吉岡真澄

 カゴメの歌がやんだ。

 私の口から手が離された。

「行ったみたいですね。あの『おたふく女子高生』は」

 影になっていた人物が、はしごに近づき周りを見回している。

 赤い照明に照らされた姿は、メガネをかけ、私と同じ学生服を着た女の子。

「行きましょ。アレはまたここに戻ってきますから」

 メガネの女子生徒が私を誘う。

「もっ、もう嫌だ!」

 私は泣き声を上げた。

 メガネの女子生徒は驚きもせず、私を冷ややかな目で見つめている。

「あなただけ行って! 私はここに残る!」

 私はすべてが嫌になっていた。

 せっかくお友達になれた人と、こんな別れ方をするなんて。

 いっそ、私を殺してくれればよかったのに!

「――どうすればいいですか?」

 メガネの女子生徒が、私を見つめながら言う。

「えっ?」

「どうすれば、あなたは立ってこの赤い空間から脱出しようと思いますか?」

 変な問いに、私の頭は軽くパニックになった。

「おっ、お友達になってくれるのなら……」

「いいですよ。友達になりましょう。――ここから脱出できたら」

 メガネの女子生徒は、ちょっとだけ表情を緩めた。

 彼女の名前は『吉岡真澄よしおかますみ』。

 私たちと同じく、パソコンルームで目覚め、《あなたは|が好きですか?》というメッセージも同じ。

 名前の漢字の真ん中に、赤い打ち消し線が入っていたことも同じだった。


 吉


『岡』と『澄』の真ん中に線が入っていたらしい。

「この打ち消し線は?」

「まだわかりません。あのおたふく女子高生と関係があるのかも」

「あの殺人鬼、おたふく女子高生って言うの?」

「私の造語です。『おたふく風邪』が有名ですけどね。『おたふく』とは丸顔で、ほおが高く、鼻の低い、女の面のことです。昔は美人の象徴みたいでしたけど、時代が変わって醜さの象徴になっているみたいですね。あの殺人鬼にはお似合いの名前です」

「よく知ってるね?」

「スマートフォンで検索できますよ?」

 吉岡はスマホを手で振った。

「あははっ……そうだね」

 私はほほを指でかく。


 新たな場所に出た。

 床に大穴があいていて、細い道を渡らなければならない。

 私は綱渡りを思い出してぞっとする。

「違う道を行かない?」

「あのおたふく女子高生が追いかけてくると思います。今は小川さんの首を回収している。あの子は赤い空間のルートを把握していても、空を飛べるわけじゃないので、ここを渡ればかなり突き放せると思います。こんな細い道、あの殺人鬼だって渡りづらいですから」

「どうしてそんなことがわかるの?」

「おたふく女子高生を尾行してました。それで、スマートフォンの罠をしかけられましたからね。逃げるのに必死で、私の矢印は失ってしまい、こういった足場の悪い場所を使ってなんとか逃げ切れました」

 吉岡は淡々と状況を説明した。

 それで、はしごのそばの暗い穴に隠れてたんだ。

 私は妙に納得してしまった。

「それに、ほら」吉岡が指を壁にさし、

「あなたの矢印が『ここを渡れ』と言っています。あのおたふくから逃げるには、こういった地形は有効なんですよ」

 私の矢印は綱渡りしろと、むちゃな要求をしていた。


 私と吉岡は細い道を渡り始めた。

 穴は大きくて暗く、落ちると助かりそうにない。

「この赤い空間、なんだと思う?」

 私は吉岡に、率直に聞いてみた。

「わかりません。ただ都市伝説に『赤い部屋』というのがあります。それに似てますね」

「何それ?」

「インターネットに出現する怪異のことです。ポップアップ広告であらわれ、赤い背景に黒字で『あなたは|好きですか?』と書かれているんです。何度も出現し、縦線が左にずれていって、『赤い部屋』の文字がでてくるんです。つまり、『あなたは赤い部屋は好きですか?』って問われるんですよ。そのあと、赤い背景で、黒文字で人間の名前がびっしりと書かれたウェブサイトが出現して……あっ」

 吉岡の足が止まった。

「どうしたの?」

「名前の漢字の真ん中にある打ち消し線――あれは『本当に打ち消せば』よかったんじゃないでしょうか?」

「えっ?」

「シンプルですよ。打ち消し線のとおり、漢字を消してしまえばいい。そしてこの赤い空間には、私とあなたと、死んだふたりを加えて、四人しかいない。殺人鬼は別ですよ」

「どういうこと?」

「私の頭の中で四人の女子生徒の名前を組み合わせていました。打ち消し線で消された漢字をのぞいて。そしたら――ある人物の名前が私の中で浮かびました」

 吉岡は学生服の袖から腕を出し、口紅で何かを書いていた。

 私はそれをきょとんと見つめている。

「やっぱり――そうなんですね。ここは『地獄』かもしれません」

 吉岡は悲しげな表情になる。

「あのパソコンに表示された私たちの名前。本名じゃないです。別の名前を浮かび上がらせるための、いえ、私たちの罪を浮き彫りにするための『パズル』だったんです。パソコンにあった《あなたは|が好きですか?》の縦線に入力するのは、『名前』だったんですよ。そっか、そういう――えっ?」

 吉岡が驚いた表情をしたまま、暗い穴に落ちていく。

 ゴキッと、骨が折れる音が響いてきた。

 吉岡を突き落とした私は、満面の笑みを浮かべていた。

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