11-2
昼頃、教会にはめずらしく集団の来訪者が在り、神父はその対応に追われていた。
「ほら、やっぱり今日は、丸メガネの奴だ!」
行く道、今日の神父が誰であるか賭けていた。しかし、もうあの時のような子供ではない。こんなの外したって、「今日の星座占いも良くなかったしな」くらいにしか思わない。
「ひひひ、これで、十連勝! よわっちーね」
「うぜー。お前の運がいいだけだろ。昔からそうだった」
「そうかな?」
やけに、にやにやとしているので、なにか知ってるのかと疑ってみる。
神父がだれになるか、今まで何か規則は見つけられてはいない。なにしろ、ここに来る神父は気まぐれで、誰もいないときもあれば二人が座っているときもある。
「大丈夫だって」
「なにがだよ」
「間違えても笑わないからさ」
「賭けなのに、どうしてお前は正解する前提なんだよ……」
「神さまだから」
「神なのか?」
「うそ。ただの恋するオトメ」
目端に頬を染め、手でパタパタ仰ぐ帆風が見えていた。──そんなことされたら、もう無理なんだよなぁ。これ以上詰まる息も限界……。
「……はぁー。わかった。わかった降参だよ」
それに俺はもう、子どもではない。単純にタネがあるなら知りたいという、知的欲求心で訊いてやると、仙崎は開き直ることにした。
「恋するおとめに降参したってことは、結婚してくれるの?」
「そういうのは、冗談でもよくな、んっ⁉」
彼女の細い指が頬に突き刺さっていた。
「いいから、しゃっしゃっと答えを言えよ」
せめてもの、反抗の念から抑えられたまま、そう言うと、今度はその指先を顔の前に立てる。仙崎は、こぼれてくる赤い血を見つめていた。
「ん。」
「ありえない話だけど、俺にそれを舐めろって言いたいのか?」
「ふひひ、誰もそんなこと言ってないよー どうしてもっていうなら、……別にいいけど」
上目遣いで見上げる帆風。
「……」
「もー、伏せないでよ! わかった、わかった、言うよ~」
その言葉を聞いて、のそのそと仙崎は起き上がる。
「あのね、」
帆風は、血の付いた指を仙崎の額に当てる。
「どう?」
仙崎は体内を流れる血液に、意識を向ける。
彼女の指先から感じる血液の流れと溶け合い、次第に帆風と感覚を共有していくイメージが完成する。
「じゃあ、あの血に集中してみて」
彼女の視線は地面に落ちた数滴の血液に向けられる。
「これは……?」
水滴のような血液からも、彼女の鼓動のようなものを感じられた。
「私はもっと多くのことが聞こえるの。例えば、空気の振動とかね」
なるほど。それで、来る前にだれかわかっていたのか。
「ずるじゃん」
「ずるじゃないよ。宗君もやればいいのに」
できないとわかっていっているのだ。仙崎も、多少は、『能力』を扱えるようになったが、数キロ先の血を操ることなど、一生かかってもできない。
──まあ、これはたぶん。もっと、精進しろってことなんだよな。
こんな、絶望を与えるやり方しなくてもいいのに。
「んじゃ、いいよ」
帆風は指先をこちらに向ける。
「良くないぞ……」
「なにがかなー? 私はハンカチで拭いて欲しかっただけなんだけどなぁー」
人目を気づかい声を出して笑うようなことはしないが、それを我慢するために腹を押さえてうずくまり、ぴくぴく震えている彼女を見て余計にイラつく。
「ひっひっふー。あー苦しい。涙出てきちゃうよ」
帆風はようやく上体を起こす。
「泣くほどって、お前……」
下から覗く彼女の瞳はウルわせていた。
数秒、木の机の下で目が合う。仙崎は、またからかわれないよう、すぐ目をそらす。
すると、彼女はちょうど正面になったその頬にキスをした。
「どうしたんだよ……」
「ううん、なんでもないよ」
互いに子供みたいな恋に、どぎまぎして正面から受け止められないのだ。だからせめてもので、思い出の続きのような日々を過ごすようにしているのだと思う。
そのあとなんて、手も触れないで神父からもらった聖書を広げて読むが、モーセには申し訳ないが、どんな、奇跡の物語よりも、どんな壮大な伝説も頭を洗脳することは出来なかった。
「お二人さん、ケーキでも食べないかい?」
割って話しかけてきたのは、丸眼鏡の神父だった。
「あ、いえ、おかまいなく」
「ほう。甘いものにつられないとは、大人ですね。しかし、遠慮することはないですよ。用意しすぎてあまっちゃってるんですから」
それでも、とは思ったが、真っ先に彼女は立ち上がり行ってしまう。
「お嬢さん、素直なのもいい子の一つですよ。ほかの子たちもいますけど、置かれているものはなんでも食べていいですからね」
仙崎は仕方なく、聖書を閉じ丁寧に机の下にしまうと神父に軽く頭を下げ、帆風を追いかけた。ここは長く使いたいので、この人とはなるべくいい関係でいたい。
聖堂を出ると、せっかくそれまでため込んでいた熱気が逃げていく。
「さみー」
仙崎は小走りで隣接する建物に駆け込む。教室に似た部屋が並んでおり、この時間帯でもわかるオレンジ色の明りの漏れる室内は、暖房が良く効かされていた。
部屋に入ると中央には、タッパーに入れられた料理や、お菓子が所狭しと並べられていた。
それを囲むのは、低学年くらいの子どもがはしゃいでいれば、端の方でリュックを背負うよう青年が本を読み、六十歳くらいのおばあさんが、ハンカチを口元にあて談笑していたりと、様々だった。
仙崎は、まばらにできた集団から帆風を探してみるが、すぐには見つからない。
「宗くん! 誰か美味しそうなのが見つかった?」
「うおっ!」
背中から話かけられ、情けない声をあげてしまう。振り返ると帆風は、形の崩れたモンブランを鷲掴みで口にほおばっていた。
「そんな目で見てやんなよ……。かわいそうに」
仙崎は、部屋を見渡すと最後の残っていた隅に座る。帆風も新しく缶に入ったクッキーを持ってくると隣に座る。そして、その中の一つを差し出してくる。
「今日って、なんか特別な日だっけ? クリスマスみたいな雰囲気あるけど」
「知らないし。興味ない」
帆風はそっけない態度だった。
「そうか。だったら、さっきのリベンジでなんか賭けるか?」
「そんなこと言ってないで寝ときなよ。まだ今日は長いよ」
そう言うと、彼女は体重を肩に預けてきた。
仙崎は彼女の寝顔を視界に入れないように、明るい声を上げる人々をただぼんやりと眺める。帆風の寝息を片耳に、あたたかな空間を湧かすざわめきを聞くのは、居心地よく、さらに呼吸を深めるように帆風の耳に自分の耳を擦り合わせた。
が、それもしばらくすると、自分がこの景色に羨望の感情を抱いているような気がしてきて、言いようのない不安に変化した。こんな、幸福に居てはいけない。ここで幸福になってしまっては、先には破滅しかなくなってしまう。
「まず、幸せそうだね。あと、よく笑う子が多い」
彼女が静かに言う。恐怖を見抜かれてしまった。仙崎は、これ以上彼女に弱気な姿を見せたくなくて、情報を与えないよう身動きもせず目を閉じた。
「でも、なんてことないよ。だって私たちの方が特別で、幸せでしょう?」
顔を帆風の髪がなでる。仙崎は頭に広がるにおいをさらに求めるように帆風の背中に手を這わせ手が腰に引っかかると、そのまま力強く引き寄せた。彼女と繋がっていたかった。彼女のぬくもりで自分の体を満たしてしまいたい。
そうすると、あの集まりにも急に顔がなくなっていくようだった。まるで楽譜があるかのように、同じような音程で、同じような感嘆を上げる。相槌の場所すら決められているようだ。
その証拠に耳を傾けたらすぐ眠気に襲われたじゃないか。遠くで誰かが笑っているのも、クラシックを聴くような感覚で、ああいや、ここでは賛美歌でもいい、名曲なのだろうが作品名を自分は知らない。それより近くで流れる懐古に浸らせてくれる童謡のような、ささやきを聞くべきだ。
「あのね。私は男の子にモテたいなんて思ったことないよ。ただの一度も」
帆風は、続けてそんなことを言った。朝の「ぶりっ子」と言われたことを気にしているのだろうけど。仙崎は頬が緩むのをこらえることが出来なかった。
「嘘じゃないよ!」と帆風は、焦ったように言う。
「わかってるよ。そんなこと誰も思ってない」
「誰もじゃないよ。宗くんに言ってるんだよ」
無性に彼女の顔を見たくなったが、我慢、我慢。まだ浅い眠りに夢を見ているような時間を崩したくない。
彼女が隣に眠る。朝の、たった一言の戯言を真に受ける。彼女が、そんな石ころに躓くことが、たまらなくうれしい。
このごろは殆どの時間を帆風のことを考えて過ごしていた。明日を考えることも、昨日を振り返ることも仙崎に耐えられるような、精神の頑丈さは失われていた。いや、元からそういう部分を学んではこなかったのだ。
明日には、希望のある未来があり、昨日には見下す人間が並ぶ。
「俺は、最低な人間だな」
「よかったね。もう人じゃないから、チャラだよ」
それから少し眠りにつくと扉が開く音がちらほら出始め、その度に鋭い日差しが差し込み一本道を照らす。
「俺らもそろそろ行くか」
仙崎の腕に頭を預けていた帆風は、欠伸をして頷く。
外は、足を滑らす程度の雪が降り始めていた。
「はー寒いね。このコートだと、全然貫通してくるよ」
「そうだな。新しく買ってもいいな……」
そんなことを言いながら、街を歩く。そこには、なにか音楽めいた規則的なリズムも、決まった法則もない、ランダムな歩き方。
この街を統べる正義から逃れるために、ここ数ヶ月で身についた歩き方だ。
一時間もすれば、あたりはすっかり夜気のにおいが漂い始める。
──そろそろか。
タイミングよく胸の携帯がバイブする。
『そろそろ時間だけど大丈夫そう? 宗』
「ああ。ちょい寒いけど、まあ、変わりないな……。それより、いつも通り頼む」
電話先の人物は、キーボードを軽くたたくといつも通り情報を伝える。
『じゃ、治関の無線とつなげるから。……その、無理しないでね。』
直接的な言葉を使わないのは、優しさなのかもしれない。男の声が消え、代わりに高い声の男とも女とも区別のつかない声が流れてくる。
仙崎は、イヤホンの片耳を帆風に渡す。流れてくる情報を聞き逃さないよう集中する。今日の場所は、ここから、二十分ほど行ったところだ。もちろん、〝二人の走り〟でだが。
手をこめかみにやりイメージする。
今は体の中心が心臓であるとし、そこから、まずは脳幹に血液を流す。
世界は一瞬で赤く書き換わる。脳みそが潰されるような圧縮を感じるとともに視界はクリアになる。
次に足のつま先を突き破るイメージで血液を流す。
「まだなの?」
一分しかたってないが、彼女は準備を終えたようだ。仙崎は、まだ完全には力を制御できていない。特に、仙崎に流れるのは帆風の血で彼女は、吸血鬼の中でもかなり強い。
「ふー、おっけ。おっけ。
あのさ。途中で話しかけてくるのやめろよ。危うくまた一からだったしさ、運が悪かったら、皮膚突き破って大量出血するだろ」
彼女はそんなこと、想像もしたことなかったのだろう。頭で、たぶん俺が失敗してる姿を想像して爆笑する。
「うざ。先行くからな」
「もー、まって、まって」
こうして二人は、白銀世界に色が変わりつつある街に駆け出す。
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