第26話 世界で一番近い推し


 璃空りくうさんに間近で睨まれながらも、


「槍を返してくれないなら、私にだって覚悟があります」


 私——アキがそう宣言すると、ごくりと固唾を飲む音が聞こえた。


「アキ? 何をするつもりなの?」


 ジンくんも不思議そうに見守る中、私は気合いを入れて雄叫びを上げたあと、璃空さんに密着して——そのをくすぐった。


「こーちょこちょこちょこちょ!」

「あはははははは!」


 こういうのは得意なんだよね。


 小さい頃、南お兄ちゃんと戦う時は体格差がありすぎて勝負にならなかったし。


 痛めつける以外に相手を負かす方法だってあるんだから!


 なんて私がお兄ちゃんとの喧嘩を思い出しながら璃空さんの体中をくすぐっていると、周りの皆は目を丸くしていた。


「こちょこちょこちょこちょ……どうですか? 辛いでしょう?」

「何するの……あははははは……苦しいっ やめなさいよ!」

「イヤです! 槍を返してくれるまでやめません」

「だったら……〝狐の命玉めいぎょく〟で」

「きつねのめいぎょく?」


 私が首を傾げていると、黙って見ていたリュウギさんが声を上げた。


「マズイ! あれを使われたら——」


 そのリュウギさんの焦りようを見て、傍観していた長老は訊ねる。


「なんの話だ?」

「俺たちの宝があの女に盗まれたんだ。しかも宝と言っても、命そのものがな」

「命そのもの?」

「ああ、あれがあれば、妖狐を意のままに操れるんだ。だからあいつにだけは使わせてはいけない」


 リュウギさんの言葉を聞いて、泰くんも声を上げる。


「アキさん! 逃げて」

「え?」


 けど、もう遅くて。


 璃空さんはすでに呪文のようなものを唱え始めていた。


「狐たちの命よ、私に力を貸しなさい」


 璃空さんが水晶玉のようなものを空に掲げた次の瞬間、周囲の人たちがピタリと動きを止めた。


 そして——。


「なに? どうしたの? とおるくん? 國柊こくしゅうくん? リュウギさん?」


 泰くんや國柊くん、それにリュウギさんだけでなく、学ランの男の子たちまでもが私や長老やジンくんを囲んだかと思えば——。


 拳を前に構えた泰くんたちは、まるで敵を見るような表情で私たちを睨みつけた。


「おい、やめろ! お前たち」


 叫んでも、長老の声は届かなくて。


 泰くんたちはじりじりと間合いを取りながら近づいてくる。


 その顔があまりにも怖くて、私は思わず璃空さんから離れて息を飲んだ。


「今度こそあなたたちもおしまいね。だって私は琉戯たちの命を握っているんだもの」


 高らかに笑う璃空さん。


 私が後ずさる中、泰くんが苦しそうな声を放つ。


「あ、アキさん……逃げて」

「泰くん?」

「ごめん、体が……言うこと聞かないんだ」


 かろうじて意識を保っていた泰くんだけど、そのうち「殺してやる」としか発しなくなった。


「アキ」


 珍しく弱気な顔をするジンくんの手を、私はぎゅっと握る。


 泰くんたちに追い詰められる中、おじさん人形たちも現れて——絶体絶命の状態だった。


 ——ああ、もうどうすればいいのよ!


「ジンくん!」

「アキ、逃げて!」


 泰くんの拳が近づいて、もうダメかと思われた——その時だった。


 ——ガシャン、と硝子の割れるような音が響くと、泰くんたちがいっせいに倒れた。


 そしていつからそこにいたのだろう。


 気づくとすぐ隣に——賜お兄ちゃんがいた。


「え? お兄ちゃん」

「悪いが璃空りくう、お前の命は俺がもらい受ける」


 お兄ちゃんはそう言って、璃空さんに近づきながら右手を高く上げた。


「槍よ、来い」


 すると、お兄ちゃんの声に反応するように、天井に長い槍が現れて——お兄ちゃんの手に収まる。


 そしてお兄ちゃんは手にした槍の先を璃空さんに向けたかと思えば——。


「やぁああああああ!」

「……あ」


 槍で璃空さんの胸を貫いていた。


「琉戯……」


 お兄ちゃんに槍で刺された璃空さんが、ぽつりとこぼす中、


「一緒にいられなくて……ごめんな、ソア」


 元に戻ったリュウギさんが、そう苦々しく告げた。






 ***






 賜お兄ちゃんに槍で刺された璃空さんは、その後風のように私たちの前から姿を消した。


 しかも璃空さんが〝めいぎょく〟を落としていってくれたおかげで、泰くんたちは元に戻ったのである。


 ——本当に良かった!

 

「あ、あの……アキさん。大丈夫?」

「うん。私は大丈夫だよ」

「……ごめん……僕はもうちょっとでアキさんのことを」

「あの時は璃空さんに操られてたから、仕方ないよ」

「でも、俺はアキさんをもう少しで……」

「もう、泰くんは気にし過ぎだよ」

「でも、いくら自分の意思じゃないからって……もうアキさんとは一緒にいられないよ」

「どうしてそんな悲しいことを言うの?」

「だって、僕は……キミに危害を加えるところだったんだ」

「でも、それは泰くんの意思じゃないでしょ? だったら、何も悪いことはしてないよ」

「でも〝狐の命玉〟がまた奪われたりしたら、次こそアキさんに危害を加えるかもしれない」

「バカだな、泰くんは。そんな次はきっと来ないよ。だから怖がることなんて何もないんだよ」

「アキさん」

「大丈夫、いざとなったら、私が助けてあげるから」

「どうやって?」

「わからないけど……今から勉強するよ」

「アキさん……」


 泰くんの目が涙で滲む中、そんな泰くんと私の間にジンくんが入ってくる。


「泰弦くんのこと、アキが助けなくていいよ」

「え? ジンくん?」

「いざという時は、俺が助けるから」

「ジンくん……」

「今回、何もできずにいた甚外じんとが、助けられるとは思わないがな」

 

 ジンくんの言葉を台無しにした長老を、ジンくんはじっと凝視する。

 

「長老、邪魔しないで」


 そんな風にジンくんがいつになく怒った顔をする中、長老はまるで何もないように話題を変えた。


「それよりたもる、どうしてここに?」


 長老にいきなり話を振られて、賜お兄ちゃんは慌てて答える。


「ああ、槍が気になって」

「お兄ちゃん……長老と知り合いなの?」


 私の言葉に、お兄ちゃんが言葉を詰まらせていると、長老はくるりと背中を向ける。


「……さて、璃空もいなくなったことだ、わしは帰るとするか」

「あ、逃げるつもりですか?」


 お兄ちゃんにじとっと睨まれても、長老は口笛を吹いて誤魔化す。


 長老ってこういう人だよね……。


「それよりお兄ちゃん。なんでその槍をお兄ちゃんが持ってるの?」


 私が改めて訊ねると、お兄ちゃんはいつになく言いにくそうに答える。


「ああ、これな……拾ったんだよ」


 拾った?


 さっき、何もない天井から現れたように見えたけど……?


 私が胡散臭い目でお兄ちゃんを見ていると、今度はジンくんがお兄ちゃんに訊ねる。


たもる

「なんだい、ジンくん?」

「賜も人間じゃないの?」

「……そ、そんなわけないだろ! さあ、家に帰るぞ」

「お兄ちゃん、その槍お爺ちゃんのところに持っていくからちょうだい」

「ダメだ。これは俺が返す」

「なんで!? 依頼をもらったのは私なんだよ?」

「……俺が拾ったんだから、俺が持ち主に返すの」

「そんなこと言って、バイト代、お兄ちゃんがもらうつもりでしょ?」

「お兄ちゃんはそんなことしないよ」

「だったら、私もついていく」

「は?」

「返すところ、ちゃんと見届けるんだから!」

「……お前は、いつからそんな」


 呆れたようにこぼすお兄ちゃんに、ジンくんも同調して呟く。


「アキが金の亡者みたいだ」

「だって、推し活するもん」

「……はあ、もう。わかったよ。槍はお前が持っていけ」


 仕方ないとばかりに言うお兄ちゃんに、私は拳を高く上げて歓喜乱舞する。


「やった! これでまた推し活できる。——あ、そうだ。泰くん、さっき私に何か言うって言ってなかったっけ?」

 

 私が泰くんに話を振ると、泰くんはぎくりと肩を強張らせる。


「え?」


 すると、國柊くんがニヤニヤしながら泰くんに耳打ちした。


「泰兄さん、頑張れ!」

「えっと……また今度にするよ」

「泰兄さん、どうして!?」

「どうしてって……もうちょっとでアキさんを殺すところだったんだよ?」

「それはあの璃空とかいう女のせいでしょ?」

「でも、不可抗力だからって、許されることじゃないよ」

「……兄さん」


 何がなんだかよくわからないけど、國柊くんがしょんぼりと肩を落とす中、リュウギさんがおかしそうに笑う。


「バカだなお前は」

「琉戯兄さん?」


 目を丸くする泰くんに、リュウギさんは言った。


「人間の命は短いんだ。放っておいたら、あっというまに死ぬんだぞ?」

「な、なんてこと言うんだよ、琉戯兄さん」


 若干ひいている泰くんに、リュウギさんはさらに告げる。


「だから、後悔する前に言いたいことは言っとけ」

「琉戯兄さん……」

「俺みたいな失敗を、お前はするなよ」

「え?」

「俺はソアとの愛を永遠だと思って、放置しすぎたんだ。だからあいつは寂しさのあまり、別の妖怪にそそのかされてしまったんだ。だからお前も、後悔するようなことはするんじゃない」

「でも俺は、アキさんを……」

命玉めいぎょくは今度こそ俺たちが守ればいい話だろ? だから、早く言ってこい」

「琉戯兄さん、ありがとう」


 泰くんはそう言ってリュウギさんから私へと視線を戻すと——かしこまって告げる。 


「あのね、アキさん」

「うん」

「実は僕……『SJ』の泰弦なんだ」

「?」

「アキさん?」

「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回お願い」

「だからね、『SJ』の泰弦なんだよ」

「ごめん、突風のせいでやっぱり聞こえなくて」

「風なんて吹いてないよ」

「何を言ってるのか、耳に入ってこないんだもん。もう一度お願い」

「だーかーらー、僕は『SJ』の泰弦なんだってば」


 え? たいげん? たいげんって何?


 私の知ってるたいげんは、『SJ』の泰弦くんで……。


 その泰弦くんが泰くん?


 どういうこと?


 私が混乱を極める中、泰くんはメガネとウイッグを外して見せる。


 そこには、私のよく知る推しの姿があった。


 その衝撃の事実に、私は思わずドサッ——と重い音とともに倒れる。


「え? アキさん? アキさん!?」


 耳元でよく知る甘い声を聞きながら、私の意識は遠のいていった。



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