残華

 私は赤い壁に四人の名前を、口紅を使って書き出した。赤い打ち消し線も入れてだ。


 

 木

 

 吉


 赤い打ち消し線の入った、漢字を消したらこうなる。


 田 神

 木 千

 川 美

 吉 真


 私は笑ってしまった。

 簡単だったんだ。

 四人の女子生徒、四つの作られた自分の名前、四つの漢字……。

 浮かび上がってくる名前。

 私たちは『わざと組まされている』。

 私は口紅で『名前』を自分の腕に書き、

「矢印! 私をパソコンルームに導きなさい!」

 私は壁に書かれた矢印に命令する。

 矢印はすっと消えると、新しい方向へ矢印を赤い壁に浮かび上がらせた。

 私は矢印に従って走りだす。

 赤い柱、赤い橋、赤いプール……。

 赤の空間を通りすぎ、目覚めたパソコンルームにたどりついた。


 《あなたは|が好きですか?》


 私は『名前』の書いた腕をチラリと見て、キーボードを使って、パソコンの縦線に入力する。


千神真川ちがみさねかわ


 大好きなお兄ちゃんの名前。

 私の本当の名前は『千神悠里ちがみゆうり』。

 なんで忘れてたんだろう?

 でももういい。これでこの赤い空間から脱出できる。

「お兄ちゃん……ありがとう……」

 私をここまで導いてくれたのは、きっとお兄ちゃんだ。

 あの矢印にお兄ちゃんの気配を感じる。

 キーボードの『Enter』を押した。

 これで……この地獄から――。


 《Error》


「えっ?」

 私は何が起こったのかわからず、ぼうぜんとパソコンの画面を見つめていた。

 あわてて漢字を間違えたのかと思い、もういちど、兄の名前を入力する。


 《Error》


 警報音とともに、『間違い』だとパソコンが言っている。

「なんで? ……なんで!?」

 私は入力し続ける。


 《Error》《Error》《Error》《Error》《Error》



 《Error》



「はい――もうキーボードを押すのはやめましょうね? 壊れちゃうわ」

 後ろから女の子の声がした。

 おたふく女子高生がパソコンルームのドアの前で、腕を組んで立っている。

 巨大なナタは床に突き刺していた。

「はあ、また間違えた。あなたはなんど間違えば気がすむの?」

「どういう……」

「人間は赤い空間の中では――赤を識別できない。照明を変えてあげるから、自分の体を見てみなさい」

 おたふく女子高生が指をはじく。

 パソコンルームの照明が赤から白に変わった。

「これ……」

 私の腕、首、体、足……すべてに同じ名前が書かれている。


 《千神真川》《千神真川》《千神真川》《千神真川》《千神真川》……。


 壁の端に転がっているのはスマートフォン。

 私のだ。

 赤い血でべっとりなのだから、赤い部屋で識別できるわけない。

 おたふく女子高生が指をはじいた。

 照明が白から赤に変わった。

 口紅で書かれた、私のお兄ちゃんの名前が全身から消える。

『間違った名前』を、書き続けていたの?

 私は自分の全身からおたふくに視線を移し、

「――ここは、何?」

「『地獄』よ。『等活地獄』ともいうわね。十四歳から十八歳までの少女が落ちる地獄。四人の少女が持つ四つの名前を組み合わせ、見事そのパソコンに『罪の名』を入力できれば、亡者の地位から昇格され、私みたいな『鬼』となる。ただし、『罪の名』を間違えれば、もう一度ゲームが始まる。あなた一年もここでループし続けてるのよ? 本当に運がいい子。『鬼』に殺されるか、『別処』と呼ばれるミニ地獄で死ねば――この赤い部屋の壁となれるのに」

 おたふく女子高生が指を上にさす。

 部屋の壁が一斉に目を開いた。

 何百とある。


 木下千春

 小川英美

 吉岡真澄


 死んだ三人が赤い部屋の壁となり、天井から私を見下ろしている。

「矢印は『経験値』なの。私の罠を見抜いた子、いたでしょ? あの子は三回目。あなたはなんども赤い部屋にきてるから、矢印のせいで、捕まえにくいし、罠にも引っかからなくなっちゃってるの。もう、嫌になっちゃう」

「困ったわぁ」と、おたふく女子高生はアゴに手をやる。

 矢印は正確に私をパソコンルームに案内できた。

 何度もこのゲームを繰り返しているから。

「赤い部屋から脱出できた者は、『残華ざんげ』と呼ばれる鬼の体を与えられるの。ほらほら、見て、私の首。――赤い糸で結ばれてるでしょ?」

 おたふく女子高生、残華は、おたふくのお面のアゴを少し指で上げた。

 首と胴体が赤い糸で結ばれている。

 首を切り落とし、鬼の体を手に入れた少女。

「赤い部屋から脱出したときに、私、自分の顔を鏡で見たのよね。すごい美人になってた。それなのに、こんなぶさいくなお面をつけられてるの。自分の体じゃないから、お面を外すこともできないし。別に人殺しもしたくないんだけどね。『鬼の体』がそれを許してくれないの……。もうもう! あなたが赤い部屋から出れば、次の『鬼』はあなたと『交代』になるのに! あなたのせいなんだからねっ!」

 大人っぽい声で、子供みたいな態度をする残華に、私の背筋が凍りつく。

 この人はいったい何年『鬼』をやってるの?

 残華の両腕がだらりとたれ、


「あなたがいつまでも赤い部屋から出てくれないから、私はずっと『鬼』を続けなきゃならない……。ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっと!!!! この『地獄』から出られないのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」


 仮面を指でかきむしり、残華は泣き叫ぶ。

 仮面の下から流れているのは涙か。

 この子はもう――とっくの昔に狂ってる。

 泣き叫んでいた残華が、すっと仮面を私に向け、

「ごめんなさい。取り乱しちゃった。首を飛ばすから、記憶をなくしちゃうだろうけど、次はちゃんと、必死に私から逃げてね――『極楽』に行かせて」

 巨大なナタを床から引き抜く。


 か~ごめかごめ


 残華が歌い出す。悲しげな歌。


 か~ごのな~かのと~りは


 私はパソコンの前にある出口のドアの前で、両膝をつく。

 ドアのそばの壁には、お兄ちゃんと女の人と赤ちゃん。


 い~つい~つで~や~る


 壁に文字が浮かび上がってきた。


《あなたはお兄さんの赤ちゃんが好きですか?》


 私があの女を、大学の屋上から突き落としてしまったきっかけとなった言葉が。

 パソコンに入力すべき《罪の名》が。


 千神吉美


 私は、まだ、その《罪の名》が書けない。

 だから吉岡さんを突き飛ばしてしまった。あの女みたいに。

 ――真実を、まだ知りたくなかったから。


 よ~あけのば~んに


 私はざんげするかのように顔を上げた。

 両目から涙がつたっていた。


 つ~るとか~めがす~べった


「どうして――自殺しちゃったの? お兄ちゃん」

 壁に埋め込まれた兄の両目が閉じ――女と赤ちゃんの両目はいつまでも私をにらんでいた。



 うしろのしょうめんだ~あれ

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