第3話 今日の推し事



「お兄ちゃん、お弁当!」


「ほら、持っていけ」


 朝から騒がしい佐渡さわたり家のリビング。


 たもるお兄ちゃんからお弁当を受け取った私は、いつものようにスケジュールを伝える。


「今日は由宇ゆうと図書館行くから、遅くなるかも」


「図書館とかなんとか言って、遊ぶなよ」


「お兄ちゃんは頭が固いんだから」


 たもるお兄ちゃんの呆れた顔を横目に、玄関に向かおうとした矢先、私の制服ブレザーの袖が引っ張られる。


 見ると、小さな居候のジンくんが純粋そうな目で見上げていた。


「アキ」


「何よ。急いでるんだけど」


「早く帰ってきてね」


「何よ、知らないわ……」


 咄嗟にその手を振り払おうとした私だけど、そのきょとんとした愛くるしい目に思わずほだされて——私は素直に頷いていた。


「わ、わかったわよ」


 ……やっぱり夢じゃなかったんだよね。


 賜お兄ちゃんと普通に喋っているジンくんの姿を見て、妖怪の存在を認めるしかなかった。


 だって、普通の人間だったら記憶操作なんて出来ないし。


 怖い妖怪……でもないみたいだけど、なんだか厄介なことになっちゃったな。


 私はすっかり我が家に馴染んでいるジンくんに背中を向けてリビングをあとにした。




 ***




 バイトの勧誘についていったら、キスされるし。


 しかも相手は昔の知り合いで、家までついて来られる——なんて、嘘みたいな話がある?


 おまけに人間じゃない? 座敷わらし?


 理解不能すぎるんだけど。


 私が自分の身に起きたことを反芻はんすうしていると、並木道で一緒に歩いていたとおるくんが訊ねてくる。


「どうしたの? アキさん」


「どうもこうもないよ——」


 私は言いかけて言葉を途切らせる。


 全部吐き出したいところだけど、とおるくんに相談するわけにもいかないよね。


 頭おかしいとか思われたらヤだし。


「ちょっとね……昨日から、いとこの子が来てて……面倒なことになってるの」


「いとこ? って、もしかして……男?」


 少し低くなったとおるくんの声。

 

 私はかぶりを振る。


「男の子だけど、まだ小学生なんだ」


「そ、そっか。小学生の相手は大変だね」


「そうなんだよね。昨日は布団に忍びこんでくるし」


「ええ!?」


「寝相がひどすぎて、寝不足気味だよ」


「そそそそ、それは大変だね。……羨ましい」


「え?」


「な、なんでもない」


「まあ、いいや。今日も由宇ゆうと推し活して気分を晴らすんだから」


「推し活?」


「うん、今日は由宇の家で、ライブのDVD見る約束してるんだ。泰くんも来る?」


「ぼ、僕も行きたいけど……バイトがあるから」


「……もしかして、泰くんて自分で学費を稼いでるの?」


「え? ち、違うよ」


「毎日遅くまで働いてるみたいだから、てっきり学費のためなのかな、と思って」


「……が、学費のためじゃないよ。自分のためだから」


「なんかSJの泰弦たいげんくんみたいだね」


「ど、どこが?」


 ぎょっとするとおるくんに、私は過去のちょっといい話を教えてあげた。


泰弦たいげんくん……ちょっと前のインタビューでさ、『若いうちからこんなに働いて、辛くはないですか?』なんて言われたことがあったんだ……。けど泰弦くんは、『なりたくてアイドルになったんだから、良いことも辛いことも楽しいに決まってる』って記者を一蹴したんだよね」


 そんな感じでうっとりしながら言うと、泰くんは感心したように呟く。


「そ、そんな昔のこと……覚えてるんだ」


「泰くんもバイト頑張ってね」


「は、はいっ」




 ***




「アキ、早く行こう」


 ——放課後。


 さっそく急かしてくる由宇だけど、私は教科書をカバンに詰め込みながら考える。


 そういえば、たもるお兄ちゃんには図書館に行くって言ったんだよね。


「ちょっと待って。アリバイ工作のために本を借りてからでもいいかな?」


「もしかして、お兄ちゃんにまた嘘ついたの?」


「そうでもしないと、ゆっくり遊びにいけないし」


「でもアキはいいよね、あんなイケメンが家に二人もいて。私だったら、あんなお兄ちゃんズがいたら、お嫁に行きたくないかも」


「うちのお兄ちゃん、小うるさいだけだよ?」


「うるさいのも愛情じゃん? 私もイケメンが待つ家に帰りたい」


 そんな風に喋りながら校舎を出る私たちだけど——。

 

 ふいに校門の陰から小さな人影が現れる。


「——アキ」


「じ、ジンくん!? どうしてこんなところに……」


「俺も図書館に行きたいから、待ってた」


「……」


 いつから待っていたのだろう。


 突然現れたジンくんに私が狼狽えていると、由宇が目を丸くして訊ねてくる。


「アキ、誰? この子」


「う、うちに居候してるいとこだよ」


「そうなんだ? キレイな子だよね。いくつ?」


「二百歳」


「え?」


「ジンくん、七歳だよね! もう、寒い冗談はやめてよ」


 その堂々とした問題発言に、私がますます狼狽えていると、ジンくんは少しだけ寂しそうな顔をしてこぼした。


「冗談じゃないんだけど……」


「ごめんね、ジンくん。今日は由宇の家に行くから、図書館はまた今度でいいかな?」


「イヤだ。俺も行く。アキと一緒がいい」


「そんなこと言われても……」


「別に、小学生一人くらい増えてもいいんじゃない?」


 由宇の寛容さにぎょっとした私は、慌てて言い訳する。


「でも、私が推し活してることがバレたら、兄貴に怒られるんだけど」


「ははは、あんたも大変だね」


 他人事のように笑う由宇。


 私が難色を示す中、ジンくんは可愛い目でじっと私を見つめてお願いしてくる。


「俺、〝おしかつ〟のこと言わないから、連れてってアキ」


「ヤダ、かわいい。この子も連れて行こうよ」


 由宇にまでお願いされて、私は思わず唸る。


 変に告げ口されても困るし、置いていくのもマズイよね……。


「……もう、知らないんだから」



 

 ***




 アキが甚外じんとを連れて由宇ゆうの家に向かった頃。


 繁華街の外れを歩く小金川泰こがねがわ とおるの前に、黒の乗用車セダンが停車する。


 乗用車は止まるなり運転席のドアを開くと——現れたパンツスーツの女性が、うやうやしく頭を下げながら後部シートのドアを開いた。


「お迎えに上がりました」


 パンツスーツの女性にいざなわれて後部シートに滑り込んだ泰だが。


「ああ、ありがとう……って、あれはアキさん?」


 ふと窓ガラス越しにアキや由宇の姿を確認する。


 アキたちは楽しそうに道路の向かい側の——連なる店の軒下を歩いていた。


「一緒にいるのは由宇さんと……誰? あの子供……もしかして、例のいとこ? あんなにくっついて……」



「とおるさん、聞いてますか?」



「あ、すいません」


 バックミラー越しの視線にたしなめられて、泰は小さく謝罪する。


 アキを見ると、どうも上の空になる癖があるのだが、泰は慌てて仕事モードに頭を切り替える。


「あ、あのマネージャーさん……今日の予定はどんな感じですか?」


「今日はバラエティの収録に、雑誌用のスチル撮影ですね」


「そうですか……」


「どうしました? 元気がありませんね」


「そんなことはないです。……アキさんが応援してくれてるから、頑張らなきゃ」


 泰はアキのことを思いながら、柔らかな表情を鋭いものに変えた。




 ***




「おはようございますっ」


 某テレビ局の楽屋に入るなり、どこか棘のある声を放つとおる


 すると、光沢のある白いジャケットに黒のパンツ——いわゆるステージ衣装というものをまとった青年——琉戯りゅうぎが腕を組んで近づいてくる。


 若干眠そうな猫に見える琉戯りゅうぎは、泰より二つ年上のだった。


「なんだなんだ? 今日はご機嫌ななめだな」


「心を読まないでください、流戯りゅうぎさん」


「読んでねぇよ。顔みりゃわかることだ」


 琉戯りゅうぎが呆れたように言うと、今度は桃色のジャケットに黒のパンツを纏った國柊こくしゅうが可愛い顔を近づけてくる。


泰弦たいげん兄さん、どうかしたの? いつも『アキさんが応援してくれてるから~』とかウキウキ仕事してたのに……もしかして、振られたの?」


「ち、違う! 振られてない!」


「まさか……正体がバレたわけじゃないよね?」


 鋭くまなじりを上げた國柊こくしゅうの、あまりの威圧感に、年上ながらもとおるはたじろいでしまう。


「ば、バレてないよ!」


「本当に? 人間じゃないってバレたら、俺たちはまた遠くへ行かなきゃいけなくなるよ?」


「ああ、そっちのことか。それは大丈夫だよ。誰も俺たちが人間じゃないって疑わないし」


「それならいいけど……じゃあ、なんでそんなテンション低いの?」


「……放課後もアキさんと一緒にいられたら……と思って」


 泰がしどろもどろ告げると、國柊こくしゅうは腰に手を置いて堂々と言い放つ。


「じゃあさ、アキちゃん呼んじゃえばいいじゃん」


「へ!?」


「別にアイドルだってバレるくらいどうってことないだろ? それで距離が縮むかもしれないし」


「そそそそそそ、それは!」


「どうする? 泰弦たいげん兄さんがアイドルだってこと、アキちゃんが知ったら……」


 そう、とおるのバイトとは、アイドルグループの仕事であり。


 しかも今をときめく人気グループ、サイレントジョーカーのメンバー、泰弦たいげんをしていた。


 とおるはアキが推しているアイドルなわけだが——泰が返事をする前に、黙って聞いていた琉戯りゅうぎが即答する。


「ダメだ」


流戯りゅうぎ兄さん」


「今一番勢いがある時に、スキャンダルはご法度だろ。恋愛禁止の契約はしてなくても、会社に損害が出るんだからな」


「それはそうだけど……せっかく泰弦たいげん兄さんとアキちゃんが両想いなのに」


「な、りょ、両想い!?」


「そうでしょ? 泰弦たいげん兄さんのこと推してるんだから、アキちゃんは誰よりも泰弦兄さんのこと好きでしょ?」


「そ、そうかな……?」

 

 國柊こくしゅうの言葉に、少しだけのぼせ上がる泰だったが——琉戯が現実に引き戻す。


「こらこら、お前も煽るんじゃない。それで振られたらどうするんだ」


「ふ、振られたらって……」


「俺たちはアイドルの前に、人間じゃないことを忘れるな」

 

 流戯りゅうぎの厳しい言葉に、ごくりと固唾を飲む泰。


 だが、國柊こくしゅうは焦ったように周囲を見回す。


「ちょっと琉戯兄さん、誰かに聞かれでもしたら……」


「大丈夫、部屋の付近には人がいないことを把握してる」


「……つまんないな」


「ほら、仕事だぞ」




 ***




 とおるくんがお菓子工場でバイトをしている頃。

 

 私、アキとジンくんは予定通り由宇ゆうの部屋にお邪魔していた。


「アキ、ジンくん。ジュースでいいかな? 嫌いなお菓子とかある?」


「大丈夫、俺は雑草でも食べられるから」


 ジンくんの言葉に、由宇は目を丸くする。


「雑草!? 今までどんな生活してたの?」


「ちょっとジンくん! ごめんね、この子好奇心旺盛で、なんでも食べたがるんだ」


「へぇ……面白いね。今度美味しい雑草教えてよ」


「由宇!?」


「冗談だよ」




「——じゃあ、さっそくDVDつけるよ」


「うん」


 お菓子を山ほど用意してくれた由宇は、キッチンから帰ってくるなり、DVDデッキを操作し始める。


 今日は由宇の家には誰もいないので、絶好の推し活日和だった。


「さあ、行くよ! アキ」


「うん!」


 そして全身全霊を込めてペンライトを振った私は、家の外にまで漏れるほどの熱量で、熱く熱く、ひたすら激しく踊り狂ったのだった。


 そう、側にジンくんがいることを忘れて……。




「……怖かった」


 帰り道の歩道橋で、ジンくんが黄昏ながらぼやいた。


 存分にペンライトを振って清々しさいっぱいの私が、ご機嫌な顔で「何が?」と訊ねると、ジンくんはめそめそしながら言った。


「なんの儀式か知らないけど、アキも由宇も恐ろしい顔してライト振ってるし……あれはなんなの?」


「あれは推し活って言うのよ」


「人間には俺の知らない風習がまだまだあるんだね」


 そのジンくんの横顔は、どこか切ないものだった。




 ***




「——おはよう、由宇」


「アキ、おはよ。昨日は楽しかったね。今度お泊まりで推し活しようよ」


 登校して開口一番に推し活の話をするのは、さすが我が友である。


 けど——。


「それがさぁ……昨日はジンくんがお兄ちゃんに推し活のことバラしちゃって、しばらく放課後は遊びに行けなくなった」


「えー、何それ」


「放課後遊びに行ったことより、嘘つくのがダメだって」


「ジンくんがいたら、内緒で推し活もできないね」


「もう、笑いごとじゃないよ」


 私が机で項垂れていると、泰くんがいつもより少しだけ遅く教室に入ってくる。


「おはよう、アキさん、由宇さん」


「おはよう、泰くん。今日はなんだか疲れた顔してるね。大丈夫?」


「ああ……うん。お菓子工場が忙しくて」


「なんか泰くんがマシュマロとか袋詰めするところを想像したら可愛いよね」


「そ、そうかな?」


「アキさんは昨日……由宇さんと推し活だっけ?」


「そうなんだけど……昨日はいとこに邪魔されたあげく、お兄ちゃんに告げ口されて、しばらく遊びにいけなくなったんだ」


「告げ口?」


「うん、推し活したこと、お兄ちゃんに説明するし。しばらく由宇と推し活できないなんて最悪だよ」


 私が心底がっかりしていると、泰くんはなぜかそわそわしながら指を合わせる。


「そ、そっか。アキさんは泰弦くんのこと……好き、だよね」


「うん、大好き! あんな綺麗でカッコよくて可愛い人、他にいないよ! ああ、早く帰って推し活したい」


「そそそそ、そんなこと……」


「なんで泰くんが照れるの?」


 私が首を傾げていると、泰くんはなぜか汗をかき始める。


 そんな中、由宇が物騒な話を始める。


「それはそうと、某アイドルが襲われた事件、知ってる?」


「え、知らない」


「アイドルをフルボッコにして、写真をSNSにアップする集団がいるんだって」


「え、何それ……怖すぎるんだけど」


「アンチの仕業らしいけど……『SJ』も心配だね」





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