木下千春

 矢印に従って進んでいくうちに、わかったことがある。

 この空間には赤しかない。

 照明も、床も、壁も、柱でさえ、全部赤。

 矢印だけは黒字だけど、その他は赤で塗りつぶされている。

 誰が、なんのために?

 不気味になってきた。

 なぜ自分はここにいるのか?

 誰に連れてこさされたのか?

 どうも記憶に霞がかかっている。

 円柱の柱の間を通り抜けていく。

 柱に描かれる矢印に従う。

 ふと、思う。

 この矢印に『本当に従って』いいのか。

 この矢印はいつ書かれたのか。

 矢印の形は『→』というよくある記号だ。

 だから従ってきたけど、もしこれが何かの『間違い』だったらどうするのか。

「やあっ!」

 肩をたたかれた。

 心臓を吐き出しそうだった。

 学生服を着た女の子が立っている。

 快活な性格なのか、白い歯を出して笑っていた。

「あっ、ごめんごめん。驚かせちゃった?」女の子は手を差し出すと、

木下千春きのしたちはる。私の名前だよ。あなたは?」

 名前を名乗ってきた。

「中田上神です……」

 私はその手をにぎり、同じように名乗った。


 私と彼女は、情報交換を開始した。

 木下も私と同じパソコンルームにいて、学生服を着ていた。

 ポケットには赤い口紅。

 パソコンを起動させると、背景が真っ赤。


 《あなたは|が好きですか?》


 という奇妙な問いかけも同じ。


 木


 名前の漢字の『下』と『春』に赤い打ち消し線が入っているのも同じだった。

 唯一違う点といえば『矢印』だ。

 私が矢印を疑っていると言うと、

「従ったほうがいいよ。私も疑って、なくしちゃったから」

 木下は申し訳なさそうに後頭部をかく。

「どういうこと?」

「矢印に従わず、別の方向に行っちゃったってこと。そしたら矢印が出てこなくなっちゃって、パソコンルームに戻れなくなっちゃった。あなたを見つけたのは偶然だけど、運がよかった。方向性を見失ったら、どこ行ったらいいのか、わかんなくなっちゃうのよね」

 木下の言うことに、意味がわからず、首をかしげる。

 木下は笑うと、

「教えてあげるね。歩いても、歩いても――ずっと赤い廊下が続いているの。まるで巨大な迷路を歩いているみたい。外に出る扉や窓すらない。もう数時間歩いているけど、同じ光景ばかり永遠に続くの」

 柱を背にやり、ずるずると座り込んだ。

 照明が赤くて見えづらかったけど、木下の制服は汗びっしょりだ。

 話すときに、息切れしてたのはそのためなのか。

「さすがに死にたくなっちゃった」

 その言葉を吐いて、全面笑顔でいられる木下を、私は少し薄気味悪いと、不謹慎ながら思ってしまう。


 か~ごめかごめ


 突然誰かの声が、空間内に響いてきた。


 か~ごのな~かのと~りは

 い~つい~つで~や~る

 よ~あけのば~んに

 つ~るとか~めがす~べった

 うしろのしょうめんだ~あれ


 女の子の声だ。

 透き通ってて、かわいらしい。

 私たちより年下だろうか。

 歌は間違いなく、童謡の『かごめかごめ』だ。

 木下は柱から立ち上がり、

「私たちのお仲間がまだいるようだね。乗り気じゃないけど、声をかけに行きますか」

「『乗り気じゃない』?」

「ん? ああ~ははっ……。ちょっと人に裏切られてね。名前忘れちゃったけど。この空間で出会った人じゃないよ。出会ったのは、まだあなたで一人目だからね」

 私に見せる、さわやかスマイル。

 こんな人を裏切る人なんているんだ。

「行こうか」

 スポーツ系の部活でもやってたのかと思うぐらい、木下の行動は早い。

 歌を追いかけていくと、狭い空間の向こう側から聞こえてくる。

 二人一緒に通れそうにないから、まず快活な木下が体を横に向けて、壁の間を進んでいった。

「……えっ?」

 私は矢印を見てぎょっとした。

 赤い壁に描かれた矢印に変化があり、記号の下に、《いっちゃだめ!》と書かれている。

「あっ、木下さん」

「ん? 何?」

「矢印の下に文字が出てきて、《いっちゃだめ!》って……」

「えー、見間違いじゃない? 私の時は、そんなのなかったよ?」

 木下は向こう側に到着し、壁の隙間から私をのぞいている。

「でも……」

「あっ、やっぱり私たちと同じ学生服を着た女の子だ」

 木下は歌の主を見つけたようだ。


 か~ごのな~かのと~りは

 い~つい~つで~や~る

 よ~あけのば~んに


 歌が近づいてくる。

「おーい! ん? 変な仮面をつけた子だね? やあ! あなたもこの空間にとじこめ……」

 不意に、木下の声がしなくなった。

 私は何事かと思い、隙間から向こう側をのぞいてみた。

 何かが床を転がってくる。


 丸いそれは――木下の生首だった。


 両目を見開き、口から液体を流し、驚きの表情で、私を見つめている。

 私はいきなりのことに、頭が真っ白になり、声すら上げられない。


 つ~るとか~めがす~べった


 にゅっと、白い手が出てきて、木下の生首の髪をつかんだ。

 赤いスカーフのセーラー服と、スカートと、異常にでかい、液体のしたたるナタが見える。


 次に出てきたのは――仮面をかぶった、黒髪ロングの少女の顔。


 仮面の口には、べっとりと赤い口紅を塗っている。

 何よりも異常なのは、仮面の両目が赤い糸でぬわれていることだ。


 うしろのしょうめんだ~あれ


 彼女がこちらを向く前に、私は壁の奥へと隠れてしまっていた。

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