第38話 私の好きな人


 深夜に、とおるの自宅に押しかけた甚外じんとだったが——大人の姿をした彼がもう普通の状態ではないことは、誰の目にも明らかだった。


「お願い、泰弦たいげんくん……アキも長老も呼ばないで」


 ベッドに座る甚外は、薄く薄く、消えそうになりながらも懸命に訴える。


 だがそんな甚外を、泰が受け入れるはずもなかった。

 

「何を言ってるの? 今から連絡するから——」

「本当は、東北に帰るつもりだったのに」

「東北に帰るってどういうこと?」

「別の契約者を見つけようと思って」

「そんなことして、アキさんが喜ぶと思う?」

「アキは泰弦くんと一緒にいるのが幸せなんだ。だからアキのたましい命玉めいぎょくに……」

「それはアキさんが決めることだよ」


 ダメだと言っても聞かない甚外だが、泰も譲らなかった。


 泰はいつになく厳しい顔つきで、國柊こくしゅうに告げる。


「國柊、長老を呼んで」

「わ、わかった」

「お願い、長老は呼ばない……で」

「ジンくん!」

 

 大気に溶けるようにして薄く儚くなった甚外は、そのままベッドに倒れ込んだ。






 ***






「アキ、起きろ」


 いつもなら、とっくに眠っている時間に——たもるお兄ちゃんがノックもなしに私の部屋に入ってくる。


「起きてるよ。どうしたの?」

「珍しいな、こんな時間に起きてるなんて」

「ちょっと胸騒ぎがして。もしかして、ジンくんに何かあった?」

「ああ。泰くんの家で倒れたらしい」

「泰くんのところで? どうして泰くんのところにいるの?」

「お前のたましい命玉めいぎょくに保存するよう、頼みに行ったみたいだ」

「ジンくんは……どうしてそんなことを勝手に決めるのかな」

「お前は何か体に異変はないのか?」

「うん。今のところ大丈夫だよ」

「だったら、今のうちに魂を命玉に入れてもらいなさい」

「え? なんで?」

「なんでじゃないだろう。ジンくんには悪いが、お前たちの命を助けるためだ」

「でもジンくんが」

「ジンくんのせいにするんじゃない。お前は死にたいのか?」

「違う、違うの」

「何が違うんだ?」

「私ね、ずっと考えてたんだ……ジンくんのこと。それで気づいたんだ。本当は私、自信があったんだ。心のどこかで」

「自信って、なんのことだ?」

「ジンくんとの契約がうまくいく自信だよ」

「お前、選べないと言ってたじゃないか」

「うん。本当は選びたくないんだ。どっちも大切な人だから」

「じゃあ、どうして」

「でも、選ばなきゃいけないなら、私は選ぶよ。たとえ誰かを傷つけても」

「……それでこそ、アキだな」

「お兄ちゃん」

「なんだ?」


 私がお兄ちゃんの腰にぎゅっと抱きつくと、お兄ちゃんは最初驚いた様子だったけど——そのうち私の頭を撫でてくれた。


 やっぱり、ジンくんや泰くんとはまた違うよね。


 そんなことを思いながらも、私は決意を口にする。


「ちょっと早いけど、私……お嫁に行ってくるね」

「そうか。お前が決めたことなら、それでいい」







 ***






「もう、どうしてジンくんは一人で抱えようとするの? 私がどうして再契約したと思ってるのよ」


 深夜の住宅地。 


 私は泰くんのマンションに向かって走っていた。


 本当はわかってる。


 あんなに好きだった泰弦くんに告白されても、返事ができなかった理由。


 子供のジンくんは可愛くて、でも大人の姿だとちょっとだけ緊張するのも……きっと理由があるんだ。


 わかりやすい一つの理由が。


 ずっとずっと、自分でもわからなかった気持ち。それに今ようやく気づいた。


 だから、待っててジンくん!


「——泰くん!」

「アキさん、こっち!」

 

 泰くんのマンションの前には、泰くんが待ち構えていた。


 その顔はいつもよりも心強く見えて——なんだか泰くんじゃないみたいだった。


 そんな泰くんの顔を見たら、少しだけ胸が痛くなったけど、泰くんはそんな私の気持ちを見透かしたように笑って手を引いてくれた。


 そして飛び込むようにして泰くんの部屋に入った私が見たのは——今にも消えそうな、ジンくんの姿だった。


「ジンくん!」

「……アキ……どうして来たの?」

「ジンくんがピンチだって聞いたから」

「アキはなんともないの?」

「うん。私はまだなんの予兆もないよ」

「なら、命玉に保存してもらって……」

「ううん。命玉には保存してもらわないよ」

「どうして? このままだと俺と一緒に死んじゃうよ?」

「きっと私たちは死なないよ。だって私は——」



 今度こそ、きっと大丈夫だと思うから。


 さすがに夫婦の自覚っていうのはわからないけど、私はきっと誰よりもジンくんのことが好きなんだ。



「消えないで、ジンくん!」


 そして私は、ジンくんの唇にそっと口付けを落とした。 


 最初は驚いて大きく見開いたジンくんだったけど、そのうち身を任せるようにしてジンくんは目を閉じた。


 すると、透けていたジンくんの体は次第にしっかりとしたものになって——ジンくんは私の口付けに答えるようにして、私に深く口付けた。


「……アキ」


 お互いに気持ちを確かめ合うようなキスをした後、ジンくんは大きな目で私を見つめた。


 改めて見ると、ジンくんって本当に綺麗な顔をしていたんだね。そんなことにも気づかないくらい、私たちは近くにいたんだ。


「遅くなってごめんね。私、きっとジンくんが好きだよ」

「きっと?」

「そう、きっと」


 私がそう言うと、ジンくんはちょっとだけ悔しそうな顔をする。


 そんなジンくんが可愛いと思うんだから、私も認めるしかないよね。


 泰弦くんに対してとはまた少し違うこの気持ち。


 決して好きなタイプでもなければ、一緒にいて面倒なこともあるけど——それでもこんなに愛おしく感じるんだから、もう間違いないよね。


「……あの、アキさん」


 ふいに、泰くんに声をかけられて思い出す。


 消えそうなジンくんを見て、咄嗟にキスまでしちゃったけど、ここにいるのは私だけじゃなかったんだ……。


 けど、こうなってしまった以上、私も覚悟を決めるしかなかった。


「ごめんね。泰くん。私、やっぱりジンくんが好きみたい」

「……そ、そっか。そうだよね」


 笑って「わかった。気にしないで」と言う泰くんは、いかにも泰くんだったけど——見ていた國柊くんが今にも泣きそうな顔で叫ぶ。


「アキ姉のバカ!」

「え」

「なんで兄さんのこと振るんだよ」

「どうして國柊くんが泣くの?」

「泣けない兄さんの代わりに泣いてるんだよ」


 盛大に声を上げながら泣く國柊くんを見て、泰くんは目を丸くしていた。


「こ、國柊」

「兄さんはもっと我儘でいいのに、どうしてそんな優しいんだよ」

「はは、國柊……ありがとう」

「振られたくせに、スッキリした顔しないでよ」

「でも、僕のために泣いてくれる人がいるから、僕もまだ頑張れる気がするよ」


 そう言った泰くんは、なんだか諦めたという感じではなかった。






 ***






 泰くんのマンションからの帰り道。


 私はジンくんと手を繋いで、住宅地を歩いていた。


 もう夜も遅いし、泊まっていけばいいと言われたけど、この状況を賜お兄ちゃんに早く伝えたくて、帰ることにしたのだった。

 

「本当に俺でいいの?」

「うん。私はジンくんと一緒にいるって決めたから」

「でも、俺を選んだら、もう泰弦くんとは——」

「推し活は続けるよ?」

「え」

「泰弦くんを応援したい気持ちはまだあるから」

「そっか……じゃあ、泰弦くんは永遠のライバルだね」

「嬉しそうだね、ジンくん」

「だって、アキが俺を選んでくれるなんて……想像もしてなかったから」

「これでもう、子供には戻れないの?」

「そんなことないよ。戻ろうと思えば、戻れるみたい……でもどうして? アキは子供の俺のほうが好きなの?」

「違う違う。大人のジンくんといたら、少し緊張するんだ」

「でも俺は、大人の方がいいな。だって、アキをたくさん抱きしめられるから」

「な、なんてこと言うの」

「アキは俺と触れ合うの、嫌いなの?」

「そそそそ、そんなことはないよ。でも、もうちょっと待って」

「何を待つの?」

「キスとか……恥ずかしい気持ちになるから」

「何が恥ずかしいの? 俺と口を合わせるのは恥ずかしいことなの?」

「そういう意味じゃないよ!」


 私が説明に困る中、どこからともなく奇怪な笑い声が響いてくる。


「ふおっふおっふおっ」

「長老!? いつの間に」


 ふらりと現れた長老に驚いていると、長老は満足そうに扇子で扇ぐ。


「心配して来てみれば……こんなことになっているとは、やれやれ……これで一安心だな」

「ありがとう、長老」

「どういたしまして」


 そして長老はそのまま去っていったのだけど。


 その翌日、長老の屋敷に行ったら——なぜかそこは廃墟と化していた。




「これって…どういうこと? 長老はどこに行ったの?」


 蔦が巻き付いて、何十年も放置されているように見えるお屋敷を、目を丸くしながら眺めていと——隣のジンくんが笑って告げる。


「俺たちを見守る役目が終わったんだよ」

「私たちを見守る役目?」

「きっと、どこかで別の妖怪を見守ってるんじゃないかな」

「それって……なんだか寂しいな」

「そうだね」


 ジンくんの理解者がいなくなって、少しだけ物悲しい気持ちになっていると、後ろから賜お兄ちゃんもやってくる。


「長老はもういないのか?」

「お兄ちゃん」

「あいつ、俺を監視してたんじゃなかったのか? いなくなってどうするんだ」

「あ、長老からメッセージだ」

「ジンくん、長老と連絡とれるの?」

「うん。何かあった時は困るから、連絡先の交換はしてるよ」

「俺の連絡先はいらないって言ったくせに」


 賜お兄ちゃんが少し怒り気味に言う中、ジンくんはさらに告げる。


「長老から賜に伝言だって。『そろそろ賜から自由になりたいので、もう賜を自由にします』……って」

「はあ!?」


 閑静な高台の住宅地にお兄ちゃんの叫び声が響く中、ジンくんと私は顔を見合わせる。


「長老とはまたどこかで会えそうな気がするよね」


 そう言った私に、ジンくんは笑顔で答えてくれたのだった。





                            

                                終わり


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