第42話:ミュレエフィール叡樹林
それはまさに流星雨の如く――と表現するに相応しい光景だった。
歪で巨大な砲弾の群れが僕達の後方、北の方角へと降り注ぐ。
離れているここにすら届く大轟音、大地の振動。
『ああ……なんて嫌な音なのでしょうか』
ナナルカが思わず
それでも彼女はその歩みを止めない。僕も後ろは振り返えらない。
もう目の前には緑王国との国境となっている森が広がっている。
早く、あそこに逃げ込まないと。
『ウル、本当にこれで良かったのか? 俺達の同胞が……』
僕の横を行くキケルファが思わずそんな疑問を口にしてしまう。その気持ちは痛いほど分かる。
撤退戦というのは往々にしてそう感じるものなのかもしれない。
もし撤退していなければ、あの場で抵抗していればもっとマシな状況だったのではないか? そう思ってしまうのだ。
それでも僕はこれが最善だったと言い張るしかない。
『あのままあの村に籠城していとしたら、砲撃で全滅してるよ。少しでも多くの者が生き残れる方法はこれしかなかったと思う。それにリッカとツァラが動いてくれているはずだ』
なぜあの砲兵部隊があんな位置にいたのかは分からない。だけども
逃げ場のない場所であの砲撃を受けることを想像するだけで、背筋が寒くなる。
それを察したのか、キケルファが小さく頷いた。
『……そうだな。悪かった、聞かなかったことにしてくれ』
『結局、地獄から地獄へと逃げているだけかもしれないけどね』
まるで生きているかのように蠢く目の前の森を見て、そう自嘲気味に言葉を返す。
後ろは砲弾の雨。だけども前方もまた死地であることを知っている。
でもそこに活路を見出すしかないのだ。
死と影が垣間見える、その古き森に。
『あれが……ミュレエフィール
ナナルカが少し怯えを含ませた声で確認するように聞いてきた。まるでそうでなければいいのに、と言わんばかりだ。
『そうだね。旧時代からその姿を変えていない、大陸北部最大の密林にして、〝樹王〟が住まう王の庭でもある』
これから足を踏み入れる緑王国――正式名称〝ラ・ユルカ緑王国〟は、外交相手としてはかなり厄介な相手だ。
王国と名は付いていて、樹王と呼ばれる緑王国全国民が崇める象徴的存在がいるのだが……その樹王本人は全く緑王国の政治には携わっておらず、全て摂政に任せているという。
なので基本的に緑王国との外交となると、この摂政及びその下の外交官との交渉になるのだけども……父が送った外交のための場を開いて欲しいという書状には、〝来るのは勝手だが、会う保証はない〟という意志がはっきりと込められていた。
つまり外交という面では、既に成功する可能性は限り無く低いのだけども――
『本来ならここを通らず、西へと大きく迂回して緑王国首都であるリ・リズンヘと向かう……が正道なんだけども……』
『そうはしないのですよね?』
ナナルカの言葉に僕は頷く。
『その通り。だからアルマ王国軍もまさか僕らがここへ逃げ込むとは思っていないだろうさ』
だからこその撤退先であり、少しでもアルマ王国軍の目を眩ませられればいいのだけども。
『仮に無事リ・リズンへ辿り着けたところで、緑王国が話を聞いてくれない。〝外交の場を設ける否かを決める会議を、行うか否かを今から会議に掛ける〟なんて言われて、数年待たされるのがオチだろうね』
議会において決定権を持ち、緑王国の国民の六割を占めるハーフエルフ。彼らは人の血が混じってはいるが、いわゆる長命種で分類される種族である。
その寿命は個体差はあれど約二百年ほどで、そのせいかは分からないけども、時間の感覚が僕らとは少し違う。
ゆえにあらゆる決定が遅く、魔法に頼る前時代的な生活を今もなお続けているのはその一端だ。
『だからこそ――樹王と直接交渉する』
それがおそらく、この局面を乗り切れる唯一の方法だろう。
『しかし可能なのか……樹王はただですら難解な
キケルファの心配も当然だ。交渉というのは様々な意味で、〝話が通じない相手〟、とは成立しない。
『問題ないよ』
そう僕が断言する。僕の特性である〝
『……ふふふ、流石です』
僕の自信ありげな言葉を聞いてナナルカが小さく笑った。
すると後方からアイナが、どこからか調達したのか馬に乗ってやってくる。
彼女には後方の様子を探ってくるようにいったのだけども、その顔から、彼女がもたらしてくれるのが朗報なのか凶報なのかまでは判断できない。
「ウル、後ろは酷い有様だ。大穴がそこら中に空いているよ」
アイナが暗い顔でそう報告する。しかしその口調はなぜか明るい。
「リッカ達は?」
「ピンピンしているさ。敵の観測隊の一つを襲撃してそのまま殿にいるザフラスのところに向かったそうだ」
「殿に?」
「後続のコボルト達に南ではなく東へと進路を変えるように指示したみたいだね。多分だが敵の砲撃位置を予測して迂回したんじゃないかな。だから予定よりも到着まで時間は掛かるかもしれない」
その報告が正しいとすれば、コボルトの被害は思ったよりも少ないかもしれない。
観測隊を潰された敵砲兵部隊は、僕ではなく後続のコボルト達へと目標を変えた。おそらくだけども僕ら先行隊と後続を分断させて、孤立した後続へと追撃してきている騎兵をぶつけるつもりなのだろう。
しかしそれを読んでいたリッカは観測隊を一つ潰すと、後続のコボルト達の進路を変更させ、分断を回避させた。
観測隊を失った相手は事前の予測で撃っているだろうから、そこから外れさえすれば当たりはしないし、その修正にも時間が掛かるはずだ。
どれだけ巨大な砲で巨大な砲弾を撃とうが、撃っているのも照準を合わせているのは人だ。そこに呪いなんていうチートは介在できない……と信じたい。
「しかしリッカにはある程度、対銃兵や対砲兵の戦術についてざっくり話したことあるけど、早速実戦で使っているとはね……」
恐ろしくもあり、頼もしくもある。
「だけども、これで憂いなく交渉に臨めそうだね」
リッカ達は必ずコボルト達をここへと導いてくれる。ならば僕は彼女達を迎え入れられるようにしないと。
そうして僕は深く息を吸って吐いて、森へと踏み込んだ。
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