第38話:毒を運ぶ ~とあるコボルトの最期~


『――僕がであることはくれぐれも内密にお願いします』

『かしこまりました。アルマ王国軍にバレたら一大事ですしね』

『その通りです。今はまだこの場所はアルマ王国軍にとっては優先度の低い場所。だから彼らの目が〝鱗砦〟に向けられているうちに逃げてしまいましょう』


 そんな司令部での会話を、一人のコボルト族の男が盗み聞きしていた。


 彼の名はドズレー。冥竜派アトセルの中でも、その長であるジグラを信奉する過激派に属する立場なのだが、ザフラスの下で働いていた。


 だからこそ彼は、その会話を聞いて確信にいたった。


『やっぱりあの噂は本当だったか』


 指揮官であるザフラスの急な方針転換と撤退するという指示に、何も聞かされていなかった一部のコボルト達は疑いの眼差しを向けていた。


 それがアルマ王国の王子を名乗る少年によってもたらされたものだと分かると一部は納得したものの、ドズレーはどこかで違和感を覚えていた。


 なぜ、敵対している国の王子がこちら側に組みしているのか。

 なぜ、冥竜派アトセルの長であるジグラを見捨てるのか。


 そんな時に、とある噂が流れた。


 〝指揮官であるザフラスは叡竜派ファルセンと共にエリオン王国へと亡命するつもりであり、あの少年は実はエリオン王国の王子である〟


 それを裏付けるようなその会話を聞いて、ドズレーはすぐにその噂が真実であると分かった。


『……これは何としてでも、あの方に報告しないと』


 ドズレーは仲間達にバレないように密かに準備をすると、皆が寝静まった時を見計らって、密かに村から抜け出した。


 そこから彼が向かった先は――彼が信奉しているはずのジグラが籠城している〝鱗砦〟……


 目指すは西。アルマ王国軍の本陣のある場所である。


「貴様、そこで何している!!」


 そんな言葉と共にドズレーはあっさりと、本陣近くで哨戒中のアルマ王国軍に捕縛されてしまう。


「ま、マってくれ! 俺は味方ダ! これヲ見てくれ!」


 そう言って、ドズレーがアルマ王国軍の兵士へと見せ付けたのは、首からぶら下げていた金属製の六芒星を囲う輪っか――聖円教の象徴でもあるキュクロスだ。


 ただし本来なら鈍色のそれは真っ赤に染められていて、どこか毒々しい印象を見た者に与える。


「グランツ卿と会わセてくレ! 俺ハ〝洗血者〟だ!」


 そのキュクロスを見た途端に――兵士達の顔が青ざめた。

 その顔に浮かぶのは、恐怖と嫌悪感。


「げっ……」

「おい、どうするんだよ」

「どうするって、連れていくしかないだろ」

「……だよなあ」


 そんな会話の後に、ドズレーは捕縛されたまま本陣近くに作られた赤い、まるで血で染められたような布でできたテントへと連れて行かれた。


 そのテントの入口の上には、キュクロスの紋章が掲げられている。


「し、失礼します!」


 設置された祭壇の傍に立ってこちらへと背を向けている、ローブ姿の男の背へと、兵士が緊張のために上ずった声を投げた。


 そのローブは聖円教の司祭のもので本来なら白色である。だがその男が纏っているものはこのテントと同様に暗い赤色に染められている。


「なんですか、騒がしいですね」


 その赤い司祭は祭壇で何やら作業をしつつ、少し不満そうな声を出した。まるで邪魔するなとばかりの態度だ。


「ぎ、儀式中に失礼いたしました! ですが本陣近くでうろつく怪しいコボルトを捕らえたところ、そいつが〝洗血者〟であると主張しておりまして! 猊下に謁見したいと喚いております!」

「〝洗血円章〟は?」


 司祭の手が休むことがない。くちゅくちゅと音を立てながら、左右の手に持つやけに細いナイフのような妙な機具で作業を続けている。


「所持しております!」

「ならば、連れてきなさい」

「はっ!」


 そうして――ドズレーは捕縛されたまま、その司祭の前へと投げ出された。


「グランツ卿!」


その司祭――コボルト討伐の全権をアルマ王国国王であるハルトリアスより預かっている東方軍の司令官兼、かつては聖円教において教皇に次ぐ地位である〝大司祭〟の地位についていた男――〝血の異端者、エベルバ・グランツ〟。


 彼はドズレーが切羽詰まったような声を聞いてもなお、手を止めない。


「誰かと思えば。ドズレー君でしたか。貴方は確か、叡竜派ファルセンの収容所に潜入していませんでしたか? 誰が帰ってきていいと言いました?」


 まるで冬風のような声に、ドズレーは芯から冷えるような感覚に襲われながらも答える。


「す、すグにご報告すべきことガ」

「報告、ですか」

「収容所ノ連中が……撤退を計画してイます!」


 そのドズレーの報告で、ようやくエベルバが手を止めた。


「撤退? 仲間と長を見捨てて、ですか?」

「はイ! しかも扇動したノは……エリオン王国の王子デす!」


 そう言った瞬間に、ドズレーの肌が粟立つ。もちろん彼の皮膚は鱗なので、鳥肌などは立たないのだが――そう感じるほどに、おぞましい気配がエベルバから発せられた。


「ほう……ほう! それは確かですか? 黒髪でドワルヴにしては背が高くて、どこか抜けてそうに見える、氷狼族ジーヴルを引き連れた少年でしたか?」

「間違いなイかと……」

「……ふふふ……あははははは!」


 突然笑い出すエベルバを見て、ドズレーはここまで押し殺してきた恐怖を抑えきれなくなっていた。


「や、やつらハ、エリオン王国に亡命するつもりデす!」

「くくく……まさか叡竜派ファルセンを抱き込むとは……レグナ様に聞いていた通りですね」

「す、すぐに軍を向けルべきかと! 既に撤退の準備は整いツつあります!」

「もちろんです。もはやコボルトなぞどうでもいい。適当に砦は潰して、全勢力をウル王子捕縛に向けるべきですね……しかしそう考えると……あのは失敗したのか? まあいい……どうせあいつは無能だ」


 ブツブツとつぶやきながら、エベルバが振り返った。


 その顔には長い年月を生きた者の証である深い皺が刻まれているが、肌は妙に若々しく、老人のようにも若者のようにも見えた。


 しかしその瞳は真っ赤に染まっていて、見る者を無条件で怯えさせる狂気を秘めている。


 何よりその全身がであり、ローブが赤く染められているのも、〝血の色が目立たないから〟という理由だけだということがすぐに理解できた。


 その右手には――まだ鼓動を打つ、小さな心臓が握られている。


「あ、あ、」


 それを見て、ドズレーが怯えたような表情を浮かべた。

 見れば――祭壇の上には絶命したコボルト族の子供が横たわっている。


 生きたまま、解体されたのだ。

 

 その事実に気付きドズレーはここでようやく、もしかしたら自分はとんでもない間違いを犯してしまったのかもしれないと気付く。


「ふふふ……、ですよ。私は博愛でしてね……コボルトを差別しません。むしろ同類だと思っているぐらいです。だって貴方達も好きなのでしょう? 生きた人を喰らうことが」


 エベルバが、手に持つ心臓へと齧りつく。

 鮮血が口から垂れ、滴となって床へと落ちた。


 自らの主人の悪行に、ドズレーは震えるしかない。

 そういう相手だと知っていたはずなのに、なぜ俺は――


「しかし本当に貴方はよくやってくれました。褒美を取らせます」

「あ、いや……」

? 貴方がもたらした情報は、心臓に値しますが」

「いや、それは――」


 しかしエベルバは答えを待たずに――右手に持っていた細い、ウルが見れば、メスのような、と表現するナイフをドズレーの胸へと突き立てた。


 異常な膂力りょりょくから繰り出されたそれは、生半可な刃なら弾いてしまうコボルトの鱗すらもあっさりと貫く。


「あっ……がっ……痛い! やめ……あがっ」


 ぐちゃぐちゃとナイフで抉ったあとに――エベルバは無造作に傷口へと右手を突っ込んだ。


 骨が無理矢理折られ、ブチブチと何かが千切れる音とともに心臓が取り出された。


「ああ、あのレグナ様が認めたほどの少年……食べてみたいですねえ……」

 

 エベルバが既に絶命したドズレーの心臓へと食らい付く。しかしすぐに顔をしかめると、床へと肉辺を吐きだした。


「……マズい。やはり生で食するなら若いコボルトでないとダメですか。さて、聞いていましたね? すぐに軍を動かします。南方、湖側の国境にいる警備隊に封鎖の指示を。追尾追撃には本陣の予備騎兵を投入します。奴等は必ず南へと逃げますよ」

「――は、はっ! ただちに!」


 待機していた兵士が慌てて返事をする。

 

「ああ……そういえば暇そうな奴が南でサボっていましたね。奴らを使って並行追撃を行いましょう」

「奴らと言いますと……」


 察しの悪い部下に対して、エベルバは苦々しい表情を浮かべた。


「〝コボルト相手なんてつまらん〟と駄々をこねて、ダラダラと未だ進軍中の――〝星降りメテオール〟ですよ。相手があの王子だと分かれば、少しはやる気を出すでしょう。さあ急ぎなさい!」

「かしこまりました!」


 兵士が外へと飛び出した。

 その背を見つつ、エベルバはそれはそれは楽しそうに笑ったのだった。


「さあ、羊狩りの時間です」


 悪魔の指先が――ウルへと迫る。

 

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