第7話 恋敵


 珍しく遅い時間にやってきたとおるくんに、私——アキが目を丸くする中。


 ジンくんはいつものように「泰弦たいげんくん、こんばんは」と挨拶した。


 ——こういうところ、しっかりしてるんだよね。


 妖怪だから見たまんま子供ってわけでもないんだろうけど。


「え? あ、こんばんは……じゃなくて」


 つられて挨拶する泰くんだけど、思い出したようにかぶりを振る。


「違う、僕は泰弦たいげんじゃなくて、とおるだよ。それより、キミに話があるんだけど……できれば二人になれないかな?」


「わかった」


「じゃあ、私がしばらく部屋を開けるね」


「ごめん、アキさん」


 泰くんの話の内容は気になったけど、きっと大事な話なんだろうなと思った私は、素直に部屋を出て行った。

 

 


 ***




泰弦たいげんくん、話ってなあに?」


「キミは東北から来た〝座敷わらし〟だと聞いたけど」


 アキが去った後、とおるが指摘すると、甚外じんとと名乗る人外は素直に頷いた。


 ──が、


「うん、そうだよ。泰弦くんと同じだよ」


 予想外の返しに、泰は慌てて否定する。


「ぼ、僕は人間だよ」


「半分だけだよね」


「キミはそんなことまでわかるの……?」


 甚外に嘘は通じないと悟った泰は、驚いたように甚外を見つめる。


 甚外は小さく笑って頷いた。


「うん。俺の周りには半分だけ妖怪の人がたくさんいたから」


 だが、泰が聞きたいのはそんな話ではなかった。


 泰は単刀直入に訊ねる。

 

「……それよりも、キミは何の目的でアキさんの側にいるの?」


「俺はアキに口を合わせてもらうんだ」


「アキさんに手を出したら、僕が許さない」


「どうして?」


「どうしてって……それは僕がアキさんのこと……」


「え? なあに?」


「僕はアキさんのことが……ごにょごにょ」


「泰弦くんの声が小さくて聞こえないよ」


「それはともかく! キミにはアキさんのそばから一刻も早く離れてほしいんだ」


「イヤだ」


「どうしても嫌だって言うなら、力ずくでも離れてもらうよ」


「力比べなら、俺も負けないよ」


 二人して好戦的に構える中、その時ふいにドアをノックする音が響いた。


「……話は終わった?」


「あ、アキさん」


「お菓子とケーキ、どっちがいい?」


 何食わぬ顔で入ってきたアキに、泰は先ほどとはうってかわり、しどろもどろ答える。


「い、いえ、あの……おかまいなく」


「泰弦くんはアキのことが好きなの?」


 唐突な甚外の言葉に、泰は大きく仰反のけぞる。


「え、ええ!?」


「だって、泰弦くんの空気が桃色になったから」


「そ、そんなこと……」


「もう、ジンくん。泰くんをからかっちゃダメでしょ? それに泰くんは泰弦くんじゃないって、何度言えばわかるの?」


 アキが叱るように言うと、甚外は純粋さが滲む大きな目でアキを見上げる。


「アキみたいな人を鈍感って言うんだって」


「は? いきなり何?」


「長老が言ってた」


「もう、長老はジンくんに変な言葉ばかり教えるんだから」


「長老は変なの?」


「まあ、変だよね。それで、なんの話してたの?」


「あのね、泰弦くんが……」


「わああああ! 言わないでよ」


 子供のように素直な甚外の言葉を、慌てて遮る泰だが……。


「泰くん、どうしたの?」


 アキはアキで、無垢な顔で首を傾げた。


 泰はそんなアキを可愛いと思うもの、さすがに甚外との話を説明するわけにもいかず、慌てて言い訳を探す。


「いや、これはその……男同士の秘密だから」


「なんで秘密なの?」


 だがアキがさらに食いついてくるとは思いもよらず、泰は口の中でもごもごと咀嚼そしゃくするように告げた。


「なんでと言われても……言ったらきっとアキさんが困るから……」


「アキが困るの? ……わかった。じゃあ、言わない」


 意外にも泰の言葉を拾った甚外はそう約束する。


 そんな泰と甚外のやりとりを、アキは怪訝な顔で見守っていた。


「二人してこそこそ話して、なんなの?」


「アキが困るから言わないんだ」


「ちょ、ちょっと」


 言わないと言った側から秘密を漏らそうとする甚外に、泰は慌てて口を挟むが……。


「私が困る? 何を言ってるのかわからないけど……泰くんはジンくんのこと怖くないの?」


 アキは別のことが気になった様子だった。


「え? 何が?」


「だって、泰くんは……ジンくんが大人になった姿を見たでしょ? ジンくんが人間じゃないって話もしたし……だから気になってうちに来たのかなって」


「あ、ああ……そうだったね。僕は彼のことを怖いとは思わないけど……アキさんこそ、ジンくんのこと怖くないの?」


「私? 私は……ジンくんを怖いとは思わなかったな。なんでだろ」


「も、もし彼がアキさんに牙をむいたら……どうする?」


「ジンくんが? そんな風に見える?」


「……見えないけど」


「私のこと心配してくれてありがとう。でも大丈夫だよ……最初は面倒な子につきまとわれて迷惑だったけど……今では弟みたいなものだし」


 そんなアキの言い分に、黙って聞いていた甚外が口を開く。


「弟じゃない、俺はアキの花婿だ」


「はいはい、未来の花婿さんね。中身が成長したら、考えなくもないよ」


「え!? アキさん!?」


「冗談だよ。こうでも言っとかないと、ジンくんしつこいから」


「やっぱり……彼をアキさんのそばに置いとくわけには……」


 甚外のことを改めて危険だと思う泰だが、全てを言い終える前に、アキの部屋のドアが開いた。


「おい、泰くんも晩飯食って帰るか?」


「え、あ」


 入ってきたのは、アキの兄、たもるだった。


 誰に対しても気さくな賜は、泰のことも良き友人としていつも迎えてくれた。


「泰くんは一人暮らしだろ? 良かったら、飯くらい食ってけよ」


「あ、ありがとうございます」


 泰が深々とお辞儀をすると、そんな泰の袖を甚外が引いた。


「泰弦くんはカレー好き?」


「え? あ、ああ」


「俺はチキンのカレーが好きなんだ! 賜の作るカレーはすごく美味しいんだ」


 無邪気な笑顔で言う甚外にひるむ泰だったが、賜はそんな甚外をたしなめる。


「こらこら、賜兄さんだろ?」


 その様子は、どう見ても普通の家庭にしか見えなかった。


「危険な妖怪……か」


「どうしたの? 泰くん」


「なんでもない」




 ***




「──それで、あいつのことを追い出さずに帰ってきたのか?」


 とおるがアキの家から帰宅した頃には、すっかり夜も深くなっていた。


 部屋で待ち構えていた琉戯りゅうぎに責めるように言われて、泰は言い訳のように口の中で呟く。


「……危険な感じがしなかったから」


「お前は鈍感だからな。もしあいつがアキちゃんに襲い掛かったらどうするんだ?」


「それは大丈夫だと思う。彼はアキさんのことを……大切にしてるみたいだったし……それにまだ子供だよ」


「子供の姿をしていても、妖怪なんだぞ?」


「僕が見張ってるから、きっと大丈夫」


 そう断言する泰だったが、ずっと静かに見守っていた國柊こくしゅうが口を挟む。


「……泰弦兄さんはそれでいいの?」


「何が?」


「恋敵をアキねえのそばに置きっぱなしで」


「こ、恋敵?」


「そうでしょ? あの子はハッキリ言ってたし。アキ姉のことが好きだって」


「だからって、彼がアキさんとどうにかなるとは思えないし」


「本当にそう思う?」


「……」


「いっそのこと、あの人外を兄さんの家に住まわせたらどう?」


「そ、それは……」


 アキから甚外を引き離すのは嬉しい話だったが、さすがにそんな話が実現するとは思えず、泰がどもっていると──。


「ダメだ」


 琉戯が許さなかった。


琉戯りゅうぎ兄さん?」


 國柊こくしゅうが甚外に負けないくらい愛らしい目を瞬かせていると、琉戯はさらに告げる。


「あいつに害はなくても、あいつはいつか泰弦に害をもたらすだろう」


「どういうこと?」


「座敷わらしについて、調べてみたんだが……あいつを狙う人間が世の中にはごまんといるんだ」


「彼を狙う人間が?」


「そうだ。富と繁栄を求めて、〝座敷わらし〟を狙う人間がな。それに俺たちが巻き込まれたらどうするつもりだ」


 そのまっとうな言葉に、泰はそれ以上反論することができなかった。




 ***




 翌日の放課後。


 授業が終わった直後、私──アキの机に、由宇ゆうがやってくる。

 

「アキ、今日はどうする?」


「それがさあ、小学校にジンくんの教科書を受け取りに行かないといけないんだ」


「えー。つまんない」


「それとも教科書受けとってからで良ければ、遊びに行く?」


「うん、それがいい。でもジンくんが学校に行くようになったら、もうアキを迎えには来ないんだよね」


「そうだね……そうだといいけど」


「寂しいくせに」


「そんなことないよ! ジンくんがいなくて清々するし」


「アキは素直じゃないんだから」


 その由宇の言葉に、私は苦笑するしかなかった。




 ***




 ──二時間ほど遡る。


 アキがまだ午後の授業を受けていた頃、甚外じんとはアキの学校に向かって繁華街を歩いていた。


「小学校かぁ……久しぶりだな」


 座敷わらしと生活する人間は大抵二通りに分かれる。


 富と繁栄を享受きょうじゅするために座敷わらしを崇める者、もしくは虐げて手に入れようとする者。


 大抵は利益を急いで後者に走る者が多く、甚外は外に出して貰うことすら少なかった。


 だがまるで家族のように扱うアキのおかげで、豊かな生活を手に入れることが出来た甚外は──自分が人外であることすら忘れて、すっかり油断していた。


 そしてそんな時だった。


「やあ、僕」


 ふいに、みなりの良い老人に声をかけられて甚外は素直に立ち止まる。


 杖をついた老人は、人の良さそうな顔で笑みを浮かべた。


「なあに? お爺ちゃん」


「ちょっと道を教えてくれないか?」


「俺、道わかんないよ」


「困ったのう。駅に行きたいんじゃが」


「駅ならわかるよ。すぐそこだから」


「そうか。じゃあ、一緒に来てくれないか?」


「わかった」




 ***




「遅いなぁ、ジンくん」


 放課後、ジンくんの小学校に教科書を取りに行く予定があるので、校門の前でジンくんが来るのを待っていた私、アキだけど──いつまで経っても、ジンくんは現れなかった。


「いつも先に待ってるのに、珍しいね」

 

 一緒に待っていた由宇の言葉に、私も頷く。


「……どうしよう」


「小学校で待ち合わせにしたら?」


「そうしたいけど、ジンくんはスマホ持ってないんだよね。ちょっとお兄ちゃんに連絡してみるよ」


 痺れを切らした私は、賜お兄ちゃんに電話するけど──。


「もしもし、お兄ちゃん? ジンくんってもう出た?」


『は? ジンくんなら、一時間前に出たけど……まだ着いてないのか?』


「……え?」


 賜お兄ちゃんの言葉に、さすがの私も青ざめるしかなかった。




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