13-2

「どこに、向かう気なの?」

 きっといつもの朝。でも仙崎にとっては、入学初日、生誕一日目、とにかく始まりの日だった。

「俺が何かしでかさないか心配か?」

 彼女の表情の固さから、そうなのだろうということは、容易に分かった。

「もう、そんなこと考えてない。……いつかお前言ってただろ、この街のことを知らないって、ちゃんと、果たすよ」

 この街を彼女は生きなければならない。そのために必要なことはすべてやる。

「……何度目の約束かしらね」

 そういって、アリスは微笑んだ。

「もう、嘘は言いたくない……」

「ほんとう?」

 まっすぐな目。あんなことがあって、まだ彼女の媚は、治っていなかった。仙崎は目のやり場に困ってしまい、急いで話題を変える。

「きょ、今日はちょっと歩くからな。もっとましな靴はいてこい」

「シュウ。……約束、わすれないでね」

 そう言い残すと、パタパタと戻っていく。

 苦しい。彼女との空間が、唯一だった心休まる場だったのだが、なくなったことは、想像以上に堪える。

 アリスとまず向かったのは、コンビニだ。二、三の、目印となる建物を教えながら歩いてきた。

 お金の数え方すら知らないのだから、このくらいから始めるのがちょうどいいだろう。

 仙崎はなるべく安いラムネや、グミを手に取り何度も彼女にレジへ向かわせた。無人の機械に通すだけなのだが、機械が反応しないまま、持ち出そうとして危うく通報されそうになったりと、そんなことを三度繰り返して、ようやく一回成功した。

 最後に今度は、クリームパンを持たせて買わせた。一応ご褒美。

 次の日も似たようなことをした。駅前に向かい、そこまでの目印を教えては、何度も同じ道を往復する。そして、帰ってくると、疲れで泥のように眠り始めるアリスに盗んだコートをかぶせ、仙崎は隣で夜が明けるのを待った。

 こんな姿を病院の彼がみたらどう思うだろうか。この街から飛び出してやる。使命だなんだと豪語していたのに、今やこの街に馴染もうと必死だ。しかし、それを責める者はいない。

 これらを、幸せとはこういうものだったのかと、自分のことにしてしまえば、いいのではなかったのだろうか。

 まあ、それでは駄目なのだろう。「どうだ。君の思い通りにはならなかっただろう。あの時、僕を選んでいたらと思い始めたんじゃないか? はは。嫌気がさすだろう。僕たちは、労せず手に入る幸福を疑うような教育を受けてきたからなぁ」

「ええ、でもそんな自分がたまらなく好き」

 仙崎がそう言うと彼の、表情が崩れ、笑い声を響かせた。

 誰かの面目躍如に自分がなっている。そんな、自惚れだけでもわずかな救いになっていた。

「あれです。俺は、軽薄な奴なんだと思います」

「そんな、真人間として扱われると思うなよ。君は、ちょろいんだよ。だから、僕なんかに、口説かれてしまう」

「うるさいです」

 彼が、間近まで迫ってきて、仙崎は金縛りにかかったように動けないでいると、あと少しで、彼の手が力強く仙崎の腰を掴むか、というところで、股が痛み出し瞳を開けてしまった。

 アリスが、むくりと起き上がり、トイレに向かっていった。

 溜息と、頭の痛さを残しそれこそ未練がましい感情が、ぐるぐると心の中を回るだけして、なんとか先ほどの続きを見ようと眼だけ固く閉じるが、寝れそうもなかった。

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