第2話 妖怪キス魔
「——ちょっと! 何するのよ!」
「痛っ」
掃除のバイトに誘われて、知らない男の人についていった私が馬鹿だった。
突然、キスされて思わず男の人をひっぱたいた私——アキは、早口でまくしたてる。
「この変態! やっぱり、いかがわしいバイトだったんだ!」
「いかがわしい……ってなんのこと?」
男の人は、純粋そうに見える大きな目を瞬かせた。
そんな顔したって、見た目では騙されないんだから!
「いかがわしいバイトは、いかがわしいバイトよ! いきなりキスするなんて信じらんない!」
「でも、アキが教えてくれたことだよ」
「なんのことよ……私はあなたに何も言ってない」
「確かにあの時、アキは教えてくれたよ。好きな人とは口を合わせるものだって」
「そんなこと、私は言ってない!」
「言ったよ。だから俺は大人になることができたんだ」
「大人って何よ……」
よくわからないことばかり言う男の人に、私が動揺していると、そのうちどこからともなく奇妙な笑い声が聞こえてくる。
「ふおっふおっふおっ」
「え? 誰?」
私が身構える中、キス魔の後ろから、今度は平安装束を着た男の人が現れる。
金色の
「
まだ二十代前半にしか見えないのに、長老と呼ばれたその人は、胸元で扇子を扇ぎながらキス魔に微笑みかけた。
「おお、
「うん。時給一万円という言葉で、アキを連れてくることができたよ」
キス魔が嬉しそうに告げると、長老と呼ばれたイケメンはまたもや「ふおっふおっふおっ」と古風な笑い方をする。
変人のテーマパーク状態で呆然とする中、ツッコミが私しかいないという状態なので、あえて私が訊ねるしかなかった。
「……ちょっと、なんなのよあなた」
「わしか? わしはこの家の主だが?」
「ということは、いかがわしいバイトの根源!?」
「いかがわしいバイトとはなんのことだ」
「だって、いきなりキスするようなバイトなんでしょ?」
「ああ、
長老さんが言うと、キス魔は不思議そうな顔をする。
「口を合わせることに、早いとか遅いとかあるの?」
「左様だ。もっと仲を深めなくては」
「もっと仲良くならないといけないってこと?」
「ほら、アキ殿もびっくりしておるだろう」
「なんなのよ……あなたたち」
相変わらず何を言ってるのかわからなくて、私が困惑していると、長老さんは扇子を閉じて咳払いをする。
「つまりだな。こやつはお前さんのことを慕っているということだ」
「え? この人、私のことが……好きなの?」
「そうだ」
「だからって、面識もないのにいきなりキスするなんて!」
私が再び怒りを燃やすと、キス魔は悲しそうな顔をして言った。
「まさか……アキは覚えていないの?」
「なんのことよ」
「俺たちは十年前に会っているのに」
「十年前?」
「ああ、十年前にも口を合わせたんだ」
「私を騙そうったって、そうはいかないわよ。残念だけど、十年前はこの土地にはいなかったから、会ってるわけないのよ」
「十年前に会ったのは、関東じゃない」
「……え?」
「だって俺も、東北にいたから」
「東北って……あなたまさか」
私は大きく見開く。
それは、私の心の奥底に沈めていた記憶だった。
東北というワードだけで、全てを理解したと同時に、私の顔がみるみる赤くなる。
だってそれは私の人生最大の黒歴史とも言える記憶で——まさかこんな風に運命の再会をするなんて思いもよらなかったから。
「もしかしてあなた……ジンくん?」
十年前、両親の墓参りで出会った少年。
私はその子といるのが楽しくて、駆け落ちみたいなことをして、お兄ちゃんたちを困らせたんだ。
その子がジンという名前だった。
そしてキス魔のイケメンは優しい笑顔で肯定した。
「ああ、そうだ。俺はジンくんだ」
「嘘! ……でもそんなの、信じられない。こんな偶然って……」
だって、十年前のジンくんは同じ年くらいだったはずけど、キス魔はどう見ても二十代前半にしか見えない。さすがに成長が早すぎやしないだろうか?
私が半信半疑でイケメンを眺めていると、長老さんも扇子で扇ぎながら言った。
「偶然ではないわい。こやつはずっと、お前さんを探していたんだ」
「十年前って、私六才だし。顔もほとんど覚えてなかったのに……」
「俺はちゃんと覚えていたよ。約束を破ったら、針を千本飲まされると言われた」
「ああ、そんなこと言ったっけ? 確か、お兄ちゃんに教えてもらったばかりで、使ってみたかったんだよね」
「ふおっふおっふおっ、良かったなぁ、
「うん。長老のおかげだ」
「それじゃあ、これ以上邪魔するのも野暮だから。年寄りは消えるとしようか」
「長老、ありがとう」
「ん。礼はいらん。わしが面白いと思えばそれでいいんだ」
長老さんとジンくんのやりとりを呆然と見ていた私は、すっかり存在を忘れられているようなので、慌てて手を上げて確認する。
「——で! バイトってなんなの? いくら昔の知り合いだからって、いきなり現れてキスするのもどうかと思うし……秋田県で会ったってことは、ジンくんも東北の人なの?」
「秋田で生まれて関東を渡り歩いたけど、関東民じゃないよ。そもそも人じゃないから」
「人じゃない……?」
「俺は座敷わらしだから」
「は?」
「ああ、でも今は人間みたいなものだよ。アキが口を合わせてくれたおかげで、成長する体を手に入れたんだ」
「ちょっと待って、〝ざしきわらし〟ってなんのこと?」
「憑りついた家に、富と繁栄を与える妖怪だよ」
「憑りつく? 妖怪?」
「今の姿は人間だから、富と繁栄は与えられないけどね」
「よくわからないけど……とにかく! いくら昔の知り合いだからって、キスもいかがわしいバイトもダメだからね!」
私がビシっと指を差して告げると、ジンくんは目を丸くする。
「俺はアキのことが好きなのに、どうして口を合わせたらいけないの?」
「それは、私があなたのことを、そういう意味で好きじゃないから」
「そういう意味? アキは俺のことが好きじゃないの? でも十年前は——」
「十年前の話なんて時効だよ。今の私には他に好きな人がいるんだから!」
「アキには他に好きな人がいる……?」
「そうだよ! 今の私は、
そう断言した瞬間、ふいにジンくんからドライアイスみたいな煙がもくもくと湧き出して、あたりが真っ白になる。
「え? 何!? 何が起きたの!?」
私が動揺している間に、いつしか煙は引いて——イケメンはいなくなり、代わりに十年前に出会った小さなジンくんが現れた。
「ええ!? ジンくん!?」
動揺を超えてパニックを起こす中、黄色いTシャツを着たジンくんは悲しそうに肩を落として告げる。
「アキから好きがもらえなかったから、座敷わらしに戻っちゃった」
呆然とする私の傍ら、長老さんは扇子で口元を隠してため息を吐く。
「いかんなぁ……アキ殿。永遠の愛を誓わなければ、
「せっかく人間になれたと思ったのに……しくしく」
「それって私のせいなの?……ていうか、ジンくんって人間じゃないの……?」
「だから、言ったでしょ。俺は座敷わらしだって」
「……ざしきわらし……?」
「アキ殿は驚かんのか?」
「これでもじゅうぶん驚いてるわよ! ジンくんが縮むなんて……」
「元に戻せるのはアキ殿しかおらんからなぁ」
「う……何よ。私のせいじゃないし……」
そんなこと言われても、私はまだ状況を理解しきってないわけだし。
それにジンくんが妖怪? 座敷わらし?
こういう時はいったいどんな反応すればいいのよ!
私が混乱を極めていると、ジンくんは可愛い顔で目をうるうるさせてお願いしてくる。
「アキ、もう一回口を合わせて。それで永遠の愛を誓ってよ」
「え、イヤよ。それって結婚するってことでしょ? それにキスなんか出来ないし」
「じゃあ、アキの家の子になる」
「は?」
「アキが口を合わせてくれるまで、アキの家に住むんだ!」
「そんなこと、できるわけないでしょ! ていうか、私……これ以上よくわからないことに首を突っ込みたくないし、もう帰ります!」
「アキ!」
長老さんのお屋敷を飛び出した私は、肩を怒らせながら歩道橋を足早に進んだ。
「座敷わらしとか、キスしないと大きくなれないとか……なんなのよ、いったい」
***
「ただいま」
なんだかんだ、面倒なことに巻き込まれるのが嫌で、逃げるように帰宅した私は、エプロンで玄関に出てきた
「おかえりアキ」
「ちょっと聞いてよ、賜お兄ちゃ——」
けど、私が今日の出来事を報告しかけたその時。
賜お兄ちゃんの後ろから十歳前後くらいの黄色いTシャツの男の子が現れたのだった。
「おかえりお姉ちゃん」
「はあ!? どどど、どういうこと?」
私が再び混乱していると、賜お兄ちゃんが笑顔で説明した。
「ああ、アキ。今日からうちに住むことになった
「え、なんで? お兄ちゃん、ジンくんと知り合いなの?」
「何を言ってるんだ、アキ。いとこの甚外くんのことは、知ってるに決まってるだろ」
「いとこ!?」
「そうだよ。甚外くんのご両親がしばらく海外赴任するから、預かることになったんだ」
「ええ!? 何がどうなってるの!?」
私が賜お兄ちゃんとジンくんを見比べていると、ジンくんが私の方に来て囁く。
「俺が記憶を操作したんだ」
そう言って微笑むジンくんに、私は目を瞬かせる。
「ジンくんは……本当に人間じゃないんだ」
「そういうことだよ。アキが口を合わせてくれるまで、俺はここにいるからね」
「もう……かんべんしてよ」
帰宅部で平穏な推し活ができると思ってたのに、ジンくんみたいな妖怪に出会っちゃって——私はこれからどうなってしまうのだろうか。
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