第45話:緑の波濤


 緑王国との国境線の北。


『集まるな! 散開して進め!』


 殿を務めるザフラスが逃げ惑うコボルト達へとそう叫びながら、再び突撃を行おうとするアルマ王国軍の騎馬隊へと向けて盾を掲げた。


『また来るぞ!』


 槍を構え、隊列を乱さずに加速していく騎馬隊を睨み付けるも、既に限界はとっくに超えていた。


 必死にここまで逃げてきたが……あの氷狼族ジーヴルの娘の身振り手振りによる指示に従って大きく東へと迂回したせいで、ついに追撃してきていた騎馬隊に追い付かれてしまった。


 それ指示自体に不満はない。もしあのまま南下していたら、流星雨の如き砲弾の嵐へと飛び込む羽目になっていたからだ。そうなれば、間違いなく全滅していただろう。


 とはいえ騎馬隊の追撃は苛烈であり、いくら鱗があって頑丈なコボルトでも背後から騎兵による突撃をまともに受ければ流石に無事ではすまない。


 既に体はボロボロで、立っているだけでも奇跡に近い。


 幸いというべきか、自分達が囮になっている間に大多数の同胞達は森の中へと逃げ込めていることぐらいだろうか。


『あと少しだと言うのに……遠いな』


 目の前にはまるで津波のように押し寄せる騎馬隊。その背後には別の部隊。

 おそらく騎馬隊は突撃後に別部隊と合わせてこちらを包囲するつもりだろう。


 もはやここまでか。あとはあの王子とナナルカ様に任せるしかない。


『クソが……』


 そうザフラスが吐き捨てた時、迫る騎馬隊に異変が起こる。

 なぜか騎馬隊の右翼の隊列が崩れつつあった。


 見れば颶風ぐふうの如く騎馬隊の右翼を抉っているのは、二騎のヴォルルク兵――リッカ達だった。


 リッカは血塗れになりながらも笑みを浮かべ、右手に持っていた刃の欠けた斧を捨てて、鞍に差していた武器を抜き、構えた。


「構うな、突――」


 騎馬隊の隊長がそう叫ぼうとした瞬間、騎馬隊が疾走する音も掻き消す程の銃声が響く。


 リッカが構えたリボルビングライフル――〝六華〟から放たれた銃弾があっけなく騎馬隊の隊長の頭を吹っ飛ばした。


「た、隊長!?」


 その謎の攻撃で兵達に動揺が広がる。何よりも砲撃音には慣らされている軍馬達も間近で生じたその音によって、その足並みを乱してしまう。


 騎馬隊による突撃、いわゆる抜剣突撃は部隊が一糸乱れずに突撃することで最大の効果が得られる。


 逆を言えば、その足並みが揃わないと威力は半減してしまうのだ。


 だからこそ右翼へと攻撃および突撃時の先導役となる隊長の撃破、何よりも銃声による軍馬への動揺によって、その突撃の効果は半減。


『右翼が薄いぞ! 耐えろ!』


 それをすぐに気取ったザフラスは、崩れつつある右翼側へと移動するように指示。騎馬隊を横からズタズタに引き裂いたリッカとツァラが、なんとか突撃を耐えたザフラス達と合流する。


「生きてるみたいだな、ザフラス」

『助かった』


 お互い言葉が分からないのに、なぜか話が通じている。

 だがザフラスには、なぜ彼女達がここに留まったのかが分からなかった。


 相手の突撃は失敗したとはいえ全滅したわけではない。背後へと抜けた先で、生き残った騎馬兵が再び集合し、こちらを包囲するべく展開しつつある。


 前方には別の騎馬隊。


 本来なら彼女達はあのまま走り去り、奇襲すると思わせて相手に警戒させるように動くのが最適解のはずだ。


『なぜ、留まる。我らのことなら捨て置け』

「流石にもう限界だな。たった二騎で遅滞行為とやらを色々としてみたり、観測隊を潰したりと少々無茶をしすぎた」


 見ればリッカ達も、彼女達が騎乗しているヴォルクも少なからず怪我しており、とくにヴォルクは歩くのもやっとという有様だった。


「これ以上走るのは無理か。ならばここで耐えるしかない」

『ここはもはや死地。我らを囮に森へと逃げろ!』


 ザフラスがそう叫ぶも、リッカ達に逃げる気配はない。

 むしろその顔には笑みが浮かんでいた。


「さあ面白くなってきたな。ツァラ、まだいけるな」

「ん、いける。でも正直もう逃げたい」

「あはは、それは私も同じだよ」 


 リッカが笑いながら腰の剣を抜いた。


 一か八かで〝氷獣化ディヴォルヴ〟を使う手もあるが、例え目の前の敵を全滅させたところで、後ろには大軍が控えているし、そもそも機動力があり範囲外へと逃げられる騎馬兵相手には相性が悪い。


 そして動けなくなった自分を見捨てて、この部下とザフラスが逃げるとは思えなかった。


 ならば――ここで供に戦い、最期まで足掻こう。


氷狼族ジーヴルは絶望しない。

 神は祈るものであって、縋るものではない。

 

 幼い頃からそう教えられてきたリッカだったが、なぜかこの時だけは、とある男の顔が浮かんだ。


 少年から青年へとなりつつある優しげな顔。

 時折見せる、老練したような、賢者のような言動。

 なにか超然的なものを、何か秘密めいたものを宿す瞳。


 彼ならあるいは……どうにかしてくれるのではないか――そう考えてしまうのだ。


「……私も焼きが回ったか。あいつにどこか期待してしまっている」

「王子、交渉できたかな」

「さてな。だがきっと……


 根拠もなくそう断言するリッカの前方で、騎馬隊が整列する。綺麗に揃えられた槍の穂先は、巨大な獣の顎に並ぶ牙のようだ。


 リッカ達とザフラス達が円陣を組むも、もはや次の突撃に耐えられるものではない。


「皆殺しにしろ! 突撃!」


 そんな号令と共に駆け出そうとする騎馬隊。


『ここまでか……』


 もはや生存を諦めていたザフラスだったが、国境線側……つまり森のある方へと向いていた彼が、そこで妙な違和感に気付く。

 

 森の木々がやけに揺れているし、そもそも――国境線はこんなに近かったか?


 そう思った瞬間。


「うわあああああ!」

「な、なんだ!」

「た、助け――」


 国境線側にいた騎兵達が――


『は?』


 ザフラスが思わずあっけに取られるのも仕方がなかった。


 なぜなら森が動いていたからだ。


 騎馬隊の突撃ではないが、それこそ波のようにと表現できるような勢いで森がこちらへと迫ってきており、騎兵達を飲み込んでいく。


 その際に枝や根がまるで槍のように騎兵達を馬ごと突き刺したのが見えた。


 森の勢いは止まらない。


「……なにあれ」

「あははは!、よし、あっちに逃げるぞ!」


 振り返った先のその光景を見て、リッカが笑いながら緑の波濤へと走りはじめた。


「団長!?」

『くそ、本当に大丈夫なのか!?』


 その行動の意味が分からずとも、気付けばツァラもザフラスもリッカへと続く。その背中に、確信が見えたからだ。


 騎馬兵を蹂躙した森が――リッカ達を飲み込んだ。

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