カイルとハク
しばらく休んでいると
コンコンコン
とノックの音がして、返事をしてドアを開けると、軍服を脱いで軽装になったカイルがいた。
カイルのプライベートを垣間見た様な気がして何故がドキドキと心が騒がしい。
「今からハクの所に行くが着いて来るか?」
忙しい1日だったはずなのに、私とのちょっとしたら約束も忘れずに声をかけてくれる。
この方はきっと女性にもモテるだろうな。
立ち振る舞いも堂々とした話し方も人を惹きつけるこの眼差しも、きっと身分差を通り越してたくさんの女性が寄って来るに違いない。
「疲れている様なら、またにするか?」
「あっ、いえ、行きたいです。」
夜の庭を2人歩く。
サラはあえてカイルの一歩後ろを歩く。
月明かりに照らされたカイルの前髪が揺れて綺麗だなぁと、ぼんやり思う。
昼間と違い静かで人の気配も無く、虫の音だけが辺りに響く。
「寂しいか?」
不意にカイルが立ち止まり振り向く。
「えっ?いえ大丈夫です。
三年前に父が突然連れて行かれ、生活ががらりと変わりました。
あれから1人でいる事には慣れました。」
「公爵家で生まれた者が、1人で共も付けず良く来たな。」
子供だと思って心配してくれてるのだろうか?
どこまでも優しい方だと思う。
「カイル団長は、お噂と随分違って優しいですね。」
笑みを浮かべてサラが言う。
「冷酷で恐れを知らない男だと?
平和を守る為、誰かがやらなければならないのだ。それがたまたま俺であっただけ。」
「軍人とは大変なお仕事だと思います。
並外れた精神力、忍耐力、判断力が無ければ命も落としかねない。
それを貴方は一人で担っている。尊敬します。」
「はははっ。そんなに大した男では無い。
ただ目の前にある課題をこなして、気付けばここに居ただけだ。」
カイルは軽く笑い飛ばす。
「それに比べて、僕はこの三年何をしていたのだろうと、父を助け出したいと思うだけで、自分を守る事で精一杯だった…知らない所で多くの人が動いてくれていたのに…嫌になります。」
「そんな事を考えていたのか…
両国の友好の為、平和の為にボルテ公爵が居なくては成り立たない。
その証拠に、三年前と今とでは貿易も人々の気持ちもだいぶ変わった。
とても不安定な平和だ。いつ崩れてもおかしく無い。」
カイルは思う。
この少年が担う未来はとても重たいと。
「俺はいつも、人の上に立ちたいと思って戦っているのでは無い。
見知った人を、仲間を、誰一人かける事なく守りたいと思って戦っている。
それは、貴方のお父上の事も、貴方自身の事も、守り助けたいと思う事と同じだ。」
「寛大なお気持ちです。
大抵の人は皆、自分の私利私欲の為に生きると言うのに…。」
「貴方のお父上は民の為に、周りの平和の為に生きる方だ。
自分を犠牲にしても守りたいのだと、貴方もその血を継いで今ここに来たのでは無いか?」
ふと、ジーナやルイ、マーラや村の人々の顔が浮かぶ。お父様はきっとみんなを守る為に自分を犠牲にしてまでも守り抜いたんだ。
「それを俺に教えてくれたのは他ならぬボルテ公爵だ。」
涙が溢れそうになる。
『自分の為に生きるな。誰かの為に生きなさい。それが回り回って自分の幸せに繋がるのだ。』
お父様が言っていた言葉を思い出す。
「父の言葉を思い出しました。
カイル団長、父の意志を継いで下さりありがとうございます。」
心からの笑顔でお礼を言う。
カイルは瞬間、眩しい物を見たかの様に眼を細める。ドクンと心臓が躍るのを感じ戸惑う。
言葉を失い、しばらくこの少年を見つめてしまう。
「……
泣くか、笑うか、どちらかにしろ…。」
そう呟きまた前を向いて歩き出す。
先程よりもゆっくりと。
ハクの厩舎に入ろうとした時、
バサァと言う音と共に後ろに竜が舞い降りた。
「ブルーノ!
どうしたの?ブルーノもハクに会いたかったの?」
サラが笑いながら言う。
「…本当に自由な奴だな。」
若干呆れ顔でカイルがブルーノの頭を撫ぜる。
「ハクがどう出るか分からないけど、お前も来るか?」
「…すいません。」
と、サラが小さく謝ると、カイルはブルーノにしたようにサラの頭をポンポンと撫ぜる。
えっ⁉︎
と驚き心臓がドキンと跳ねるが、カイルは何事も無かったかのように先を歩く。
何を動揺してるの私、カイル団長から見たらただの少年に接してるだけなのよ。
冷静に対応しなくては。
厩舎の中は天井がとても高くてランプで所々照らされていた。
この広さで一頭しかいないなんてとても贅沢な対応だ。
「他の竜は、この広さで10頭ずつ暮らしている。この中は特に束縛されず自由に出来るようになってるが、たまにケンカもする。
ケンカした者を別の棟に移したら最後にはハクだけ残ったんだ…。
ハクは強いがここで1番扱い辛い厄介な竜だ…。」
「でも、カイル団長はハクと1番長く一緒にいるんですよね?」
「こうなっては腐れ縁という感じだが…。」
苦笑いしながら話す。
丁度建物の中央部に来た時、バサバサと羽音がどこからともなく聞こえ黒い物体が頭すれすれに飛んでくる。
ブルーノがガァーーっとひと声威嚇する。
次の瞬間、不意にサラは手を掴まれ前に引っ張られる。トンっとカイルの背中に全身でぶつかってしまう。
わっ⁉︎っと思い慌てて離れるが、男らしい鍛え上げられた鋼の様な筋肉を感じ、サラの心臓はドキンドキンとあらぬ方向に脈打ち、顔は真っ赤に火照ってしまう。
どうしようもなく動揺し、必死で隠していた女の顔が出てしまう。
掴まれていない方の手で真っ赤になった頬を抑えて俯く。
そんなサラの動揺には気付く事無く、カイルはハクを叱る。
「ハク、お前はそうやって人を揶揄うな。
普通に降りて来い!」
カイルはサラを背に守りながらハクを睨む。
バサァーっと風が巻き起こり一頭の白い竜が目の前に降り立つ。
「まったく…。
お前に会いたいと客人が来たんだ。
少しは行儀良くしてくれ。」
サラを掴んでいた手が緩んだとたん、急いでサラはカイルから離れブルーノの背に隠れる。
ブルーノはサラを隠す様に身体を丸め匿ってくれる。
「リューク殿申し訳ない、怖がらせたか?」その姿を見てカイルは謝る。
「…い、いえ。びっくりしただけです…。」
真っ赤になった頬を隠そうとしただけだったがそう言って動揺を隠す。
「ハク、青い竜ブルーノだ。
お前よりかなりの年長者だ、ちゃんと敬えよ。」
カイルはハクに言い聞かせる。
竜に上下関係があるのかは疑問だが、どうやらハクも大人しくその場に座りこちらを見ている。
「餌でもあげてみるか?」
中央付近の水飲み場の近くに餌箱がありまだ手付かずに置いてあった。
「今日は多めに餌を置くように伝えたからブルーノも食べていいぞ。」
カイルの何げ無い気配りにサラはさすがだと感心する。
こんな人にときめか無い女子なんているはずがない。きっと誰もがほっとく筈は無いし、婚約者くらいいるんだろうな…
こんな時に心奪われちゃ駄目よ…サラは自分に言い聞かせる。
「わざわざありがとうございます。」
気持ちを整え、ブルーノから離れたサラは餌箱からりんごを一つ手に取り、ハクに差し出してみる。
「初めまして。ハク、とても綺麗な鱗だね。キラキラ輝いてまるで宝石みたい。」
ハクにそっと話しかけた。
ハクはジッとサラを見ていた。
カイルは、ハクがまた悪戯しないよう手綱を掴む。
内心サラは、ハクが手からなんて食べてくれないと思っていた。
中身は女だし、感や匂いに鋭い竜が見間違える訳がない。
でも仲良く慣れたら嬉しいけど。
そこにいる誰もが無理かと諦め始めた時、
しばらくそのまま林檎を見つめていたハクがパクッとサラの手から小さなリンゴを行儀良く食べた。
カイルはサラの手まで食べられてはいけないと、瞬間、パッとサラの手を掴み守る。
サラはそんなカイルのふとした気遣いさえもドキッとしてしまう。
カイルはと言うと、サラの動揺はまったく気付く事も無く…
ただ、信じられないと言うようにサラの手とハクを何度も見遣る。
「凄いな!
リューク殿はどんな竜でも手懐けられるのか?」
普段からブルーノ以外の竜に接した事が無いサラは小首を傾けながら言う。
「何故食べてくれたのか…僕もよく分からないです…」
触れても大丈夫かなぁとそっと手を差し出すと、ハクは自ら鼻先を押し当てくる。
「ハクいい子だね。仲良くしてね。」そっと撫でながら言う。
カイルもサラの隣から手を伸ばしハクを撫でながら不思議そうに2人を見る。
「良く分からないが、ハクがこんなに俺以外に懐いたのは見た事ない。」
二人でしばらくハクとブルーノに餌を与える。
意外と二匹の相性も良さそうで餌を取り合う事も無く、何となくハクがブルーノに歩み寄っている様にも見える。
「ハクが借りてきた猫のように大人しい。」
「普段こういう風に他の竜と食べることは無いんですか?」
「ああ、他の竜の餌まで食べたり本当に手のかかる奴なんだ。」
ため息を吐きながらカイルは言う。
「ブルーノは雌なんじゃないかと俺は思う。」
「雌ですか⁉︎」
本来、竜には雄、雌の区別はないと聞いていた。子孫を残す為、死の手前で卵を産むが、竜は生涯群れをなす事なく単独で行動する生き物だと教わってきた。
「顔付きが他の竜とは違って優しいんだ。
初めて見た時から思ったが、目つきが特に優しい。それに、リューク殿と一緒にいる時は世話を焼く母親のように見える。」
「そうでしょうか。
僕が産まれた時からずっと一緒なので気心が知れているせいじゃないですか?」
ハクとブルーノの顔を見比べる。
確かにハクの方が鋭い目つきでブルーノは凛々しいながら丸くて優しい眼差しだ。
性格的なのか、年を重ねてブルーノは穏やかになっただけなのかも知れないけれど、800年以上生きる竜の生態は身近な生き物でありながら、あまり知られていない。
他の竜をこれ程近くで見た事がないラサは個体差の違いでは?と思うくらいだが、これまでたくさんの竜を見てきただろうカイルが言うのなら一理あるのかも。
そう思いながら、本人に聞いてみようと思い立つ。
「ブルーノ、貴方は雌なの?」
首を左右に傾ける。きっと雌と言う言葉自体分からないのかも知れない。
はははっと笑い、カイルはブルーノの頭を撫ぜながら、
「竜にとっては性別なんてどうでもいいのかもな。」
と言う。
「よし、食後の運動にちょっと飛んでみるかハク。リューク殿一緒に乗ってみるか?」
不意にカイルはそう言って、サラを楽しげな目で見てきた。
「ぼ、僕の事を乗せてくれるでしょうか?」
「ハクがこんなに懐いているんだ。大丈夫だろう。」
そう言ってカイルはハクに鞍を乗せ、ヒラリと軽々背に飛び乗った。
それを下からサラはぼーっと見惚れていた。
「リューク殿、手を」
差し出された手におもむろに自分の手を重ねると、ぎゅっと掴まれ引き上げられてあっという間にカイルの後ろに乗っていた。
「あ、ありがとうございます…」
恥ずかしさのあまり俯きながらサラは言う。
「ここにいる間に、鞍に1人で乗れるようになれるといいな。」
「ごもっともです…。」
サラが俯いたまま返事をする。
「大丈夫だ。
俺もガキの頃、女みたいだって馬鹿にされていた。だから人一倍努力して、気付けばここまで昇り詰めた。
リューク殿はこれからだ。まだまだ何にだってなれるし、鍛えれば強くなれる。」
サラの頭を優しく撫でながら言う。
「僕もカイル団長みたいに強くなれますか?」
「ここまで1人で来れたんだ。もう既に強くなってるじゃないか。
よし、しっかり捕まってろ、飛ぶぞ。」
職務中とは違う笑顔でカイルが少年のように笑う。
つ、捕まるってどこにカイル団長の背中⁉︎
ムリムリ…女だってバレちゃう。
サラが遠慮がちに背中の服を掴んでいると、両腕を掴まて引っ張られ、カイルの腰に手を回す格好になってしまう。
慌てて離れようとしたが、グィーンと前に引っ張っられる感覚がして、ハクは加速を上げ外へと飛び出す。
その後をブルーノがついてくる。
瞬間、サラは叫びそうになるのをなんとか堪えて目をぎゅっとつむる。
「もう大丈夫だ。」
カイルの声に目をそっと開くと、
キラキラ瞬く満天の星に三日月が輝く。
「綺麗…。」
「今夜は特に空気が澄んでるから星が綺麗だ。」
カイルも優しい笑顔で話す。
どこが鬼団長何だろうとサラは思いながら笑い返す。
「夜に飛ぶのって気持ちいいんですね。
今まで、夜の飛行は怖いとばかり思っていて周りの景色を楽しむ余裕なんて無かったです…。」
「良かったな。
これからは夜も恐れず飛べるだろう。」
どこまでもカイルは優しく穏やかで、屈託なく笑う笑顔が少年みたいで眩しい。
ふと、亡くなった兄の事を思い出す。
あんなところで死んではいけない人だった。
とても頼りになって優しい兄だった。
いつもにこやかに笑っていた。
いずれは父の跡を継ぎ、強く優しい統治者になるべき人だったのに……。
涙がでそうになる。
唇をぎゅっと結び、冷静になろうと試みる。
「…家族が恋しいか?」
カイルが静かに話しかける。
「いえ。あまりに綺麗な夜景で感動しただけです…」
きっと、強がりだって分かるだろうけど、強くありたいと無理をして微笑む。
「…そうか。
こんな景色ならいつでも見せてやる。」
「ありがとうございます。」
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