第五章 婚約指輪

トントントントン。


朝、ノックの音で目が覚める。


えっ⁉︎今何時?

驚いてサラは飛び起きる。


「は、はい。どなたですか?」


カイル様だったらどうしょう。

サラは慌ててガウンを羽織り髪を整える。


「おはようございます。

サラお嬢様、マリーです。

居ても立っても居られず、昨夜城下に到着して、今朝早く宿を出て来てしまいました。」


「あ…マリーさん、良かった。

カイル様だと思ったから慌ててしまいました…」

そう言って、内鍵を外して中に通す。


「申し訳ございません。

晩餐会の支度をしたくて早く来てしまいました。起こしてしまいましたか?」


「丁度起こしてくれて助かったわ。

カイル様と朝、ハクのご飯をあげに行く約束をしていたから、寝坊したかと思って焦ってしまいました。」


「まぁ、朝からデートとは仲がよろしいようで、安心しました。」

マリーはにこにこと嬉しそうに話し、サラの髪を整える為支度に入る。


「マリーさん、わざわざ来てくれてありがとう。道中慌ただしかったでしょう?」


「久しぶりに街の外に出たので、気分はまるで旅行です。私達も楽しんでいますから、気にしないで下さいね。」

ニコリとサラに笑いかけ、櫛で髪を梳かしてくれる。

「ところでカンナさんは何処に?」


「今、ご主人様の所へスケジュールの確認に行っています。もうすぐ来ますよ。」


「カイル様はもう、起きているんですか?」


「ええ、先ほど挨拶に行ってきました。

もう、身なりも整えておいでてましたよ。」


「えっ⁉︎急がないと…。」

サラは慌てて、ドレスを着替える為にクローゼットを開く。


中を見て固まる。

「えっ⁉︎

見た事のない服ばかりなんですけど⁉︎」


「ええ、滞在の為のドレスをご主人様が買い揃えたみたいですよ?」

クローゼットいっぱいのドレスを見て唖然とする。

「何日滞在するつもりなんでしょうか…」


トントントン


またノックがする。


「きっと母だと思います。」

カンナがそう言ってドアの方に向かう。

「はい。どちら様ですか?」


「俺だ。サラは起きたのか?」


「あっ、ご主人様でしたか、母だとばかり思ってました。」

カンナは急ぎ打ち鍵を開ける。


「マリーにはハクの餌の用意を頼んだから、

入っていいか?」


「サラお嬢様、ご主人様でした。中に通しても構いませんか?」


「えっ⁉︎

ダメです。まだ、着替えてませんから…」


「お衣装を迷っているのでしたら、せっかくですからご主人様に選んでもらってはどうでしょうか?」


「えっ⁉︎」

サラは急いでソファの後ろに隠れる。


「入るぞ。……サラは?」


「ソファの後ろにいますよ。」

カンナは笑いながら指差す。


コツコツと靴音を鳴らしてカイルはサラに近づく。

「おはよう、何故そんな何処にいる?」


「……まだ、入って来ちゃダメっていいました…。」


「どんなサラでも可愛いから問題無い。

それよりどれを着るんだ?」

サラの頭をポンポンと優しく撫でる。


サラはボッと顔が熱くなるのを感じて、両手で顔を隠す。


「マリナの店で勧められた服を選んだから、どれもサラに似合う筈だ。何色にする?」

そう言って、腕組みしながらカイルはドレスを吟味し始める。


お礼を言わなければと、サラはソファの裏からおずおずと出て来てカイルに近付く

「こんなに沢山用意して頂きありがとうございます。…でも、私の為にどうか散財しないで下さい。」


「この先、何着あっても足りないだろう?

サラは、男装しか持って来てないのだから。

それに、意外とサラを思って選ぶのは楽しかった。

どれも似合いそうだと迷っていたら、マリナが迷ったもの全てを買うべきだと言い出したんだ。」

笑いながらそう言って、二着のドレスを手に取りサラに見せる。


「どっちがいい?」

さくら色の淡いドレスと空色の水色のドレスだった。

「じゃあ…、こっちで。」

サラは迷ったあげく水色のドレスを選ぶ。


「じゃあ、こっちで決まりだ。

10分後にまた来るから、その間に着替えてくれ。」


「10分⁉︎短すぎます!

まだ、髪もセットしてないのに…。」


「じゃあ,20分でどうだ?

カンナ、悪いが急いでくれ。」


「かしこまりました。」

パタパタと二人はサラに駆け寄って来る。


カイルは部屋から出ようとして、ふとバルコニーに目をやるとこっちを見ているブルーノに気付く。


「ブルーノ?

どうやって厩舎を抜けて来たんだ?」

そう言って、バルコニーの窓を開ける。


「もしかして、鍵を壊して来たんじゃ無いだろうな…。今頃、世話係が慌てて探してるんじゃないか?」

苦笑いをしながらカイルはブルーノの頭を撫でる。

「直ぐ単独行動をとるのは、飼い主と良く似てるな…」

そう言ってハハっと声を上げて笑った。


カイルがブルーノと戯れている間に、サラはドレスに急いで着替え、戻って来たマリーとカンナの2人がかりでパタパタと身支度を整えられる。


「お待たせしました、カイル様。」

どうにか15分くらいで整えてカンナがカイルに声をかける。


水色の淡いドレスに胸元のグリーンのネックレスが良く映える。


「よく似合っている。

想像以上に嬉しいものだな。明日からサラが着る服は俺が決める。」

そう、カンナに告げてサラに近付き綺麗だと褒めるカイルを、マリーとカンナの親子は微笑ましく見つめ安堵の表情を向ける。


「やっと我が家にも春が来たようね。」

嬉しそうにマリーが言うと、

「本当…、一時はどうなるかと心配したけど、本当に良かったわ。」

カンナは目頭をハンカチで押さえて涙ぐむ。


「マリー、サラに羽織る物を。

朝は外気がまだ冷たい。」


「はい、かしこまりました。」

マリーはそう言って、パタパタと世話を焼く。


今朝も、サラはカイルに手を引かれハクの待つ厩舎へと廊下を歩く。


朝早いからかまだすれ違う使用人は少ないが、慣れないサラは恥ずかしくて俯いてしまう。


「カイル様、恥ずかしいので手を離して頂けませんか?」

そっとそう呟くが、

「手を離したらサラはどっかに行ってしまいそうだ。」


そう笑って聞き入れてはくれず、困り顔のサラと嬉しそうなカイルは二人で玄関を抜ける。


玄関先には、餌がたっぷりと入った荷車の馬車が用意されていて、二人乗り込み厩舎を目指す。


サラは笑いながらなんだか心がほっこりして暖かく見守る。


そんなサラをカイルは抱き上げ歩き出す。

びっくりして思わず肩にしがみ付いてしまう。

「な、なんで⁉︎」


「ドレスが汚れてしまうだろ。」

何事も無いようにカイルはサラに笑いかける。

「大丈夫です。ちゃんと気をつけますから。」

恥ずかしくなって下を向く。


今日は大事な日なのに、なんでこんなに朝からドキドキさせられるんだろ…。


「今日は、ブルーノのように自由に飛び回られては困るからな。」


厩舎の真ん中まで歩いて来てやっと下ろしてもらえる。


竜達に餌を与えながらサラは幸せな気分に浸っていた。今日は、カイルは忙しくて、二人だけの時間は取れないと思っていた。


「カイル様、今日は要人の警護は無いのですか?朝からこんなにのんびり過ごしてて大丈夫なんでしょうか?」


「今日の俺の任務はサラの警護だ。他は全部副団長に任せてあるから大丈夫だ。」


本当に⁉︎カイルを独り占めしてしまっていいのだろうかと心配になる。


「この日の為にずっと忙しくしていたのでしょ?」


「ショーンに全て任せる為に忙しいかったんだ。明日からはしばらく休みだ。」


「本当に⁉︎本当にお休みをもらえたのですか?」


「休みと言うか…、竜騎士団を退団する事にした。」


「えっ⁉︎」

今、なんて⁉︎辞めたって事⁉︎

サラは理解できず瞬きを繰り返す。


「えっ…と、団長を、辞める、と言う事ですか?」


「そう、今日で退団する。」

サラの脳裏に、団長である彼を慕う団員達の顔が浮かぶ。


サラだってカイルと出会ってまだ三カ月しか経って無いが、彼の団長としての信頼感や人を惹きつけるカリスマ性、全てにおいて申し分無く思う。


せっかく団長まで上り詰めて、辞めてしまうなんて今までの苦労が水の泡なのでは…。


「何故、お辞めになるかお聞きしても良いですか?」

サラは震えてる声を抑えながら聞く。


「他にやりたい事が見つかった。

まぁ、元々団長になりたくて竜騎士団に入った訳じゃない。

ただ、竜と共にいたかっただけだ。」


「国王陛下はその事、ご存じなのでしょうか?」


「了承は得ている。好きな様に生きろと言われた。」


サラは複雑な気持ちになる。

竜騎士団員の中には、カイルに憧れて入団した者も沢山いると聞いていたし、何より軍服姿のカイルがこの先見れないのかと寂しくなる。


でも、いつも戦いの最前線に立ち、命を晒して生きてきたカイルを心配し、祈り続ける日々は無くなる。

サラは寂しいだけど嬉しい、複雑な気持ちになった。


「サラは、喜んでくれないのか?」

カイルは、俯きがちに思案にくれてるサラの顔を覗き込む。


「嬉しいです。

もう、戦に行くカイル様を心配して見送らなくても良いのですから。

でも団員の方達の気持ちを思うと複雑です。きっと、カイル様を慕って入団した方も多いでしょうし…。」


カイルを見上げてサラは問う。


「カイル様がやりたい事とは?」


「俺はサラを守りたい。この先もずっと、側に居続けたいんだ。

それに、竜についての研究もしたいと思っている。」


「私のせいですか?」


サラは我慢しきれず涙が溢れる。


今までカイルは団長として、どれほど努力し鍛え上げ、命を削り仲間を助け闘ってきたのか。自分のせいで、その全てを捨てさせてしまうのはやるせない。


「自分の為にそうしたいんだ。

今まで俺は死ぬ為に生きていた様なものだった。

だけど、サラに会って死ぬのが惜しくなったんだ。サラの側で共に生きたいと。

だから、泣かれると複雑だ。」

そう言って、サラの頬に流れる涙を拭い優しく抱き寄せる。


「ごめんなさい。泣くつもりは無かったんです…。

ただ、私のせいで、今までのカイル様の努力を、全て捨てさせてしまうのかと…」


サラはぎゅっと抱きしめられる。

「軍人の為の称号なんてどうだっていい。

それと引き換えにサラが手に入るのなら、惜しくない。」


突然の告白にサラの心は否応なく高鳴る。

サラも思わず、カイルの背に両手を回し抱きつく。

「嬉しいです。

ずっと側にいられるのならば、そんなに嬉しい事はありません。」


「良かった。

騎士団に戻れと言われたら路頭に迷うとこだった。」

カイルは苦笑いしながら、サラの頬にそっと触れ上を向かせる。

近い距離で視線が合い、サラは戸惑い恥ずかしくなる。


「もう、これ以上泣くな。せっかくの晴れ舞台に目が腫れていたら、俺がマリーに怒られる。」

そう言ってカイルは微笑み、サラの瞳に、頬に、そして唇に何度もキスをする。

軽く触れ合う様なキスから、段々と深いキスに変わり、カイルの熱い舌がサラの唇を舐め

、口内に侵入してくる。


「……っん…あ。」

口内を蹂躙され、初めての感覚にサラは戸惑い息をするのも忘れ、呼吸が乱れる。

舌が絡み歯列をなぞられ、お腹の奥からぞわぞわとした感覚が沸き起こる。


体の力が抜けて座り込みそうになるのを、カイルがとっさに支えてくれてる。


「すまない、やり過ぎた。」

そう言って笑うカイルは今までに見た事ない様な屈託も無い笑顔だった。


しばらく抱きしめられながら、乱れてた呼吸を整える。


竜達は見てられないと言うばかりに、気付けば好き勝手に餌箱から果物を食べ漁り、満足したのかハクは飛び立ち、ブルーノは丸くなってスースーと昼寝をし始める。


「平和ですね…。」

サラはぼうっとする頭で呟く。


「そうだな。

この平和が続く様に、悪の根源を立たなくてはならない。今日が最後の仕事になる事を祈る。」

サラも頷き抱きしめていた腕にぎゅっと力を込める。


行きと同じ様に抱き上げられて厩舎の入り口へと進む。その間、カイルは時折足を止めてはサラにキスを繰り返し、サラは真っ赤になりながらも受け入れる。

こんなにも甘い人だったなんて知らなかったと、サラはつい心の中で叫んでしまう。


馬車に戻る頃にはサラの息が上がり、また呼吸を乱してしまった。


「タガが外れた、しばらく許せ。」

そう言って爽やかに笑う。


馬車にサラを丁寧に座らせると、隣の席にカイルは乗り込み、来た時と同様膝掛けをかけてくれる。


「あっ、大事な事を忘れていた。」

と、カイルはコートのポケットから手のひらくらいの小さな箱を取り出しサラの目の前で蓋を開ける。


「うわぁ、綺麗…。」

思わずサラは声に出して言ってしまうほど輝くそれは、紛れもなく婚約指輪だった。


箱の中で輝く指輪は、大粒のダイヤにシルバーのリングにも小粒のダイヤが並び触れるのも怖いくらい高価なものだった。


「今日からずっと、肌身離さず付けてくれ。」

そう言ってカイルは、事もなくサラの左手の薬指にはめてくれる。


サラはあまりの指輪の輝きに魅了されながらも

「こんなに高価な物をありがとうございます。大切にします。」


サラはしばらく、馬車に揺られながら手をかざし指輪をじっと見つめ続ける。


「そんなに喜んでくれるとは、もっと早く渡すべきだったな。」

カイルは笑いながら言う。


「そんな前から用意して頂いていたのですか?」

サラは思わずびっくりして、目を丸くしてカイルを見る。


実は、ボルテを助け出した翌日には探し始め、気に入った物がなかった為、国王御用達の職人によって作り出された一点ものだった。


「秘密だ。」

笑いながら言われたが、サラは気になって仕方がない。

しばらくずっと指輪を見続けるサラの右手を握りカイルは寒く無いかと手を温め、手の甲にキスを落とす。


サラはビクッと体を揺らしカイルを見つめ、困り顔で言う。

「…お手柔らかにお願いします。

…これでは心臓がいくつあっても足りません…。」


カイルはそんなサラを見て、ハハッと声を出して笑う。


「サラが指輪ばかり見て、こっちを見てくれないから嫉妬した。」

と軽口を言う。


そんな事を言われ慣れないサラは真っ赤になって俯くしか無かった。


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