第43話:樹王
やはりその森は異常だった。
むせかえるような苔類の匂い。蒸し暑い空気。
不気味な鳥の声、虫の羽音。
知識としては知っていても、その急な環境の変化に戸惑いを隠せない。
エリオン王国とアルマ王国の気候は前世でいう大陸性気候に近く、夏と冬の気温差が大きく、湿度は比較的低い。降雨量は少ないわけではないが、少なくともこんな熱帯雨林ができるような気候では決してない。
つまり、この森に尋常ではない力が働いていることに他ならないのだ。
「暑いな……嫌な感じだ」
気温の高さと何よりもへばりつくような湿気の不快感に、アイナが上着を脱ごうとするので僕はそれを止める。
「下手な動きはしない方がいいよ。もう僕らは見られている」
森が――ざわめく。
それは決して比喩表現ではない。
〝異邦より来たる人の足音、我が林間に響く〟
〝炎を抱え、焚きつける舞踏者が種子か〟
〝殺戮の欲望、我が聖なる樹に挑む者よ〟
〝我が手に持つは生命の詩。鋭き刃を以て、新たなる命の誕生を告げん〟
「木が……喋ってやがる。言っている意味はさっぱり分からんが」
アイナが苦々しい表情で、端的に目の前の情景を表現してくれた。
「訳すとそうだなあ……こんな感じかな――」
〝誰か来たぞ〟
〝ドワールの末裔か〟
〝殺せ〟
〝殺して肥料にしよう〟
ってところか。
「ずいぶんとまあ、迂遠で婉曲した表現だな」
アイナが呆れたような声を出す。
「それがエルフの時代から続く彼らのやり方だよ」
ハーフエルフ達は詩的……というより、前世風に言えば〝中二病〟的な言い回しを好むという設定だ。
「例えば、〝汝の在りし日、我が心に微笑みをもたらさず。然れども、死に至る哀歌を奏でむ。自然の腕に抱かれ、葉の影の中へと散りゆくがよい〟を訳すると……」
「訳すると?」
「〝お前嫌い、死ね〟ってなる」
「例えが酷すぎるし、そうならそう言え!」
アイナのツッコミは、ゲームしながら僕が何度も思ったものと全く同じで笑ってしまう。
ただ残念ながら、笑っている状況ではなかった。
ざわめく木々から殺気を感じる。多分このまま何もしなければ、僕らは森の養分となるだろう。
そうさせない為に、僕はいる。
『――我が身は宙に煌めく炎の舞者。空から降り注ぐ熱き血を受け継ぎ、貴樹の枝へと止まり、身を委ねん。我が一族は燃え盛る焰の流れを背負い、歴史の樹の根元に足を踏み入れんと欲している』
口から流れ出るは、
僕の言葉のあとに訪れた沈黙。
あれ……まさか間違えた? だとしたらめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?
そう不安に思った矢先に――少女の声が森に響き渡る。
『――〝
その言葉と同時に、木々がひとりでに動き始めた。
まるで白昼夢のような光景に僕らが圧倒されていると、木々はやがて左右に整列し、目の前に道が出来上がる。
「まさかウル様は
ナナルカの疑問に対し、僕が答えた。
「……分からない。いずれにせよ、こっちに来いってことだろうさ」
そうして僕達はまるで柱のように、あるいは兵士のように並ぶ木々の間を抜けていく。
それは玉座への、あるいは死刑台への道なのかもしれない。
だけども、もはや引き返すという選択肢はなかった。
そうしてついに……辿り付く。
「これが……樹王ですか」
「……想像以上ダ」
ナナルカとキケルファの顔には少しだけ怯えが混じっている。
「噂には聞いていたが……こりゃあうちの悪魔にも引けを取らない――バケモノだな」
アイナがそう言って、目の前にある木……と表現するしかない存在を見て、呆れたような表情を浮かべた。
その根元からはまるで地獄の亡者の群れのようなものが這い出ていて、それが幹を支えるように纏わり付いている。
よく見ればその亡者の全てがエルフであり、無数のエルフの集合体がその木に縋っているように錯覚してしまう。
木の幹は赤黒く染まっていて、血管のようなものが走り、気味悪く脈動していた。
その木の幹の中央から――少女の上半身が生えていた。その顔は可愛らしく、エルフの特徴である尖り耳を有しているが、本来なら目があるはずの眼孔には何もなく、ただ深い闇が覗いている。
まるで木が、エルフに寄生されたような――そんな印象を受ける、あまりに悪趣味な見た目。
これこそが……長命でありながら更なる永遠を得るために聖樹と一体化した、ラ・ユルカ緑王国の建国者にして、古代から今に生き続ける怪物。
「彼女が、現代に残る唯一の純エルフにしてこの森を統べる樹王……〝宿種のフュゾルカ〟だ」
そんな僕の言葉をまるで理解しているかのように――幹に埋め込まれた少女が笑みを浮かべたのだった。
相手がとんでもないバケモノだろうが関係ない。
さあ、交渉を始めようじゃないか。
*次話更新日*
3/17(18時予定)
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