

 あれから一週間が経過しても最初の本を超えられないというのが現状だった。


 すっかり部員のような面構えになった悟がオカルト研究部に足を運ぶ。

 部室にはこれまたいつも通りに宮崎先輩がいる。


「何を読んでるんですか?」


「童話だよ。オカルト本以外にもヒントは転がっているかもしれない」


 なるほどと悟は感じた。

 たしかにオカルト本だけだと思って視野を狭めていたかもしれない。


 それに、何だか妙な気分になった。

 童話に登場する存在と変わらないってのはどうにも不思議な感覚だ。


「あの、すみません」


 ふと、オカルト研究部室の扉がノックされた。

 ここ一週間で悟と宮崎先輩以外の生徒がここを訪れたことはない。


 誰だろうと首を捻りつつ廊下に出るとこれまた見覚えのある顔だった。


「蜜柑、どうしてここに」


「こっちの台詞だよ。ここ最近ずっとここに来てるらしいじゃん。オカルト研究部に入部したの?興味なんかあったっけ?」


 蜜柑が矢継ぎ早にそう訊ねてくる。


「しかも全く剣道部には顔出してくれないし・・・」


「悪い。でもちょっとやらなきゃいけないことがあるんだ。それに蜜柑も大会があるんだろ?蜜柑なら絶対に全国行けるだろうから、頑張って」


 そう言うと蜜柑は微妙な顔をして行ってしまった。

 言葉選びを間違ってしまっただろうか。悟は純粋に蜜柑を応援したかった。

 部室内に戻ると宮崎先輩がにやにやと口角を上げている。


「いまのが?」


「揶揄わないでくださいよ」


 一週間もあれば色々な会話ができる。

 ましてや先輩なら尚更だ。疲れた勢いで、悟は想い人の話をしてしまった。


「告白はしないのかい?」


「多分向こうは俺のことをただの幼馴染だと思ってますし、それに吸血鬼になってしまったんです。告白どころじゃないですよ」


「なら吸血鬼が治ったら告白するの?」


「まあ・・・そのつもりではいます。いつまでもウダウダしている場合じゃないし」


 悟ははあと溜息をついた。


「先輩は好きな人とかいないんですか?」


「だから言っているでしょ。私は二次元(オカルト)以外はお断り。もちろん半人間みたいな森山君も論外かな」


「論外て。傷つくなあ」







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