12-3
静まり返った夜闇。先ほどまで押し寄せてきた、眠気は一転眠れないでいた。夢の続きのような夜空が視界に広がる。その半分は、息遣いで舞う埃だと知りながら、体に取り込む。これが毒だと信じて。このくらいの死にたがりで心が安心する。自分が罪への償いに向かっていると確認し、目をつむり暗闇に沈んでいける。
朝日に瞼を焼かれながら目を覚ます。
「……起きた」
「ん……。体はまだ寝たいって言ってるわ」
肘掛けに体を倒し、目をこすっているアリスが横目に映る。──薄い布地をまとい白い太ももをあらわにした格好をしてるのは、きっと俺がまだ寝起きなせいだろう。欲情ではない。それがあまりにも幸せそうな顔に見えたのだ。
二人してまどろんでいると、目の前をスーツを着た男が通り過ぎていく。それからも、鼻は低く、しわのない能面ずらの大人たちが列をなして通り過ぎていった。
仙崎はその間終始、顔を伏せその無表情に覗きこまれる視線たちと目を合わないようにしていた。
日差しで焼かれる吸血鬼とはこのような感覚なのかもしれない。脳裏ではそんなイメージがわいてくる。
視界には色褪せた街並が広がり、そこを人の影が通り過ぎていく。きっと、死ぬときは見世物のように殺されるのだ。違反者の一例として資料に乗せられ、それを見て、誰かが哂う。みじめだ。
呼吸をするのがしんどい。
肺には空気が詰まっていて、それなのに体はもっと、もっとと求めはち切れそうな苦しさ。
でも、それならまだましなんて思ってしまう。──彼はなんて思うんだろうか。あなたは、何もわかっていないから、きっと復讐を果たせなんて言うのだろう。
記憶の中で、いま最も輝かせる思い出だった。
だからこそ、──せめて、きれいな死体であればいいな。
「んっ……。うぅん。んぐっ……
──はぁ。ねぇ、離してくんない? ねえってば!」
彼女の抵抗する力が腕に伝わる。
「ああ、ごめん、」
「これ痕残るといやだなぁー」
アリスは手をさすっていた。
よく見るとアリスの腕を血が伝っていた。一人では耐えられず、彼女の腕に爪を立てて握っていたみたいだ。
仙崎は自分の指先についた彼女の肉体の欠片を眺めていた。鮮やかな赤は、思いがけず色彩を取り戻すきっかけになった。
「もう大丈夫。俺は……大丈夫……」
修行僧のように繰り返し呟いていると、アリスの腕が仙崎の頭に回された。
ちょうど彼女の胸のあたりに顔が埋まり、彼女の細い指先は仙崎の毛先を丁寧になぞった。
「せめて一人で歩くぐらいしてよ。君連れて歩くの結構、……えっと、めんどくさい? それに……重いしさ」
「あ……ああ……」
彼女の腕の中で、仙崎は小さく頭を動かす。
不思議だが、仙崎にはこぼれる涙の一つもなかった。彼女へ安心感もない。でも彼女の言葉はありがたい、そう思った。
「言われたそばから、寄りかかってくるのはどうかと思うけど……」
アリスは、眉をひそめて少しだけ仙崎の体を押し返す。
──とりあえず手に爪を立てるのだけはやめよう。ぼんやりとした頭でそう思う。
「どうする? 今日も水族館行ってもいいけど」
小首をかしげるアリスに、飛びつくように「一緒なら」なんて言えず、仙崎は、黙ったまま大通りに向けて足を向けた。
指示された順路を歩き終え、親友の待つ家に帰った。
仙崎は、親友だった人になんて言おうか考えていたが、結局何も言わず寝っ転がった。
シーツは真っ新で、枕に頭をのせれば何か甘ったるい香りがした。
少なくとも、バス停のベンチなんかよりは、はるかに寝心地が良く風や虫の音に悩まされはしない。ただ、心は、はち切れそうだった。
隣で背中を向けて眠りにつくアリスの髪に顔をうずめ、この部屋に充満する哀れみや慈愛の匂いを誤魔化しようやく眠りにつけた。
×××
朝になると神木は、水族館デートのことを執拗に訊いてきた。
どうして、こいつは、俺たちの言った場所を普通に知っているのか。わかりきった答えだが、彼の監視を責める気にもなれなかった。彼からしたら、たとえ俺がどこにも行かないと言っても信じられなかったのだろう。この街に信じられるものなど一つもない。写る映像でも追って、この家に帰ってきているのを見て、嘘でなかったと信じて貰える。
「僕とだって行ってもいいだろ」
「嫌だろ。普通に」
仙崎は、神木が出してきたシチューを食べていた。どう考えても一口では入りきらないジャガイモや、サイズのバラバラなニンジンを見て、わざわざ手作りしたのだと察する。それらをスプーンでつぶしながらすする。
「宗今日のご予定は?」
「なんだよ、あらたまって」
「だって、君はこの家の主なんだから。……あ、いや冗談。……僕にできることがあればいいなと思っただけ」
照れているのか、口に物を運ぶペースが上がる。彼もそれなりの勇気をもって言ったのだろう。
「あ、ああ。いいよ、どうせならお前も来るか? 今日も外歩く位しか考えてないけど」
「…………⁉ い、いや、やめとくよ。こういうのは何だけど、僕は外を歩くのに向いてないらしい。僕が歩いてると、変な奴が寄ってくる」
神木は面食らった顔をしていた。仙崎も、同意されたら断るつもりだった。
「お前から、蜜でも出てんのかもな」
「なんそれ」
仙崎は自分でそのくだらなさに笑う。
神木の皿を見るとまだ半分以上残っていた。自分で、仕掛けておきながら万が一の親友の気の変化が怖くなり仙崎はそそくさとその場を離れる。
「アリス、準備しろ」
服装なんてなんでもいいと思うが、彼女にも何かこだわりがあるらしく、部屋の前で待たされる。
わずかな時間ではあったが、ひとりになり、思考をまとめる時間が出来た。逆に言えば、これから先にそんな時間は与えられない。
まずは、親友との別れについてだ。何か書き置きをして、いや直接会って話した方が。それから、感謝の言葉だってつたえなければ、それなら文にしたほうが。義理義理。それから、それから。
それから、以前のように彼に返すことが出来ることは何もない。彼とは、なにか対等でいて、彼の前では、嘘も正直も、矛盾も気にせず話せていた気がする。
二人で、誰かを笑い、熱心に彼が、この街の愚痴を言い、俺は、帆風との未練たらたらな恋を語る。俺の出鱈目な思想だって、彼なら真面目に聞いてくれる。
神木、かけがえのない友。
だから、仙崎は、神木がトイレに入った時を見計らって逃げ出した。
こうして、彼に見とがめられず突如消えることで、最期を連想させることで神木と親友のままでいようと考えたのだ(この時は、本当にそうするつもりだった)。卑怯な奴だと罵られたとしても、彼を裏切る痛みを抱えては、生きていけそうにはなかった。──結局、自己都合。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます