第37話 どっちが好き?
妖狐の仲間になればジンくんとの契約をなかったことに出来るという話を聞いてから、三日が過ぎた。
あの後もジンくんは頑なに
けど、だからといって他にできることもないし。
私——アキはいつもの日常を送っていた。
いつも通り学校から帰宅した私は、重い体を引きずってリビングに入る。
すると、エプロン姿の
「おかえりアキ」
「もう、ヤダ。テストボロボロだったよ」
「だろうな。今回は仕方ないから許してやろう」
こんな風にやりとりしてると、ジンくんや私に危機が迫っているなんて思わないよね。
「今日のご飯は何?」
「かき揚げだよ」
「やった! ——って、ジンくんは?」
「まだ長老の家だ」
「そっか……ジンくんがいないと、静かな感じがするなぁ」
私がなんとなく寂しさのようなものを感じていると、お兄ちゃんが優しい顔で笑う。
「アキはジンくんが好きか?」
「うん」
「じゃあ
「うん、好きだよ」
「……アキがその状態だと、契約を進めるのは難しいな」
「なんで?」
「アキは恋心というものがわからないんだな」
「……そうだね。ジンくんや泰くんも私のことを好きって言ってくれるのは嬉しいけど、私は同じ気持ちにはなれないから……」
「申し訳ないと思うか?」
「うん」
「人の気持ちは意図的に作れるものでもないからな……自然と気持ちが生まれることを祈るしかないな」
「お兄ちゃんには好きな人いるの?」
「残念ながら、俺にも恋心というものがわからないんだ」
「私はお兄ちゃんに似たのかな」
「こら、人のせいにしないで、早く着替えなさい」
「はーい」
……ジンくん、明日は帰ってくるかな?
いると面倒だけど、いないと寂しいよ——ジンくん。
***
アキが学校から帰宅した頃。
長老の屋敷に滞在していた
非常時でも長老なら対処できるからとアキには伝えていたが——本当のところは甚外自身が帰りたがらず、とどまっているのである。
どこまでも頑固な甚外を見て、長老はため息を吐く。
「甚外よ。いつまでわしのところにいるつもりだ?」
「だって、アキの顔を見たら口を合わせたくなるから」
「邪な座敷わらしだな」
「俺はアキに嫌われたくないんだ」
「……そうか」
「どうしよう、こんなにアキに触れたくなるなんて……でも、きっとたくさん触ったらアキに嫌われるよね」
「アキ殿も甚外なら許してくれそうだが」
「これって契約のせいなのかな?」
「違うな。それが——恋だろう」
「……これが恋」
「だがこのままアキ殿から逃げるわけにもいかんだろう?」
「……でも今日だけは長老のところに居させて」
「今回だけだぞ」
***
「おかしい。ジンくんが帰ってこない」
ジンくんが長老のうちから帰らなくなって、一週間が過ぎた。
最初はジンくんから「そのうち帰る」というメッセージもあったけど、次第にそういった連絡もくれなくなっていた。
……何かあったのかな?
それとも私のことが嫌いになったとか?
私がリビングでぐるぐる歩き回りながら考え込んでいると、賜お兄ちゃんがやってくる。
「どうしたんだ? アキ」
「どうしたもこうしたもないよ。今後のことを話そうにも、ジンくんが帰ってこないから何も話せないんだよ」
「今後のことか……アキはどうしたいんだ? ジンくんとの契約を今度こそ確かなものにするのか? それとも泰くんの仲間になるのか?」
「私は……ジンくんが助けられれば、それでいいと思う」
「こらこら、逃げるんじゃない」
「逃げてなんかないよ」
「自分の答えを、ジンくんに委ねているだろう? 俺はアキの本音が聞きたいと言ってるんだ」
「私の本音? 私は……」
「お前がやりたいようにすれば、きっとジンくんも泰くんも納得すると思うぞ」
「でも、ジンくんは泰くんの仲間になりたくないって言うし」
「お前はジンくんに、泰くんの仲間になってほしいのか? 契約はなかったことにして」
「だって、それしかジンくんが生き延びる方法はないでしょう?」
「そうか? 単純にお前がジンくんのことを好きだと認めれば、泰くんの力を借りなくて済むと思うが」
「私がジンくんを?」
「お前は、ジンくんと泰くん、どちらが好きなんだ?」
「……わからないよ。私にとってどちらも大切だから」
「どちらかを選べば、どちらかがいなくなると思っているのか?」
「うん。やっぱり私には選べないよ。二人とも友達がいい」
「だが、そんなわけにもいかないぞ。ジンくんも泰も、友達ではおさまらないところまできているんだから。まあ、アキが決めたことなら、どちらも選ばないという選択肢もあるが」
「どちらも選ばなかったら、どうなるの?」
「二人とも気が狂うぞ」
「……サッパリわかんないんだけど」
「ジンくんも泰くんも、それだけアキのことが好きだということだ」
「結局、どうすればいいかアドバイスはくれないんだね」
「俺のアドバイスが聞きたいか?」
「うん」
「なら、どちらか一方を選ぶことだな」
「それを回避したいのに」
「いいことを教えてやろう」
「なにを?」
「二兎を追うものは一兎も得ず、という言葉がこの国にはあるんだ」
「……知ってる」
「なら、どうすればいいかわかるだろう?」
「私は……どっちも好きなんだよ。だから、二人とも側に居てほしかったの……でもやっぱり、ダメなのかな」
「好きな人が、自分を好きだということが、どれだけ幸せなことか知っているか?」
「……」
「好きな人と一緒になれる贅沢を俺はまだ知らないがな」
「お兄ちゃんは、好きな人と一緒になれなかったってこと?」
「好きな人なんていないと言っただろう」
「嘘だよね。その顔は嘘ついてる」
「いつか、お前が大切な誰かを選んだら教えてやるよ」
「……」
***
「
音楽番組の出番が終わり、メイクをとっていた
すると、泰はスカイブルーのジャケットを脱ぎながら言い返す。
「い、いきなりなんだよ。なんで國柊にそんなこと言われないといけないんだよ」
「だってさ。狐の命玉って最終兵器を出したのに、アキちゃんの気持ちを尊重するとか言って、結局仲間にしないし」
「それはアキさんが決めることだろう? そりゃ、僕だってアキさんと仲間になれたら嬉しいけど」
「泰兄さんは、肝心なところ押しが弱いんだから。そこは兄さんが引っ張らなきゃ」
「引っ張るって言っても……アキさんが決めることだし」
「ジンくんとの婚約の話を聞いて、長老のところに飛び込んだところまではカッコよかったのに」
「そそそそ、そうかな?」
「今の兄さんはカッコよくないよ」
「そんなこと言われたって……」
「いっそアキ姉のこと押し倒すくらいの気持ちで好きをぶつけてきなよ」
「おおおおおおおおお、押し倒す!?」
言葉にするだけで卒倒しそうな泰を見て、國柊が大笑いする中——黒いジャージに着替えた
「こらやめろ、國柊。泰で遊ぶんじゃない」
「だって、いつまでも煮え切らないしさ。こっちはモヤモヤするんだよね」
「大事なのはアキちゃんの気持ちだろう」
「アキ姉もアキ姉だよね。どうして泰兄さんを選ばないんだろう」
「それはアキちゃんにしかわからないことだな」
「だって、推しに告白されて、OKしない理由がわからないよ」
「だったら、そういうことなんだろう」
「まさか」
「それだけ……ジンくんのことが好きってことだろう」
「そういうことなの?」
「アキちゃんも気づいていないようだがな」
想像でしかない琉戯の言葉だったが——その言葉が真実だと思えた泰は、悲しい息を吐いた。
「アキさん……」
それから泰のマンションに移動したSJ一行だが、泰を応援するためと称して國柊がピザパーティを開いた——そんな時だった。
ダイニングテーブルにピザを広げていた矢先、インターホンが鳴った。
「はい、どちら様ですか? ……って、ジンくん?」
モニターに映ったのは、大人の姿をした甚外だった。
だがその髪は白く——いつもと違う様子が泰にはわかった。
泰は慌てて玄関に出ると、ふらつく甚外を支えて自室に連れて行く。
「泰弦くん、ごめんね」
「ううん、いいよ。それよりどうしたの? その姿」
「こんなに早く、契約の最終段階が来るなんて思わなかった」
ベッドに座らせた甚外は、今にも消えそうな儚さを醸していた。
琉戯や國柊も見に来るが——声をかけられる様子でもなかった。
そんな中、泰は甚外に訊ねる。
「……これから、どうするつもり?」
「俺はいいんだ。このままで……だから、アキを泰弦くんの仲間に入れてほしいんだ」
どうやら、甚外が泰の自宅を訪れたのは、アキを仲間にするようお願いするためだったらしい。
弱りきった甚外は、同じことを繰り返し呟くが、今にも目を閉じてしまいそうだった。
すると、そんな甚外に、今度は琉戯が声をかける。
「甚外も仲間になればいいじゃないか」
「いいんだ。だから、どうかアキを仲間に……」
そればかり言う甚外に、拳を強く握りしめた泰が声を荒げる。
「ばばばばば、バカにしないで!」
「え? 泰弦くん?」
「ジンくんもアキさんも素直になってよ」
「アキは泰弦くんのことが好きだよ」
「なんで気づかないの? アキさんはあんなにジンくんのことばかり考えているのに」
泰が悔しそうに告げる中、甚外は自分を抱きしめながらうずくまる。
「うっ」
まるで残像のように薄くなった甚外の体を見て、國柊は悲鳴を上げた。
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