第35話 予感




 座敷わらしのジンくんと人間である私が、過去に婚姻の契約をしたもの——夫婦としての自覚? が足りないために契約を破棄する羽目になった。

 

 でも契約を破棄したところで、ジンくんが元のジンくんに戻ることはできないらしくて、そんなジンくんを救うべく私はある決断をした。


 それは私がジンくんと再契約をするということ。


 実は私は座敷わらしと人間のハーフらしくて、夫婦としての再契約が可能だという。

 

 なら、使わない手はないでしょ?


 ジンくんがピンチなら、なんだってしてあげたいと思うのは本当で。


 たとえそれが私の将来を左右するようなことだったとしても、それでも私は喜んで再契約したいと思う。


「それで、再契約ってどうすればいいの?」


 訊ねると、たもるお兄ちゃんは言葉を詰まらせた。


「それは……」


 すると、長老が扇子で扇ぎながらため息を吐く。

 

「やれやれ、アキ殿は知らなくて良いことを」

「長老も私の親のことを知っているの?」

「ああ、お前の父親は、初めて人間と縁を結んだ座敷わらしだ」

「初めて人間と?」

「そうだ。本来は座敷わらし同士で婚姻を結ぶものだが、何を思ったのかお前の父親は人間を選んだんだ」

「お父さんが……人間を」

「だがお前さんの父親は行方がわからなくなってな……仕方なしに、お前さんたちの成長を賜に見守らせていた」

「私たちを見守るって……賜お兄ちゃんは何者なの?」


 その問いに答えたのは、お兄ちゃん自身だった。


「俺は過去に罪を犯した死神だ」

「死神?」

「ああ……同胞を死に追いやったことで、俺の体も人間になった……はずだったんだが」

「はずだった?」

「なぜか死神としての力が今も残っているから、長老に監視されている身だよ」


 その言葉に、長老は笑いながら付け加える。


「まあ、わしにはトッケビの力がほとんど残っていないから、監視しても無意味だがな」

「それで、どうして賜お兄ちゃんは私たちを預かったの?」

「長老の勝手だよ。自分では育てられないからって俺の元にお前ら兄妹を連れてきたんだ」

「……これからもお兄ちゃんって呼んでいいの?」

「もちろんだ」

「よかった」

「お前は……俺のことが恐ろしくないのか?」

「どれだけ一緒にいると思うのよ。いまさら、お兄ちゃんが死神だからって嫌ったりしないよ」


 私がそう言うと、長老が微笑ましそうに告げる。


「アキ殿は、本当にあやつそっくりだな」

「それって、私のお父さんのこと? それともお母さん?」

「ああ。アキ殿の父親も破天荒な座敷わらしだった」

「そっか、私のお父さんは座敷わらしなんだ」

「それよりも、アキ殿は良かったのか?」

「何が?」

「甚外との契約だ」

「当たり前じゃない。あんなジンくんを放置なんて出来ないよ」


 それから私は、長老の指示に従ってジンくんと再契約を果たした。


 といっても、ジンくんはまだ眠っているんだけど。


 契約は簡単なもので、呪文とキスだけだった。 


 そして二時間後、ようやく元の黒髪に戻ったジンくんが、意識を取り戻した。


「……アキ?」

「ジンくん!」

「あれ? 俺は……死んだはずじゃ……?」


 和室でゆっくりと身を起こしたジンくんに、長老が扇子で扇ぎながら告げる。


「アキ殿のおかげだ」

「アキの? アキ、俺に何をしたの?」

「もう一度契約したんだ。ジンくんと」

「どうやって?」

「私にも、座敷わらしの血が流れてるんだって」

「アキも? 座敷わらしなの?」

 

 ジンくんの問いに答えたのは、私じゃなくて長老だった。

 

「そうだ。アキ殿が十年前に東北にいたのは、父親の里帰りのためだったんだ」

「里帰り……」

「でもこれからどうするんだ? 婚姻を結んだところで、お互いの心を手にいれなければ同じことの繰り返しだろう?」


 難しい顔をする長老の向かいで、今度は賜お兄ちゃんが口を開く。


「とりあえずジンくんとデートでもするか?」

「賜よ……もうちっと真面目に考えんか」


 長老に呆れた目で見られて、お兄ちゃんは苦笑する。


 デートと言われて、私も考えてみるもの……。


「デートかぁ……でもこんな状況でジンくんとデートしてもいいのかな?」

「こんな状況? なんの話だ?」


 目を瞬かせる長老に、私は笑って誤魔化す。


「ちょっとね……」


 まさかこのタイミングで、とおるくんから告白されたなんて言えない。


 そんなことを思っていたら、お兄ちゃんがまるで私の心を見透かしたように告げる。


「もしかして、泰くんから告白されたのか?」

「なんで知ってるのよ」

「いや、いつかは言うだろうとは思っていたから」

泰弦たいげんくんばっかりズルイ」

「ジンくん?」

「アキは泰弦くんのことは意識しても、俺のことは弟としか見てくれないんだ」

「そんなことないよ。ジンくんも男の子だもんね?」


 私が慰めるように言うと、長老が冷やかすように告げる。


「おお、アキ殿が珍しく甚外じんとに気を使っている」

「じゃあ、俺とも一緒に遊ぼうよ」

「でも、まず泰くんに返事しなきゃ」

「アキは泰弦くんのほうがいいんだ」

「ジンくん…」

「俺だって、アキのこと好きなのに」

「わかったよ……ジンくんと遊んでから、返事を考えるから」

「ほんとに?」


 見上げてくるジンくんは、可愛い弟にしか見えなかったけど、その丸い目にじっと見られると弱いんだよね。


「甚外よ……いつからそんなあざとい妖怪になったんだ」


 長老のツッコミに私も同感だった。






 ***






 それからジンくんとデートすることになった私だけど、ジンくんが来たいと言ったのは、遊園地じゃなくて、長老の屋敷から近い山奥だった。


 エキゾチックな雰囲気の衣装が飾られている屋台や、VRで旅行が体験できるパビリオンなんかがあるその場所は、私も知らないテーマパークだった。


「ジンくん、ここって……」

「世界民族博物館だって。一度来てみたかったんだ」

「へぇ……私も来るの初めてだよ。にしても、今日はどうしてその姿なの?」


 隣を見ると、青いコートを着た大人のジンくんがいた。


 いつもと違うジンくんだと、違和感があるというかなんというか……。


 私が少しだけ照れながらそっぽを向いていると、隣からクスリと笑う声が聞こえた。


「いつもの姿だと、弟だと思われるでしょ?」

「確かにそうだけど……なんだか落ち着かないな」

「それって、俺のことを意識してくれてるってことだよね」


 その言葉に、ふと私は泰くんに告白された時のことを思い出す。



 ——アキさん、俺のことを意識してくれてるんだね。



 あの時の泰くんは、なんだかいつもと別人に見えたんだよね。


 なんでだろう。


 私がついこの間のことを思い出してポヤポヤしていると、ジンくんが首を傾げながらこちらを見る。


「アキ?」

「え? あ、うん」

「どうしたの? アキ」

「ううん、なんでもない」


 ……はあ、泰くんには、なんて返事すればいいんだろう。


 私が泰くんのことばかり考えていると、ジンくんは無言で私の手を繋いだ。




「——すごいね。これからショーが始まるみたいだけど……あのおじさん、ずっと電話してる」


 野外ショーがあると聞いて、屋台通りでスタンバイするもの——民族衣装を着たおじさんたちは、なぜか電話ばかりして何もしなかった。


「なにかあったのかな?」

「仕方ないから、次行こう」


 それから私はジンくんに手を引かれて、屋台でご飯を食べたり、民族衣装を着て写真を撮ったりした。


 世界各地の食事ができるから、欲張って三回もご飯を食べたら、もうお腹はパンパンで、民族衣装を来た自分がパンダのようだった。


 楽しかった。


 ジンくんと一日一緒にいることって、これまであまりなかったけど、今日のジンくんは確かに弟なんかじゃなかったかもしれない。


 そういえばそうだよね。


 ジンくんは私よりもうんと大人なんだもん。

 

 いつもは私が引っ張ってばかりだったけど、こうやって優しくリードしてもらうのも心地良かった。


 なんだろう、この気持ち。


 ドキドキとワクワクが詰まった宝箱を開けたみたいな高揚感。


 けど、楽しい時間ほど短くて、気づくと陽が暮れていた。




「今日はあっという間だったね」


 ジンくんの言葉に、私は素直に頷く。


「うん」

「アキは楽しかった?」

「うん。楽しかったよ」

「泰弦くんとデートした時よりも?」


 そういうこと、聞くかな普通……。


 今日のジンくんは大人に見えたけど、やっぱり子供かも。


「それはわからないけど……」

「……そうだよね。ありがとう、アキ」

「ジンくん?」

「俺はきっと、この先もずっとずっとアキのことが好きだよ」

「そんなこと言われたら、照れるかも」


 ジンくんに最高の笑顔を向けられて、私は自分でも気づかないうちに、だらしない顔で笑っていた。






 ***






「おはよう、泰くん」


 早朝の教室。


 登校するなり、泰くんがいつになく真面目な顔を私に向けてくる。


「おはよう。えっと……あの、アキさん」

「なあに?」

「今日は帰りに時間あるかな?」

「うん、大丈夫だよ」

「じゃあ、ちょっとだけいいかな?」


 もしかして、告白の返事のことかな? どうしよう、何も考えてなかった。


 でも私、もうジンくんと契約したから、泰くんとは……。


 推しが悲しむ顔を想像するだけで、その日は一日中モヤモヤして落ち着かなかった。


 大事な推しを泣かせたくないのに……もう、どうすればいいのよ。


 そして複雑な気持ちのまま、放課後のその時がやってくる。


 屋上で泰くんは、さっそく訊ねてきた。


「それで、あの……アキさん」

「うん」

「告白の返事を……」


 だよね。返事を……しなきゃだけど。


 これはもう、事情を説明するしかないかなぁ。


「ごめん」

「え?」

「実はさ……ジンくんと小さい頃に婚約してたみたいだから、泰くんとは付き合えないんだ」

「ジンくんと……婚約?」

「そうなの。だから泰くんとは付き合えないんだ」

「それって、……アキさんの意思で?」

「え?」

「子供の頃に交わした約束で、アキさんは今もジンくんのことが好きってこと?」

「それは……」

 

 確かに、今の気持ちがどういうものなのか、自分でもよくわからないけど。


 でも——。


「そんなの、アキさんがかわいそうだよ。小さい頃の約束に縛られるなんて」

「でも、ジンくんと婚約した以上、ジンくんが——」

「それで、ジンくんはどこにいるの?」

「え?」

「婚約をなかったことにするように、僕がジンくんに言って来る」

「ダメだよ、そんなことしたら、ジンくんが死んじゃう」

「どういうこと?」

「……あ」

「僕の知らないところで、何が起きてるの?」

「それは……」

「とにかく、告白の返事はあとでいいから、ジンくんに言ってくる」

「まって、泰くん!」

「それともアキさんは、ジンくんのことが好きなの?」

「……わからない。でもジンくんを死なせたくない」

「アキさんお願い、詳しい話を聞かせて」






 ***






 アキから甚外との契約について聞いた泰が向かった先は、長老の屋敷だった。

 

 理不尽な契約だと思った。


 死をちらつかせて脅すような形でアキとの婚約をとりつけるなど、あってはならないことだと——泰は思う。


 だからいてもたってもいられず、長老のところにやってきた。


 勝手に屋敷に上がり込んだ泰は、廊下で長老を見つけるなり声を上げた。


「長老!」

「なんだ、とおるか? どうした?」

「ジンくんいますか?」

甚外じんとがどうかしたか?」

「アキさんとジンくんが婚姻の契約してるって本当?」

「アキ殿が言ったのか?」

「そんなのアキさんがかわいそうだよ」

「だが、決めたのはアキ殿だ」

「それでも、僕は認めない」


 泰の言葉に、長老は困惑のため息を落とした。






 ***






 泰が長老の屋敷を突撃した頃。


 私、アキは自宅マンションに帰宅したばかりだった。


「あれ? 賜お兄ちゃん。ジンくんは?」


 リビングのカウンターキッチンで揚げ物を始めていたお兄ちゃんに訊ねると、お兄ちゃんは菜箸を持ったまま首を傾げた。


「そういえば、今日はジンくんの姿が見えないな。長老のところにでも行ったんだろう」

「長老の……ところ?」


 おかしいな。今日はジンくん、真っ直ぐ帰るって言ってたのに……。


 それに、なんだか嫌な予感がする。


 いつもだったら、長老の家に行くと言っても、気にしない私だけど——なぜか胸騒ぎが止まらない私は、咄嗟にスマホを開いていた。




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