第33話 瀕死の人外


 好きな人とは口を合わせるものだと教えてくれたのはアキだった。


 初めて出会った時、アキはまだ小学生で——夏休み中、毎日遊んで秘密基地を作って、それから深い森を冒険した。


 そして夏休みが終わる直前、怪我をしたアキに俺は契約を持ちかけたんだ。



 ——それは、お互いが持つものを交換する契約——






 ***

 

 




 長老の屋敷に滞在していた甚外じんとだったが、髪は老人のように白くなり、掘りごたつに座り込んだまま動けなくなっていた。


 そう、長老はアキに嘘をついた。


 本当はずっと、甚外は長老の屋敷にいたのだ。


「もうダメなのかな……」


 遠い過去を想いながら呟く甚外じんとに、長老は意見する。


「契約を破棄すれば良いではないか」

「ダメだよ。契約を破棄すれば、きっとアキは俺のことを忘れてしまうから」

「だが、死ぬよりもマシじゃないか」

「またアキに忘れられるくらいなら、死んだほうがマシだよ」

「甚外よ……アキがいなくても、世の中には他にも女はいるぞ」

「俺はアキがいいんだ。他の人なんていらない」

「強情な座敷わらしだな」

「うっ」

「甚外!」


 胸を押さえてうずくまる甚外に、長老は焦ったように近づく。


 甚外の命が儚くなっているのは明白だった。

 

「……そろそろ体が言うことを聞かなくなってきたみたい」

「アキ殿を呼ぶか?」

「やめて! アキを呼ばないで」

「どうしてだ? アキ殿と口を合わせたら解決するんじゃないのか?」

「口を合わせるには、恋人にならないといけないって言ったのは長老だよ」

「力を少しでも返してもらえばいいじゃないか」

「璃空さんの体内に閉じ込められた時に気づいたんだ。アキの優しさはわかったけど、俺のことを特別だとは思ってないよ。きっとアキは泰弦くんが好きなんだ」

「甚外よ……」

「だからお願い、アキを呼ばないで……」


 甚外は懇願するが、見ていられなくなった長老は、スマホを手にしていた。


「……もしもし、たもるか? 実はお願いがあるんだが」






 ***






「え? ジンくんが……長老のところに?」


 アキの自宅マンションで、いつものように夕食の仕込みをしていた賜だったが——長老からの着信は珍しく、調理の手を止めて電話を受けていた。

 

 ——用件は、甚外のことだった。


 甚外の様子がただごとでないことを告げた長老は、いつもの明るい調子ではなく。冗談などではないことがうかがえた。


『ああ。だからアキ殿を連れてきてくれないか?』


 緊急であることはすぐにわかった。


 だがアキは自宅にはいなかった。


「それが……アキは音楽フェスに行ってるんです」

「タイミングが悪いな。そうか……甚外の命もここまでということか」

「バカなことを言わないでください。ジンくんは死なせない」

「どうするつもりだ?」

「俺が契約すればいいでしょう?」

「どあほうが。それで済むなら、とっくにわしが契約しとるわ」

「できないんですか?」

「お前は甚外と愛しあえるのか!?」

「ああ、そうか。とりあえずアキにも連絡はしておきます」

「ああ、そうしてくれ」






 ***






「今日はありがとう、泰くん」


 野外音楽フェス帰りの夜。


 ジンくんが大変なことになってるなんて知らない私——アキは、泰くんと歩道橋を歩いていた。

 

 と言っても、家まで送ってもらっているだけなんだけど。


 それでもイベントの打ち上げにも出ずに、家まで送ってくれるなんて、申し訳ないやら、照れ臭いやらで複雑な心境だった。


「ううん、それより……アキさんにハート送ったの、わかった?」

「うん、ハートくれたよね。なんだかくすぐったかったけど。泰弦くんのファンサはいつも凄いよね」

「さっきのハートは……あああ、アキさんだけに送ったんだよ」

「そうなの? ありがとう……それより良かったの?」

「何が?」

「打ち上げに参加しなくても」

「うん。アキさんを送る方が大事だから」

「お兄ちゃんに迎えに来てもらっても良かったのに」

「ぼ、ぼぼぼ僕が送りたかったんだ。もしかして、迷惑だった?」

「そんなことないよ。泰弦くんに送ってもらえるなんて、こんな贅沢はないよね」

「そ、そうかな」


 泰くんは照れ臭そうに笑っていたけど、ふいに笑顔を消した。


「あ、アキさん」

「うん、どうしたの?」

「アキさんにずっとずっと言いたかったことがあるんだ」

「私に言いたかったこと? なあに?」

「ぼ、ぼぼぼぼ、僕は……」


 いつも真面目な泰くんだけど、いつも以上に真面目な顔をして向かい合う泰くんに、私はなんだか——心臓が忙しなくなる。


 なんだろう……かしこまって。


 私がドキドキしながら次の言葉を待っていると、泰くんは何度も言葉を濁しながら告げる。


「じ……じじじ実は僕、アキさんのことが——」

「ちょっと待って、泰くん」

「どうしたの?」

「なんだか急にジンくんのことが気になって……」


 なんでだろう。こんな時に、ジンくんのことが気になるなんて。

 

 何か嫌な予感のようなものがした。


 けど、その時——。


「アキさん」

「わ」

 

 ふいに優しい両腕に包まれて、私は目を丸くする。


 え? 何? 何が起きてるの?


 もしかして私、泰くんに……抱きしめられてる?


 その暖かくて硬い感触に驚いていると、泰くんは耳元で低く告げる。


「今はジンくんのことを考えないで」

「え?」

「僕と一緒にいる時は、僕のことだけ考えてほしいんだ」

「えっと……と、泰くん?」

「あのね、アキさん。僕、アキさんのことがずっとずっと前から好きだよ」

「え」

「やっと言えた」

「泰くん」

「アキさんは僕のこと、どう思ってる?」 

「ちょ、ちょっと待って……私、そんなこと言われても」

「いやだった? 僕にこうされること」

「そういうわけじゃないけど……緊張する。それに、ドキドキしてる」

「少しは僕のこと、意識してくれてるってこと?」

「……でも信じられないよ」

「どうして?」

「だって、SJなら、女の子選び放題なのに」

「アキさん、ひどい。僕はアキさんが好きって言ってるのに」

「でも、推しに告白されるなんて、どんな反応していいものやら……」

「アキさんはいつも通りでいいんだよ」

「いつも通り?」

「そうだよ。僕はそのままのアキさんが好きなんだ」

「そっか……」


 嬉しさと気恥ずかしさが入り混じった私は、どうしようか考えながら泰くんの暖かさに身を委ねていたけど——その心地よさに浸っていた、その時だった。


 ——ドクンと、心臓が大きく波打つような感覚になる。


「まただ……」

「どうしたの、アキさん?」

「ものすごく嫌な予感がするの」

「嫌な予感?」


 泰くんは心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


 ……けど、ジンくんのことが心配……だなんて言えない。


 だって、今泰くんに告白されたばかりなのに、他の男の子のことを考えるなんて。


 でもジンくんは弟みたいなものだし……。


「ううん、なんでもない」

「返事はすぐじゃなくていいから」

「返事?」

「そうだよ。僕の告白の返事」

「そ、そっか。告白されたんだもんね」

「でも、なるべく早く聞きたいな」

「うん……わかった」






 ***






「お兄ちゃん、ただいま〜って、いない?」


 泰くんに告白されたなんて、信じられないまま。


 私はふわふわした気持ちで帰宅するけど、なぜかいつもキッチンにいるはずの賜お兄ちゃんがいなかった。


「おかえり、アキ」


 そしてリビングで出迎えたのは、珍しく帰宅の早い南お兄ちゃんだった。


みなみお兄ちゃん。たもるお兄ちゃんは?」

「それが、今日は早く帰ってくると聞いていたんだが」

「また急な仕事が入ったのかな?」


 それから南お兄ちゃんの豪快な焼きそばを食べたあと、自室に移動した私は、枕を抱きしめてベッドに飛び込んだ。


「あー、嘘みたい。泰弦くんに告白されちゃったよ。こんな贅沢ないよね!」


 でもどうして返事を保留にしちゃったんだろ。


 泰弦くんなら、即返事すれば良かったのに……。


「そういえば、フェスからずっとスマホの電源切りっぱなしだった」


 私は切りっぱなしだったスマホの電源をつける。


 すると、賜お兄ちゃんからのメッセージが山のように溜まっていた。


「なにこれ……ジンくんが危険?」


 その尋常じゃない数に、緊急性を感じ取った私は、気づくと部屋を飛び出していた。


「おいアキ、こんな時間にどこ行くんだ?」


 玄関で靴を履いていたら、南お兄ちゃんが訊ねてくる。


 私はスマホを見ながら告げる。


「ちょっと賜お兄ちゃんに呼ばれてるから、行ってくる」

「賜兄さんがどうかしたのか?」

「うん、ジンくんが長老の家で体調壊したみたいで」

「俺も行ったほうがいいか?」

「ううん。お兄ちゃんは家にいて」


 私は動揺しながらも、そう言って足早にマンションを出たのだった。






 ***






「……ジンくん、大丈夫かな」


 高台までの長い道のり。


 長老の屋敷に向かって懸命に道路を歩いていた私だけど——。


「ねぇ、君一人?」


 ふと繁華街にさしかかったところで、スーツのおじさんが話しかけてきた。


 やっぱり、こんな時間に一人で通る場所じゃないよね。


 それにしても、このおじさん、長老のおじさん人形にソックリ……。


「……急いでますので」


 けど、私が素通りしようとしたら、しつこいおじさんが前に立ち塞がった。


「急いでるなら……良かったら車で送ってあげようか?」

「けっこうです! そこをどいてください」

「大丈夫、何もしないよ。ほら、車に乗りなよ」

「触らないでください!」

「ちょっと大人しくしなよ。何もしないからさ」

「いや! 賜お兄ちゃん!」


 おじさんに手を引かれて、どこかに連れて行かれそうになったその時。


『アキ』


 大人の姿をしたジンくんが、私の前に現れた。

 

 ジンくんはおじさんから私の手を引き剥がすと、おじさんを睨みつける。


「ジンくん……?」

『アキから離れて』


 ジンくんの気迫に、おじさんはすでに気圧され気味になっていたけど——。


 私には、ジンくんの姿が透けていることがわかった。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る