第31話 帰還
「やっぱり俺の力、弱くなってるかも……」
自分以外をアキのマンションへ退避させた甚外だが。
再度、移動を試みても何も起こらなかった。
「二回に分けて飛べば、いけると思ったんだけど」
周囲を見回すと、すぐ近くに壁が迫っていた。
あれだけ広かった病院フロアが、いつの間にか狭くなっていることに気づく。
このままこの場所にとどまれば、生きてはいられないだろう。
「アキに口を合わせてもらってから、力を使えば良かった」
だがきっと、アキは首を縦には振らないに違いない。
口を合わせたいなら、気持ちを通わせないといけないと長老は言った。
それでアキのそばにいる努力をした甚外だが、アキの心は全くもって動く様子がなかった。
それどころか、
「どちらにしろ、俺は死ぬ運命にあるのかな」
暗い気持ちで偽物の天井を見上げると、そこは淀んだ色をしていた。
***
「ねぇ、ジンくんはどこ? 一緒に帰るはずだったんじゃ」
いくら数えてもリビングには一人足りなくて、私——アキは焦っていた。
すると泰くんはまさかという顔で口を開く。
「もしかして……僕の代わりに残ったの?」
「どうしよう……ジンくんだけ帰ってこないなんて」
「まあ、そう案ずるな。あいつも何か策があって残ったのかもしれん」
長老は相変わらず悠長だったけど、
「でも長老、早く帰らないとあの建物消えちゃうよ。ジンくんごと」
「あの女、最後まで面倒くさいやつだな」
そう言った
「私、もう一度あの建物を見に行ってきます」
「やめておけ、どのみちあの建物にはもう入れないはずだ」
「でも、ジンくんが」
長老は
「人間にどうこうできる問題じゃない」
「だからって、じっと待ってるなんてできません!」
長老の言葉を跳ね除けると、泰くんが驚いたように見開く。
「アキさん?」
自分でも不思議なほど動揺していた。
「私、ジンくんのところに行ってきます」
「何をバカなことを……死にたいのか?」
琉戯さんまでもがそんなことを言うけど、私は止まらなかった。
「もちろん、二人で生きて帰るんだから!」
そんな感じで今にも部屋を飛び出そうとする私だったけど——そんな時、
「おい、アキ」
「何よ、止めても無駄だからね! お兄ちゃん」
「この槍を持っていけ」
そう言って、お兄ちゃんがくれたのは本物の死神の槍だった。
「この槍があれば、一人くらいなら
「ありがとう! お兄ちゃん」
「だがくれぐれも無茶はするなよ」
「いや、じゅうぶん無茶だぞ」
長老のツッコミを、私は聞かないふりをした。
***
「あれからどのくらい時間が経ったのかな? なんだかすごく寒い」
廃ビルの病院フロアの片隅で小さく膝を抱えた甚外は、寒さに耐えるように自分を抱きしめる。
このまま眠れば、きっと起きることはないだろう。
「最後に……アキに会いたかったな」
そんなことを呟いた——その時だった。
————ジンくん!
「え? 今、アキの声が……」
「ジンくん!」
自宅に送ったはずのアキが、なぜか駆け寄ってくるのを見て、甚外は目を瞬かせる。
突然現れたアキは大きな槍を手に、甚外の前に立った。
「本物の……アキ?」
「ジンくん、助けに来たよ」
「一人で来たの? どうやって?」
「この槍があれば、空間に穴が空けられるんだって」
「死神の槍?」
「うん。私がわざわざ
「もともと賜の槍だから仕方ないよ」
「そうなの? お兄ちゃんがどうして槍なんか持ってるの? もしかして、代々受け継がれる家宝とか、なのかな?」
「そんなことより、早くその槍で脱出しよう」
「わかったよ」
「アキ、槍を貸して」
アキの槍を手にした甚外は、そこらじゅうにある壁を破壊した。
だが、穴までは空かず、景色の崩壊だけが進んでいた。
「どうしよう、槍で壊すことはできるけど、空間まで破れない。俺の力が弱すぎるんだ」
「ジンくんの力が?」
「ねぇ、アキ。お願いがあるんだ」
「なあに?」
「口を合わせてほしいんだ」
「え!? こんな時に何を言ってるの!?」
「こんな時だからだよ。このままじゃ、俺たちは璃空さんと一緒に消滅してしまう」
「キスしたら……助かるってこと?」
「うん」
「……わかった」
アキが小さく頷くと——甚外は少し背伸びをしてアキに近づく。
「子供のジンくんとキスなんて……なんか変な感じ」
「今は躊躇わないで」
「うん」
アキが屈んでそっと口付けると、甚外の姿に変化が起きる。
黄色いTシャツから青いコートに装いが変わった甚外は、アキに深く深く口づけ返した。
そして啄むような口づけが終わると、甚外は優しく微笑みながらアキを見下ろす。
「ありがとう。アキの優しさが伝わってきたよ。さすがに全部は回収できなかったけど」
「どういうこと?」
「でもこれで一度くらいは力が使える」
言うなり、ジンくんは天井に手をかざした。
***
「アキさん、大丈夫かな?」
自宅マンションでは落ちつかず、廃ビル近くの公園に移動した泰は、不安な顔をしていた。
「そんなに心配なら、ついていけば良かったのに」
國柊に指摘されて、泰は言い訳のようにこぼす。
「だって、
「泰くんが行けば、邪魔になるだけだ」
そんな風に賜が冷たく言い放つと、國柊は呆れたように息を吐いた。
「邪魔って、ひどい。これでも兄さんは妖怪だよ? アキ姉に行かせるほうがよっぽど危険なのに」
「ジンくんがいるなら、アキ一人でじゅうぶんだ」
その確信ありげな賜の言葉に、長老も訊ねる。
「槍だけで帰れるものなのか?」
「さあ。けど、アキがいれば、ジンくんは力が使えるはずだ」
「よくわからないけど、ジンくんにはアキ姉が必要ってこと?」
國柊が首を傾げるのを見て、賜はふっと笑う。
「そうだ。運命共同体だからな」
「なんですか、それ。まるでアキ姉がジンくんのものみたいに……」
「ジンくんはアキで、アキはジンくんだから」
「そうは言うが……」
賜の言葉に、長老が怪訝な顔をする中、
ふいに、公園が光に包まれると——。
甚外とアキが木の上から舞い降りてくる。
突然現れたアキたちに、泰は慌てて駆け寄った。
「アキさん!」
「泰くん?」
「無事で良かった……」
「心配かけてごめんね」
「ジンくんも無事で良かった……けど、なんでその姿に?」
「アキに口を合わせてもらったんだ」
「ちょ、ちょっとジンくん!」
「それは、ちゃんとアキさんの了承を得たの?」
「じゃないと、脱出できなかったから」
「……」
憮然とする泰の肩を、長老はポンポンと軽く叩く。
「そう怖い顔をするでない、泰よ」
「ジンくんには負けないから」
「と、泰くん?」
「アキさんを好きな気持ちは、ジンくんには負けないから!」
泰の宣戦布告に、甚外も前に出る。
「俺も、泰弦くんには負けないよ」
「おお、寒くても火鉢いらずだな」
悠長に笑う長老を見て、琉戯は呆れた顔をする。
「長老はどうしてそんなに呑気なんだ?」
「他人事だからな」
「俺は泰兄さんを応援するから」
「ありがとう、國柊」
親指を立てる國柊の傍ら、甚外は自分に言い聞かせるように呟く。
「俺は必ず、アキを幸せにするんだ」
「ジンくん……あ、そういえば! 璃空さんが消えたら、長老はどうなるんですか?」
アキが話を振ると、長老は目を瞬かせる。
「なんの話だ?」
「だって、璃空さんに名前と力を奪われたんでしょ?」
「ああ、もちろん少しずつ元に戻っているが……完全に元に戻ることはできないだろうな。それに今は、この長老という名前が気に入ってる」
「確かに、今さら長老を璃空さんなんて呼べないかも」
「名前なんてそんなものだ」
「そんなものかなぁ」
***
「ねぇ、アキさん。クレープ食べたくない?」
公園から自宅に向かって帰る途中。
泰くんが私——アキにいつになく強くクレープをすすめてきた。
「うーん、どうしようかな? クレープ食べるならお兄ちゃんに確認しないと……でもお兄ちゃん、先に帰っちゃったし」
なんて言ってると、今度は反対側にいたジンくんが私の袖を引いた。
「ねぇ、アキ。肉まん食べようよ」
それを聞いて、泰くんは不機嫌な顔をする。
「ちょっと、僕が先に聞いたんだけど?」
「アキは肉まんが好きなんだよ」
泰くんとジンくんが言い争う中、遠巻きに見ていた長老がやれやれとため息を吐く。
「あやつらは……もう隠しもしないのだな」
「泰兄さんもジンくんも必死だね」
國柊の傍らで、琉戯も気になる様子だった。
「アキちゃんはどうするんだ? あの二人の気持ちはわかっているんだろう?」
「やっぱり、推しが一番だから、兄さんを選ぶんじゃない?」
國柊が自信満々に言い放つ中、長老はふと暗い表情を見せる。
「まあ、どちらを選んでも、アキ殿は苦しむだろうがな」
「それってどういう意味?」
「……そろそろタイムリミットだ」
長老の呟きは、誰の耳にも届かなかった。
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