第2話:父との対峙


「――入れ」


 重厚な扉の向こうからそんな声が返ってきたので、僕はゆっくりと扉を開いた。


「失礼します」


 父の執務室は僕の部屋と比べてかなり広い。なのにあれこれ調度品をゴテゴテと置いているせいか、なぜか手狭に見える。


 まるで心の隙間を埋めるために無理に物を置いているかのようで、不憫に思えてしまう。


 あれほど嫌っていた父を、どこかで憐れんでいる自分に少し驚く。

 これも彼の記憶を手に入れたせいだろうか。


「――どうした。祝賀会の用意は出来ているのか?」


 父はこちらすら見ず、鏡に向かって衣装合わせを行っている。怪我の心配をしないところを見ると、単にレアが伝えていないだけか、あるいは聞き流したか。


 だから僕は毅然きぜんとそれに答えた。


「滞りなく。ただ少し、祝賀会について気になる点がございまして」

「気になる点? 準備なら万全のはずだが」


 万全……ね。それが本当なら苦労はしない。


「父上。祝賀会の招待客のリストを見せていただけますか」

「……なぜだ」

「確認したいからです」

「机の上にある。勝手に見ろ」

「ありがとうございます」


 父の執務机の上を見る。異常なほど綺麗に片付けてあるなか、一枚の紙が置かれていた。紙が貴重なこの時代にこうして普通に使われているのは、この国が豊かな証拠であると、今なら分かる。


 それは父の言うように招待客のリストだった。

 ざっとそれに目を通す。


 隣国であるアルマ王国、エルスター連合国、ラ・ユルカ緑王国をはじめとした、周辺国の王族や貴族の名が連なる中、僕はとある名を探す。


 だがやはりそこには記載されていなかった。


 やっぱりだ。


「このリスト、抜けがありますね」


 そこで初めて父は手を止めて、ゆっくりと僕へと振り返った。

 その顔はやけに不満げだ。


「バカなことを言うな。全て私が確認済みだ」

「では――なぜ〝氷狼族ジーヴル〟が記載されていないのでしょうか?」


 僕がそう告げた途端、父が険しい表情を浮かべる。まるでその名を口にするなとばかりに。


 氷狼族ジーヴル――それは大陸中央から北部に位置するこの国の、北の国境に連なる天雪山脈の向こうにある半島に住む人々の総称だ。


 細かく言えば住む土地の各氏族ごとに呼び名が違うらしいが、最大勢力かつその土地の代表者として出てくるのはいつも氷狼族ジーヴルだったため、便宜上そう呼んでいる。


 彼らは、短い春と夏の間以外は氷と雪に覆われる土地に暮らしていて、主に漁業や狩猟で生計を立てている。

 

 だが、当然それだけでは食べていけない。


 だから彼らは海や川、内海を渡り、大陸各地に出稼ぎと称して略奪を行い、あるいは傭兵として各国に雇われ、戦場を駆け回っていた。


 ゆえに彼らはこう呼ばれ、酷く嫌われていた――〝〟、と。


氷狼族ジーヴルだと? あんな蛮族共を招待するわけがない。我が国の品位が下がる」


 だからそう父が反応するのも致し方なかった。

 かつて、氷狼族ジーヴルとこのエリオン王国は同盟とはいかずとも、友好的関係を築いていたらしい。だが何かをきっかけに交流が絶え、今にいたる。


「でも、招待状は出していますよね?」

「そんなはずはない」

「いえ、出していますよ。父上は招待状をご自身で書かれましたか?」

「……いや」


 僕は知っている。父は字が書くのが苦手であり、そういう招待状やらなんやらは全て、宰相であるラムダに丸投げにしていることを。


「父上、貴方はラムダにこう指示を出したんじゃないですか――、と。当然そこに氷狼族ジーヴルも含まれているんですよ。かの地を国と呼ぶかは難しいところですが……それでもあの土地は我が国と国境を共にしていますし、こと国防においては重要な相手です。当然、宰相であるラムダの立場なら、いくら今は交流がないとはいえ、出さないわけにはいかないでしょう」

「バカな。そんなわけが……そんな報告は聞いていない!」


 父とラムダの性格を知っている僕からすれば、おそらくラムダは報告自体はしたものの、父に聞き流されたのだろう。


 まあ報告があったかなかったなんてどうでもいい。

 でも祝賀会に氷狼族ジーヴルが来ることは間違いないのだ。


 【ドラゴンの王座】において竜欧暦889年は一つの大きな転換点となっている。なぜならその年にイベントがあり、そのせいで竜欧大陸北部の情勢に緊張が走るからだ。


 〝竜欧暦889年。エリオン第一王子の成人を祝う祝賀会にて、エリオン王国の王と氷狼族ジーヴルの間で起こった諍いをきっかけに、エリオン王国は孤立。これを機に周辺国が、かの国を独占すべく動き始めた――第一次竜欧戦争の始まりである〟


 みたいなナレーションが流れる感じだ。

 その詳細まではゲームの中では語られなかったけど、今の僕なら分かる。


 おそらくだけども――氷狼族ジーヴルが招待されていると知らない父が、やってきた彼らを、そのちっぽけな自尊心と見栄の為に、招待客の面前で邪険に扱い、侮辱あるいは追い払ってしまう……そんなところだろう。


 招待状を出されたからわざわざ来たのに、そんな扱いをされた氷狼族ジーヴルがこの国のことをどう思うか。そしてそれがこの国の未来にどう影響するか。


 考えればすぐに分かることだ。

 ならば、僕に出来ることは一つしかない。


「実は天雪山脈の麓から一報ありまして。氷狼族ジーヴルが山から降りてきて、こちらに向かってきているとのことです」


 僕はそう嘘をついた。

 いや、祝賀会に出席するのなら、彼らが既に山から降りてきていてもおかしくない時間帯なので、嘘ではない。

 

 ただそれをわざわざ報告するほど勤勉な兵士がこの国にはいないだけだ。


「なんだと……そ、それはマズいぞ! あんな者達が列席したら、! すぐに追い返さないと……」


 父が表情を一変させ、オロオロとしだす。


 私が……ね。


 その様は我が父ながら情けなく、またある意味、こんな男でも国を治められるのか、という安堵感もある。


 だけどもそのせいで国を滅ぼされたら、たまったものじゃない。


 何度も言うけど僕は目立ちたくない。平穏に静かにのほほんと暮らしたいだけ。

 国を滅ぼされて亡国の王子となった僕の扱いなんて、考えなくてもすぐに想像できる。


 だから……僕の未来の平穏の為にも父を説得するしかない。


「父上。彼らを他の客と同様に歓迎し、歓待いたしましょう。招待しておいて客人を追い返すなぞ、あまりに無礼です」

「お、お前が何を知っている。生意気にこの私に指示する気か!?」


 父が顔を真っ赤にして怒鳴った。この癇癪かんしゃくのせいで家臣は父を避けるようになり、宰相であるラムダすらもいつからかあまり助言をしなくなった。


 父は孤独となり、そしてそれがまた彼を追い詰めて……そんな悪循環。

 以前の僕だったらそれを知ってなお、見て見ないふりをしていたと思う。


 でも今の僕は違う。


「今日は。私が彼らを快く受け入れたいと思っている以上、そうあるべきかと。どうしても嫌だと言うのなら……私は祝賀会に出席しません」

「な……何をバカなことを」

「恥を晒すのは父上ですよ? 招待客全員の前で、主役の王子がいないことをどう弁明する気ですか」

「貴様……!」


 父が右手を振り上げた。

 でも僕よりも背が低くてどこか小さく見える父に、もはや恐れは抱いていない。


 だからまっすぐに父を睨み付けた。

 殴るなら殴れ。でももう僕はそれでは止まらない。


「そんな目で……俺を見るなよ……」


 なぜか父は体と怒りをしぼませていき、手を弱々しく降ろした。

 口調まで素に戻ってしまっている。


 そういえば父はいつも言っていたっけ……僕の目は亡き母と良く似ていると。あるいは父は、母の姿を今の僕に見出したのかもしれない。


「もういい……好きにしろ」


 ため息をついて、父がそう折れてくれた。

 だから僕は思わず頭を下げてしまう。


 そういえば、この国に感謝を表すために頭を下げる文化はないんだっけ。


「――ありがとうございます、父上」

「……いけ。受け入れると言うのなら、その準備もお前がするんだぞ」


 父のその言葉と同時に、レアが部屋に入ってくる。


「失礼します、陛下。――殿下、言われた通りにテーブルを増設し、酒と料理も増やすように指示してまいりましたが……」

「ありがとう、レア。それでは父上、私は会場の最終確認をしてまいりますので、ここで失礼いたします」


 父が信じられないものを見たかとばかりに目を見開いた。その顔が妙におかしくてて、僕は笑ってしまう。


 父は呆気にとられたような顔のまま、なんとか口を動かした。


「あ、ああ。しっかりやるんだぞ」

「はい。それでは後ほど」


 そうして僕は父の部屋をレアと共に退室し、祝賀会の会場である中庭へと向かったのだった。


 さあ、ここからが本番。

 

 次の相手はこの国を滅ぼし、そして第一次竜欧戦争の火付け役となる相手――北の悪魔だ。


 

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