11章 逃亡生活

 あれから三か月が経った。仙崎は、いまだこの街からの脱出(愛の逃避行)叶わず、ここでの生活を送っていた。

 ふと思うことがある。もし、あの時自分が死ねていたら、こんな生活を彼女にしいらなくて済むのではないかと。

 仙崎と帆風は、吸血鬼殺しと裏切りの罪で、治安機関と、吸血鬼たちから追われることになった。当然と言えば当然の結果。二人は、毎日転々と街の隙間に、身を隠しながら生活していた。

 そしてついに街に、本格的な寒さが到来するところまできた。

「どう? 今日の格好は?」

 そう言った帆風は真っ赤なコートに身を包んでいた。本当は、体温の調節など、少し血液を活性化させれば保てるので、あくまで街に紛れるための仮装の役割でしかない。

「そうだな。もう少し、悩み悲しんでいる表情を作ったほうが良いんじゃないか?」

 今日の予定は、教会で過ごすことにしていたのだ。

「な、なに……?」

 的を射たアドバイスをしたつもりなのだけど。帆風は不満そうにズイッと一歩距離を詰めてきた。

「あ、そ。……ばか」

 そう言って、部屋を出て行ってしまった。

 だからなんだよ。

 もやもやした気持ちを抱えながら仙崎も準備を始める。一応姉妹という設定なので、なるべく服装は合わせておく必要があった。──姉妹で貧富の差があったらおかしいからな。

 借りているアパートを出ると、駅まで歩き、裸でポケットに入れていた小銭で、切符を買うとホームの椅子に座り電車を待った。

 目的の電車は定刻になっても来なかった。やけに感情のこもったアナウンスが流れ、構内はざわめきの声につつまれる。

「どうしたんだろう?」

 帆風が心配そうに問う。確かに。これを単なる偶発的な事故ではなく、足止めと考え、自分たちのへの襲撃が迫っていると言うこともできるか。

 そう思うと、穴が開くような不安がこみあげてくる。

 仙崎は、今更ながら携帯を見て、情報を集めることにした。しかし、何事もなく三十分ほど遅れて電車は来、四十分予定とは遅れて目的の駅に着く。

 改札を出ると、教会へ歩みを向ける。大通りから外れ裏路地に入るような道を進む。迷い者にしかたどり着けないような、秘められた楽園。楽だけではないか……。

 裾に当たる朝露に濡れた雑草が増えてきたあたりで、ようやく建物が見えてくる。 

 それを見て帆風が歩みを早めた。

「ちょ、ま、」

 スキップで、門扉の前に向かうと勢いに任せてターンしてこちらを振り向く。

「変なことすんなよ」

 仙崎は小走りで彼女を追いかける。

「だって、足が濡れるのが我慢できなかっただもん」

「だもん、て……、ぶりっ子は嫌われるぞ」

「そうなの?」

「ああ、ソースは小学生のお前な」

「ひどーい!」

 チューニングのための会話だから意味なんてない。そう、これから演じるのは、そういった境遇で学校に行けなくなった子供なのだ。だから、彼女のぶりっ子を今は素直にかわいいと思っておこう。

 一呼吸おいて、教会に入る。

 端の方の木製の長椅子に二人で並んで腰かけると、置かれた聖書をぺらぺらとめくり始めた。中は、風がないだけましというありさまで、座る椅子は冷たかった。

 はじめ来た頃は、逃げ込んだという状況もあり周りの視線、神の気配でさえおびえの対象になっていたが、そんな思いとは裏腹にここは救いを求める場所で、周りから見ればまさしくの二人に思われたのだ。そのせいか、お菓子や、毛布などをくれるものまで現れた。  

 彼らは、朝早くか夕方ここが閉まる直前などが多くで、それも、数分だけしかここに留まらなかった。彼らにとって、ここが留まるべき場所ではないと感じていたせいだろう、と仙崎は考えていた。

 それでも、彼らの援助は有難かった。仙崎は、なぜか彼らを無視する帆風に苦笑しながらそれらを有難く受け取っていた。今では苦笑は愛想笑いに変貌したが、友愛がここでの生活なのだ。それに、彼らの軽薄さは、次第にここを心地のいい場所に変えてくれた。

 帆風はその間、おもに教会の神父に対して神の善悪について質問し、困らせていた。(これは、小学生の時も見せていた、大人嫌いだ)

 けれど、それもしばらくすれば落ち着き、その手の質問はパタリとやんだ。それには、神父が治安機関のものだったという裏話もあるのだが。


 変化したのは周囲の環境だけではない。

 仙崎は、ほとんど純潔の吸血鬼と変わらないにおいを発するようになった……らしい。そして、その傾向が強くなるとともに、アリスとの関係は薄れていった。ほとんど隣に感じられていた彼女は、すっかり姿を見せなくなった。

「宗くん、どうしたの?」

「いや、ちょっと、昔を思い出していた」

「ふうん。……まだ、あの子のことを気にかけてるの? えっと、なまえなんだっけ?」

「……アリス」

 この帆風のアリスへの無頓着さは、彼女の出生からきているのだと知った。

 アリスは、人間だ。──こんな事を大真面目に言えるほど自分は染まってしまっている。

 吸血鬼は、その強い魂のせいで、体が完全に成長しきる前に内部から壊してしまうそうなのだ。特に体の弱い女性となると成人するまで生きられない。

 それは種の存続という面では致命的だった。

 ──そこで、彼らが、考えたのがヒトとの交配だったのだ。

 肉体的構造がほとんど変わらない人間を利用するのは、概ね正しかった。

 人間の母体が耐えられる確率は低かったが、五人に一人か十人に一人かは、子どもができたのだ。

 しかし、それでは、種の〝存続〟はできても、〝繁栄〟は出来なかった。

 こうして、自分たちの街を作り、母体の安定供給システムができる前までは。

 そう、それこそが、この街の真実であり、システムの正体だったのだ。ナンバリングは、家畜の種類分けのための記号でしかなかったのだ。

 そして、アリスは母体候補の一人だったのだ。

 彼女は、子どものころからその素質を見抜かれ、大切に育てられた。そして、その護衛をしていたのが、帆風だったのだ。

 帆風など、女の吸血鬼は、どうせ成人まで生きられないからと、主に戦闘能力の使用を求められる兵士として使われるのだ。

 あの学校にも、教師として紛れていた吸血鬼の護衛のために通っていたのだ。


 それが、帆風から数か月前に聞いたことだった。

 アリスはそのような街の仕組みを知っていたのだろうか? 体から見るに、まだ母体となるには、未成熟だ。伝えられず育てられていてもおかしくはない。

 そんな箱入り娘は、この街でさえ、鳥かごの外の世界だったのだ。

 仙崎は、ただの常識しらずの頭のおかしい女として接していた。こうして知ってしまった今、仙崎は、彼女を見るたびに、悲しくなり、初めて付き合った彼女に何もしてあげれなかった、後悔を感じるのだった。

 どうせ、俺のことだ。知っていても、何もしなかったであろうが、してあげたかったことは、何個も思いつく。

 いや、彼女にこの街の話でもしてあげるだけで、違ったのではないだろうか。

 帆風には一度話したことがあったのだが、いくつかの言葉で一蹴され、その時のつまらなそうな彼女の顔を見て、それ以降この話をすることはなかった。

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