間話

第20話:玉座の影に潜むは蛇か悪魔か(間話)


 エリオン王国の西方――竜欧大陸の北に広がる黒死海に面する湾岸都市、アルマ王国首都フリュンケン。


 アルマ王国は竜欧大陸北部では数少ない人類国家であり、その中でも屈指の軍事力、経済力を有している。その象徴とも言うべきがこのフリュンケンだ。


 港には数多くの帆船や軍船が泊まっていて、市場には異国の品が多く並び、平日から賑わっている。


 歴史は古いが革新も厭わない柔軟さを持つこの国を表すかのように、街には古い建造物と最新の設備が混在している。 


 その中でも特に古めかしくかつ荘厳な佇まいを見せるのは、港を見渡せる丘の上に築かれた、アルマ王国の国王が住まう城――ヘラデル城だろう。


 今でも議会として使われているそこは、アルマ王国の政治の中心である。


 そんなヘラデル城の中心にある、外交の場としても使われる玉座の間にて。


「陛下。残念ながら〝渡河〟は失敗に終わったようです」


 そう報告しているのは、黒い装束を纏った剣呑な雰囲気を男だった。彼が跪く相手は、このアルマ王国の第二十七代目の国王であるハルトリアス・アルマールその人だ。


 ハルトリアス・アルマール。御年42歳。少し色あせた金色の髪に、強い意志を感じさせる、鳶色の瞳。


 まだまだ若く、頑健な肉体有する彼は覇気に満ち満ちている。


 おそらく、彼の名を知らぬ者はこの竜欧大陸ではいないだろう。


 竜欧暦867年――竜欧大陸西方にある、鬼桜きろう諸島からの大規模な侵略行為〝鬼来〟の時。当時まだ第三王子で王位継承権から遠かった彼は、自ら大陸連合軍を率いてこれを辛くも撃退。


 救国の英雄と呼ばれ、その勢いのままに兄達との政争に勝ち、17年前についに玉座へとたどり着いた。


 誰もが認める強き国の王であり、またそう在り続けた。


「またもや失敗か。失態が重なるな、マルス」


 ハルトリアスが低く、重苦しい声を出す。

 目に見えない重圧が、黒装束の男――密偵の長であるマルスへとのしかかる。


 マルスの額には、薄らと冷や汗が浮かんでいた。

 決して自分の不手際ではないが、こうも策謀の失敗が続くと胃が痛くなる。


「……申し訳ございません。また、例の王子です」


 その報告もまた、マルスにとっては苦々しいものだった。


「そうか。どうやら、かの王子についての評価を見直す必要がありそうだな。我が国の策謀を邪魔するどころか、逆に族長の娘を娶って氷狼族ジーヴルとの同盟を強固にし、さらにコボルトどもの〝渡河〟を阻止したか」

「さらに我が国の目標であるヴァーゼアル領の領主になったそうで……まるで、こちらの手を読んでいるかのような鮮やかな動きです」


 マルスがそう発言すると、ハルトリアスがクツクツと笑い始めた。


「くくく……お前ほどの男がそこまで褒めるか、マルス」

「いえ、決して褒めているわけでは……ですが」

「言いたいことは分かる。私もあの王子とは何度か社交界で言葉を交わしたことがあるが……褒めるところが見当たらない、あの無能な父親と同じ、平凡な男だった」


 ハルトリアスがエリオン王国第一王子であるウル・エリュシオンについて思い返す。

 どこかおどおどした覇気のない子供。そんな印象しかなかった。

 ところがどうだ祝賀会での豹変ぶりは。

 こちらに対しては相変わらずだったが、氷狼族ジーヴルの族長に対するあの対応は見事だった。


 おかげで重要な戦力として計算に入れていた氷狼族ジーヴルを取られてしまい、秘密裏に進めていたヴァーゼアル領の奪取すらも見透かせているかのようだ。


「羊の皮を被っていたということでしょうか」

「かもしれんな。こちらを油断させたうえで……この先十年の計画を、たった一手で崩してきた」

「如何いたしましょう……力を付ける前に

「……」


 ハルトリアスは何も答えなかった。それが意味するところは――


「……御意」

「行け」


 ハルトリアスの言葉で、マルスが音もなく退室していく。


「少し、一人にさせろ」


 王の命令に、扉の入口で待機していた衛士も黙って従う。

 玉座に沈黙が戻り、ハルトリアスが大きくため息をついた。


「はあ……もうやだ。なんで上手くいかないんだよおおおお!」


 その見た目と声から想像もつかない、まるで子供の駄々のような叫び。

 ハルトリアスの目には涙が浮かんでいて、バンバンと玉座の肘掛けを叩いている。


 それは臣下どころか、四人の妻にすら見せたことがない醜態だ。


「なんでだよ! なんで急に蛮族と仲良くなるの!? ヴァーゼアル領攻めるのなんで知ってるの!? コボルトもすぐにバレたし! まさか裏切り者がいる!? 粛正した方がいい!? ねえ、答えてよ!!――


 その呼び掛けに――玉座の影が答える。


「いいえ、いいえ。裏切り者はいませんよ」


 少女のような、老女のような不思議な声。


 影からゆっくりと現れたのは――赤髪の美女だった。艶めかしい肢体を強調するような、ボディラインがくっきりと浮かび上がる漆黒のドレス。


 なぜか裸足で、全体的に黒いシルエットの中でその白い足だけが妙に浮いていた。


 何よりも――その頭部には湾曲したまるでヤギのような角が生えていて、背後には細い、蛇のような尻尾が揺れている。


 その顔は整っているがどこか人外じみていて、金色に輝く、水平方向に伸びた四角い瞳がやけに目を惹いた。


「で、でも!」

「ハルトリアス……君は僕を信じないのですか?」


 その美女――レグナが微笑む。

 それを見て、ハルトリアスが怯えたような表情でまくしたてた。


「ち、違うよ! でもあの王子はこっちの動きが分かっててやってるとしか思えないもん!」

「……ええ、それは僕も認めます」


 レグナがゆっくりとハルトリアスの前へと回り込む。


「かの王子はなかなかに優秀なようですね」

「そ、そうなんだよ! でも前までは全然そんなことがなくて!」


 必死なハルトリアスを、まるで我が子のように見つめるレグナ。

 それから彼女は柔らかな笑みを浮かべたまま、こう言い放った。


――そう言いたいのですね」

「うん!」

「ふふふふふふふ……あははははは!」


 突如笑いはじめるレグナを見て、ハルトリアスが分かりやすく怯え出す。


「ど、どうしたの」

「いえ……いえいえ! なんの問題もありませんよ! さあ予定通りにヴァーゼアル領を取りましょう」

「でも、ヴァーゼアル領って鉄鉱山しかないよね? しかも今は蛮族共が向こうの味方だから、危険だよ!」


 ハルトリアスが唾を飛ばしながらレグナへと忠告するも、彼女は諭すような声を出して否定する。


「でも準備をしてきたのでしょう? ならばやってください。それにもし僕の予感が当たっていたら……あのままあの王子にかの地を取らせておくと――、この大陸は」


 セリフの後半からまるで氷のような冷たい声になっているレグナに、ハルトリアスは逆らえるわけもなかった。


 何の才もない自分が英雄で、王でいられるのは、全て彼女のおかげだからだ。


 そしてそれは自分だけではない。このアルマ王国の歴代の王達は皆そうだった。父もその父もそのまた父も全員――彼女の忠実なしもべだった。


「わ、わかった! 多少の変更はいるけど、ヴァーゼアル領は取るから! だから怒らないで!」


 そんなハルトリアスの言葉にレグナは満足そうに頷くと、彼の頭をゆっくりと抱き締めた。


「大丈夫です。君は英雄で、相手は弱小国家の王子。君が勝てない道理はありません」

「……うん」

「では行きなさい。ですが、決して油断しないように」

「分かった!」


 元気よく返事したハルトリアスが退室する。


 玉座の間に残ったのはレグナだけだった。

 彼女はまるで当然とばかりに玉座に座って足を組み、そして笑みを浮かべる。

 

「やはり神は我を許しはしないのですね。またもや……が現れた。いつだってそうだ。百年前もその前もその前も。だけども今回のは……どうやら一味違うようね。ああ、楽しみだなあ……きっと、人も人でないものも、沢山死ぬんだ……あはは……あははははは!!」


 それはまるで悪魔のような、蛇のような笑みだった。


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