第12話:さあ、交渉をしよう


 そのコボルトは〝Kい$KルF#’&〟と名乗った。


 非常に発音が難しいので、上顎語アッパージャーニッシュ風に言い直すと、キケルファ辺りだろうか。


「えっと、彼はキケルファという名前だって」


 僕がそう説明すると、リッカが胡乱げな顔で僕を見つめてくる。なぜさっき竜人語ドラグニアは話せないと嘘をついたのか、と言いたげである。


「コボルトの言葉が話せるなら、最初からそう言え」

「……いや、うん。ごめん」


 僕だって知らなかったのだから。とはいえ、〝隔たる前の言語バベル〟を習得しているのは、かなり好都合だ。


 これを使わない手はない。


『とにかく、話ができるなら聞いてくれ! 俺は村を襲った連中とは違う派閥なんだよ! 騙されたんだ!』


 キケルファが必死にそう訴えるので、とりあえず話を聞いてみることにした。内部事情が分かれば、また攻め方も違ってくるしね


『僕はこのエリオン王国第一王子兼ヴァーゼアル領の領主であるウルだ。君の話を聞こう』


 僕がそう言うと、キケルファが助かったとばかりに何度も頷いた。


『そ、そうか! 良かった! あんたが知っているかは分からないが、俺は〝叡竜派ファルセン〟だ』


 〝叡竜派ファルセン〟――確か、設定資料集で少しだけ言及されていた気がするので、その記憶を引っ張り出す。


 竜を先祖とするコボルトには、大きく分けて二つの派閥がある。


 叡竜ファルセと呼ばれる、人類と友好的関係を築いた竜の一族の末裔で、人類との共和を望む穏健派――〝叡竜派ファルセン〟。


 冥竜アトスと呼ばれる、歴史書にもその悪名を刻む邪竜の末裔で、人類に対して敵意を抱く過激派――〝冥竜派アトセル〟。


 その数は半々だというが、割合としてコボルト社会の政治を司る者達は〝叡竜派ファルセン〟が多く、人類国家でいう軍に値する組織には、〝冥竜派アトセル〟が多いらしい。


 キケルファのような〝叡竜派ファルセン〟が人間との交渉役を務め、なんとか今でも人類に絶滅されずに済んでいる側面があるなか、それに不満を抱く〝冥竜派アトセル〟も少なくないとか。


『村を占拠しているのは、全員〝冥竜派アトセル〟か?』


 僕がそう聞くとキケルファが首肯する。


『その通りだ。〝叡竜派ファルセン〟は俺ともう一人、そちらの言葉を話せる同僚がいたが、殺されてしまった』


 だが解せない点がある。


『どうやって川を渡った。なぜ移住地を離れた』

『事情があるんだ! 最初は決して略奪が目的じゃなかった!』

『ではなぜ』

『話せば長くなるが……実は一ヶ月ほど前に、がやってきたんだ』


 その言葉を聞いて、僕は思わず反応してしまう。アルマ王国……まさか。


『アルマ王国とは友好的とまではいかないが、お互いに干渉しないことを前提とした付き合いはあった。ところが、急に奴等から色々と贈り物が届いたんだ。武器に防具……それに船。船は、俺達が最も欲しいものの一つだった』


 ……話が見えてきた。


『その見返りは?』

『奴等は、俺達にこう言った〝エリオン王国と交渉し、川向こうの土地の一部をコボルトに譲渡する用意がある。その前段階として、まずはエリオン王国と会談を設けるので参加してほしい〟、と』

『初耳だね』

『だろうな……。そうして俺達は貰った船で川を渡ったんだ。〝叡竜派ファルセン〟は俺と、数少ない上顎語アッパージャーニッシュの話者である同僚だけで、あとの護衛の連中は全員〝冥竜派アトセル〟だ』


 それからの話は予想通りだった。


 渡河の途中で、護衛の〝冥竜派アトセル〟達が突然牙を剥き、キケルファを捕縛。その後、彼の同僚を殺し、川のすぐ近くにあるイスカ村を襲撃した。


『全部、嘘だったんだ。アルマ王国の役人は〝冥竜派アトセルに、川向こうの土地なら好きなだけ略奪していいって約束したらしい。そんなことをすれば、エリオン王国と敵対するというのに……だから俺はなんとか逃げだそうとしたところを……あんたの仲間に捕まってしまった』

『大体理解したよ。それが本当かどうかはともかくとしてね』


 まあ、キケルファは嘘をついていないと思う。なぜなら彼の説明で、僕が違和感を覚えていたことに対する答えが全て出たからだ。


「ま、というわけで、結論から言うとこれはアルマ王国の策略だ」


 僕がリッカ達にそう説明すると、リッカはニヤリと笑い、ウォリスは怒りを表した。


「なんて卑怯な!」

「そう? 僕は良い手だと思うよ」


 もし、このイスカ村襲撃にこうして気付いていなかったら。

 僕にコボルトの侵略についての情報が入ってくるのは、かなり後になっていた可能性が高い。


 するとどうなるかと言うと、僕はコボルトの対応に追われることになるだろう。まだ領主となって間もない時期にこれは正直ちょっとしんどい。更に無能な領主だというイメージもつきかねない。


 そうして苦労してコボルト達を討伐できたとしても、肝心の鉄鉱山の調査と、アルマ王国の侵攻に対する備えがかなり遅れてしまう。


 さらに、コボルトがいくら死んだところで、アルマ王国の懐は一切痛まない。せいぜい掛かるコストは与えた武具や船の分ぐらいだろうが、稼げる時間とエリオンへのダメージを考えれば、微々たるものだ。


 なるほど、素晴らしいやり方だ。


「愉快な連中じゃないか、アルマ王国は」


 リッカが敵ながら天晴れとばかりに、嬉しそうにそう口にした。


「ほんとにね……でも良かったよ。まだ被害は最小限で抑えられるし、アルマ王国を糾弾できるネタが増えた」

「すぐにイスカ村を奪還しましょう! その後、国王を通して正式に抗議を!」


 さっきまで渋々といった様子のウォリスが気炎を上げている。


「もちろん、奪還するとも。だけどもこれは逆に利用できるかもしれないな」


 不安そうな表情を浮かべるキケルファを見て、僕は思わず笑みを浮かべてしまう。


 この状況。〝隔たる前の言語バベル〟。


 だから僕は彼に微笑みながら、こう彼に言い放ったのだった。


『キケルファ――

 

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