第51話:嵐の予感


 結果として緑王国とエリオン王国の会談はつつがなく終わり、概ね予定通りに事が進んだ。


 その代わりではないけども、僕はというと激務に追われることになる。


 コボルト族受け入れの為の、各部署への説明と調整。

 アルマ王国の侵略に対する国内の有力貴族への協力要請。

 武器や物資の調達。


 何より――


「ウル王子、この〝デラヒネ羊肉専門店〟とやらに今日は行こう。本来エルフはハーフエルフと違って菜食主義なのだが、まあ郷に入ったら郷に従えと言うしね」

「昨日も別の店でさんざんステーキを食べてましたよね!?」

「一日経てば腹は空くじゃない」

「それはそうですが……」


 完全に観光気分のフュゾルカの対応に僕は忙殺されていた。


 国賓なので仕方ないにしても、どこで調べたのかやたらとマイナーなお店……しかも肉系を中心とした飲食店を希望されるので、お忍びで行くことに毎度付き合わされていた。


 ラマゼル卿も護衛として毎回付いてくるのだけども、彼は彼でこんな下々の食事など口にできるか、という顔をしながら毎回完食している。


「それで? コボルトの移送は順調なの?」


 香辛料をまぶした羊肉を串焼にした、エリオンの名物料理にかぶりつきながらフュゾルカがそんな事を聞いてくる。


「ええ、おかげさまで。竜車のおかげで混乱もなく進んでいます」


 コボルト達については、ナナルカとザフラスの主導の下、順番にイスカ村へと移動してもらっている。


 今のところ大きな問題はないが、予想以上にコボルトの人数が増えたために、イスカ村では急ピッチで住居や施設を建造中だ。


 この辺りはイスカ村に駐在しているウォリスが上手く指揮してくれているようだ。


「そのイスカ村とやらも、対アルマ王国の手札の一つなのでしょ?」

「ええ、まあ。今後ナナルカと詳細を詰めますが」


 アルマ王国がヴァーゼアル領を攻めてくるのはほぼ確定事項と言っていい。

 アイナとリッカの協力の下、氷狼族ジーヴルの中から数人を諜報員としてアルマ王国へと潜入させているのだけども、やはり北側の国境線近くで不穏な動きがあるという。


 間違いなく、ヴァーゼアル領侵略の為の動きだろう。


「しかし王樹様。いつまでこの国に居らっしゃるおつもりですか」


 ラマゼル卿がしっかり羊串を全て平らげて、何食わぬ顔でフュゾルカへとそう問うた。


 ……口の周りに香辛料ついてるけど、指摘しない方がいいかな?


「いつまで? そりゃあ火の封印の儀式の準備が終わるまでだよ」

「それがどれほどかと聞きたいのです」

「そりゃあ――? ね、ウル王子」

「あはは……そうですね」  


 その言葉の真意について分かっているだけでに、そうまっすぐに聞かれると大変困る。


「はあ……。私としては戦場になると分かっている場所に、御身があること自体が許しがたいことなのですが」

「だったら戦場にならないように動いてよ」


 フュゾルカは簡単に言うけど、それはつまりこれまで他国の行動には一切口出ししなかった緑王国に、アルマ王国へ圧を掛けろと言っているのと同じだ。


 流石にそこまでしてくれるとは思えないのだけども――


「やってますよ、既に」

「……そ、そうなんですか?」


 思わず僕はそう問い返してしまう。


「エリオン王国の為ではありませんよ、言っておきますが。あくまで王樹様の安全を慮った結果です」

「は、はあ」

「とか言いつつ、結構この国のことを気に入っているのではないかい、ラマゼル君?」


 フュゾルカがニヤニヤしながら、ラマゼル卿を見つめる。


「そんなことは断じてあり得ません」

「口の端に香辛料つけた男の言うことは違うね」

「っ!」


 慌てて口を拭うラマゼル卿を見て、何となく親近感を抱いてしまう。実際のところこの国についてどう思っているかは分からないけども、少なくとも料理は気に入っているようだ。


「ただね、いくらうちが外交したところでアルマ王国は止まらないと思うよ。なんせ奴らの目的は〝火〟だ。あの国を裏から操るあの性悪クソ悪魔なら、何を犠牲にしてでも手に入れようとするはずだ」


 フュゾルカの言葉を聞いて、僕はずっと抱いていた疑問を口にした。


「その悪魔って何者なんですか?」

「……話すと長くなるし、〝じゅ〟も詳しくは知らないのだけども……元々は古い神だと聞いたことがある。奴は神としての異能をいくつも持ちあわせていて、それを人に与えることができるとか」

「ああ……呪いってやつですね」


 その辺りについてはアイナから聞いている。ただ、アイナはアイナで悪魔のこととなると、途端に口が重くなり、あまり詳細を話したがらない。


 いずれはじっくりと聞きたいところだけども、前提知識はある程度持っていた方がいいだろう。


「呪いか、言い得て妙だね。いずれにせよ、奴は〝火〟を恐れるが故に〝火〟を求めている。因果な奴だよ、ほんと」

「なぜ悪魔は〝火〟を恐れるのですか」


 僕がそう尋ねると――フュゾルカはゾッとするほど気味の悪い笑みを浮かべ、食べ終わった串を自分の首へと突きつけた。


「そりゃあ〝火〟が――この世界で唯一、自分を殺し得るものだからだよ」

「……なるほど」


 そうとしか、僕は応えられなかった。


 この世界で唯一自分を殺し得るもの。

 だから必死になる。なりふり構わずに奪いに来る。


 それはアイナと初めて出会い、そして取引した時のことを思い出させるに十分な話だった。


 そういえばアイナとはこれからの事をどうするかについてまだ話せていなかったな。


「そうそう、これは忠告だが……獅子身中の虫には気を付けたまえよ、ウル王子」

「というと?」

「敵の諜報員を手懐けたことは評価するが、敵に成り下がる味方もでてくるというお話さ」

「ええ、分かっています」


 ああ、きっとレヴンのことだろう。

 アイナによると、貴族達を扇動して何やら怪しい動きをしているそうだ。


 彼らがアルマ王国と連動して、何か仕掛けてくるかもしれない。


 でも何よりも僕が考えるべきことは――、という可能性だ。


 その可能性がゼロだとは到底思えない。

 そうなると彼女がまだ敵側であると想定して動く必要が出てくる。


「よく考えることだね」

「一度、話してみます」

「そうするといい。舌は何よりの武器だ。上手く使うといい」 


 そんな助言を得て、その日の夜を終えた。


 王城の自室へと戻った僕を、まるで全てお見通しとばかりに――アイナが待ち構えていた。


「やあ、ウル王子。今日は良い夜だね」


 彼女は窓際に腰掛け、夜空を見上げていた。

 そこに浮かぶのは満月ではない中途半端な形の月。


「ああ、そうだねアイナ。良い夜だ」


 僕は彼女に答えながら、ゆっくりと近付く。


「少し話がある」

「だろうね」


 僕はさて、どんな言葉が出てくるかを予想しながら彼女を見つめた。


「一度アルマ王国に、悪魔の下に戻ろうと思う」


 彼女は視線を月から僕へと移した。その顔は真剣そのものだ。


「それは、そういう意味だと思っていいのかな?」

「好きに受けとってくれて構わない。ただ、今はそうした方がいいと判断した。エリオン国内の不穏分子やレヴンの動きについては、まとめてある」

 

 アイナが僕の執務机の上を指差した。そこには分厚い紙の束が置かれてある。


「助かるよ。」

「おそらく反乱が起こる。アルマ王国の侵略と同時にするつもりだろう」

「はあ……やめてほしいなあ」

「苦労するねえ、羊の王子様は」


 アイナがカラカラと笑う。


「それでなぜこのタイミングで?」


 僕がそう核心に迫る。なぜ、今アルマ王国に戻るのか。


「今じゃないと、もう戻れないからだよ。今なら、〝裏切ったフリをしてエリオン王国の内情を探っていた〟という言い訳が一応立つ」

「つまり、エリオン王国側についたままで戻るってこと?」

「そういうこと。信じるかどうかは、あんた次第だ」


 どうせ信じてくれないだろうがね、と言わんばかりの言葉に僕は思わず笑ってしまう。


「信じるよ、とは言わないし、実は最初からずっとアルマ王国側だと言われても驚かないつもりではいるけども。でも、そうだったらちょっと寂しいかなあ」

「あはは、ズルいね、そういう言い方」


 アイナが窓際から離れ、僕に近付いてくる。


「あんたなら、あたしを殺せる。あの悪魔を殺せる。そうあたしは信じてる」

「銃は僕じゃなくても使えるよ。悪魔を殺したいと言うなら、一丁持っていけばいいし、その後に自分の頭を撃ち抜けばいい。そうする機会はあったと思うけど」

「冷たいことを言う」


 アイナがあと一歩のところで、足を止めた。


「ウル王子。あんたとの契約はまだ切れていない。言ったろ、〝全部あんたにやるよ、あたしも、あたしの呪いも全て〟って。それが終わるまで、あたしは味方だ」

「その言葉だけは信じるよ」

「うん。だから、行ってくる」

「ああ、いってらっしゃい」


 僕がそう言うと同時に、アイナが僕へと顔を近付けてきた。


「これは――リッカには内緒にしといて」


 そんな言葉とともに、彼女が僕の額にキスすると、さっと体を離した。


「なんだいその顔は。もしかして何か期待していたのかい」


 意地悪な笑みを浮かべるアイナを見て、僕はきっとムスッとした顔になっていただろう。


「……べつに」

「流石に本妻より先にするのは気が引けるからね。それじゃあ、また会おう」


 そんな言葉と共に――アイナが去っていったのだった。


「なんで、リッカとまだキスすらしていないことを知っているんだよ……」


 そんなどうでもいいことが、気になってしまう僕だった。


 こうしてアイナは僕の下を去った。

 執務机の上に彼女が残したものを見て、僕は思う。


 ああ……嵐がやってくるぞ、と。


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