第32話:檻の中ではじめまして


『あー、君達』


 竜人語ドラグニアで、僕は僕を担ぐコボルト達のリーダーらしき男へと声を掛けた。


『っ!?』

『僕らを食料にしない方がいいと思うんだよね』

『貴様……なぜ我らの言葉を話せる』


 コボルトのリーダーが驚きの声を上げる。まあそりゃあね。

 僕だってこれから食べようとする羊がいきなり喋りだしたらびっくりする。


『僕が人間族の中でも上位の存在だからこの程度の言葉は話せて当然さ。……困るんだよねえこういうことされると』

『嘘をつけ!』


 まあそうなんだけどね。それを認めたら話が終わってしまう。


『本当だって。君はアルマ王国の関係者以外で、君達の言葉をこんな完璧に話せる人間と出会ったことがあるかい?』

『それは……いやだが』

『一応、上司にお伺いをたてた方がいいんじゃない? アルマ王国との交渉にも使えると思うけど』

『ちっ……』


 舌打ちしながらも自分一人では判断しかねると考えたのか、コボルトのリーダーが彼の上司らしき男の下へと向かった。


『そいつが?』


 その上司は黒い鱗に覆われたコボルトで、いかにも武闘派という雰囲気だ。

 しかし僕の顔を見て、疑っている様子だった。


『へ、へい。自分をアルマ王国の王族だと言っていまして』

『なぜ王族が護衛を一人しかつけずにこんなところを彷徨っている』


 彼らの会話から察するに、やはりと言うべきか彼らは自身の君主であるアルマ王国の王族について詳しくないと判断できた。


 もし彼らが少しでも王族の家族構成や顔を知っていれば、そもそも僕の嘘なんてすぐに見破れるはずだからだ。


 だとすれば、付け入る隙は十分にある。

 だから僕は息を深く吸ってから口を開いた。

 

『お前らコボルト族に全てを教えるとでも? 僕は父である王より秘密裏に緑王国に赴き、対エリオン王国包囲網を作るべく交渉へと向かう途中だったんだ。君達だって、は憎いだろう?』

『なぜそれを知っている』

『答えはもう言ったはずだが?』


 コボルトへの武器供与とエリオン王国への侵略をアルマ王国が画策していることを、知っている者はおそらくこのアルマ王国国内でも少数派だろう。


 だからこそ、それを知っているという立場でかつ、竜人語ドラグニアを話せるという特異性。


 この二つで押し切れるはずだ。だけども、最後の一押しをしておこう。


『にわかに信じがたいが……』

『ならば、叡竜派ファルセンの長にでも聞いてみるといい。いるのだろ? ここに』


 僕の予想では、叡竜派ファルセンの代表はここにいる可能性が高い。もしいれば交渉の余地はあるし、いなければいないで、じゃあ僕の言葉の真偽を確かめるための時間が稼げるはずだ。


 彼らはアルマ王国への反乱の真っ最中だ。だからこそ、その状況を左右しうる可能性がある僕の存在については現場レベルで安易に判断できないと踏んだ。


 そんな意図の籠もった僕の言葉を聞いて、その黒い鱗のコボルトが苦々しい表情で部下のコボルト達に指示を出す。


『……おい、奥の檻につれていけ。そこで確かめる』


 とはいえ。


 まさか投げ込まれたその檻に叡竜派ファルセンの長がいるとは思わなかった。しかもハイコボルトだし。


「こんにちは、人間さん。私は――」

 

 だけども結果として僕は、叡竜派ファルセンの長と会うことに成功した。


 ならもうここでやってしまおうか。

 対アルマ王国、対冥竜派アトセルの同盟を結ぶための交渉を。

 

「ええ、お久しぶりですねナナルカさん。のウルです」


 なんて僕が当然のように嘘をつくと、彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべるもすぐに、コボルト族特有のちょっと怖い、でもなぜか妙に親しみがわく笑顔になる。


「はい、お久しぶりですね、ウル王子。なぜこのような場所に?」

「緑王国へと向かう途中で、彼らに襲われてしまいまして。運が悪かったです」

「なるほど……大体事情は理解できました」


 それからナナルカが外で、こちらの様子を観察しているコボルト達へと声を掛ける。


『アルマ王国の王子をこのように扱うとは、不遜にもほどがありますよ』

『……ほ、本当にそいつがそうなのか?』

『私が嘘をつくとでも?』


 素晴らしい。口裏合わせすらしていないのに、ナナルカは的確に僕の意図を見抜いてくれた。


『あ、いや……しかし、そんな話は初めてで』

『貴方達がこの反乱をどこに着地させたいのかは分かりませんが、いずれにせよ、彼は丁重に扱うべきです』

『……と、とにかく、しばらくはここにいてくれ!』


 という話になり、とりあえずコボルトのおやつになることはなさそうだ。


「……ありがとうございます、ナナルカさん」


 僕がそうお礼を言うと、ナナルカが頷く。


「いえいえ。私も困っていたんです。せっかくウル様がいらっしゃるというのに、歓迎どころか、こんなことになってしまいました」


 ショボンと落ち込むナナルカを見て、僕は微笑む。ハイコボルトには良い思い出はないが、彼女は随分と人間臭いというか、表情豊かである。


「構いません。僕も色々と災難が続きまして」


 そう言いながら、チラリとアイナへと視線を送る。彼女は〝はいはい、あたしが悪うございました〟とばかりに肩をすくめた。


「ですが結果としてこうして会えたことは幸いです。もし僕がコボルトに捕まっていなかったら、こうやって話すことも困難だったでしょう」


 仮に何事もなくリッカ達と一緒に、ここへたどり着いたとしても。流石に冥竜派アトセルが守っているこの拠点に潜入して、いるかどうかも分からないナナルカを救い出すことは難しかっただろう。


「ふふふ……ウル様は随分と前向きなのですね」


 小さく笑いながら、ナナルカが僕へと微笑む。


「それだけが取り柄ですね」

「素晴らしい取り柄です」


 さて、挨拶はこの程度でいいだろう。

 そろそろ本題に入ろう。


「では、ナナルカさん。こんな場所でこんな状況ですが、予定通りにやりましょうか――

「こんな場所で、ですか……ふふふ、本当に面白い方ですね、ウル様は」

「場所も時も選べるほどの余裕がないものでね」

「それもそうですね。分かりました、それではお話しましょうか……叡竜派ファルセンと貴方の国の未来について」


 ナナルカが目をすっと細めて、僕を見据えた。


 ぞわりと全身に鳥肌が立つ。


 ああ、そうだった。目の前にいるのはただのコボルトじゃない。長年、アルマ王国相手に交渉をし続け、自治権を勝ち取り、今に至るまでコボルトを支え続けてきた……強者なのだ。


 この交渉は……一筋縄ではいきそうもない。



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