10-2


 やはり、仙崎の予想は当たっていた。──辿り着く先は、国民の心のある場所。

 かつては防衛の要の城として利用され、上空から見れば、五芒星を二つ重ね合わせた形をしている。

 しかし、今となっては残るのは形だけで、外堀には土が埋められ、そこには、真っ直ぐ伸びた木々が植えられていた。垂れ下がった葉は今の季節では、レンガ色に染まり、一見すると、豊かな並木道が出来上がっていた。

さらに近づけば、風景の変化からすぐに、「あら、違う場所に来たのだわ」と誰でもわかる。

 何しろ、そこまで、周辺に乱立していた、コンクリートビルが突然姿を消し、ただ、だだっ広いだけの舗装路が伸びているのだ。

 それだけ、ここは、この街でも特異な場所だった。

 

 二人が通る頃には、夜は深くなり、人の往来はすっかりなくなっていた。


仙崎は、軽い放心状態に陥っていた。

 ──ああ、そういえば、あの吸血鬼を殺した時も似たような感覚だったな……。

 まるで、身体中の血液が逆流し今にも噴き出してしまいそうな、むず痒さを感じていた。

 そのような動悸がするたび立ち止まった。1、2分もすれば、それは収まり、また歩みを進めるのを繰り返した。

 アリスもそのたびに足を止めた。

 ──彼女なら、俺が何に苦しんでいるか教えてくれるんだろうか。

「んっ。いや、それはないか……」

 落ちている葉を、足で集めては、その上を両足でジャンプして潰しているのを見て、諦める。黒いブーツを履いているため、思い通り足を持ち上げれないのか、すっ転びそうになって、

 ──あっ。こけた。

 その瞬間、尾骨に衝撃が襲う。うん、俺に。

「いっつぅ。おい! てめぇ!」

 アリスは、何事もなかったように立ち上がると、悪気なさそうに、ワンピースについた、葉を払っている。

「ふぅ。危なかったわね。危うく転ぶところだったわ」

「いや、もう転んでんだよ!

 前から思ってたけど、なんでためらいなく俺に、ダメージを負わせられるんだ。少しくらい、罪悪感とかねーのかよ」

 ただ、その痛みを共有しないあたり、自分も大概だと思う。

 仙崎は、苦笑を浮かべながら、誰の通りもない道の真ん中を歩きだした。

 もはや自身が脱走者や脱落者、まして、国賊、革命の担い手なんて考えはなくなっていた。内にあるのは、「帆風を救いたい」という一心だった。

 ここへ来て、自分の最後になるという気持ちは、英雄への一端に吸収され、むしろ戦闘本能を高揚させる作用を担っていた。覚悟が決まった? それとも自暴自棄になったという方が正しいかもしれない。

「敵(吸血鬼)が怖くないのか?」

 男の声が、聞こえる。

「やっぱり、おかしいですよね? ……でも、……怖いからって、どうなるんですか?」

 道の真ん中に、散歩の途中でもあるかのように立つ青年。自然の月明かりが作り出した、濃い影のせいではっきりと表情はみえない。これが街灯の明かりだけであれば、違っていただろう。

「だから、僕を裏切ったんだもんなっ。大した考えもなしにさ。──僕より、彼女を選んだ」

 夜風に乗せられ、男の小馬鹿にするような笑い声が聞こえた。

「相手が誰であれ、俺はホノカから離れられないんですよ。……恋なんて笑っちゃうでしょ。でも俺は、それが、世界の希望にも、思えてるんですよ」

「そうかぁ。だから、病気……ね。それは、治らないのか?」

「はは、そんな。比喩ですよ。比喩。治るとか治らないとかそんな問題じゃないんですよきっと」

「そう。だから私たちは、もう停まらないの」

 アリスの声だった。

 仙崎は、それに同意も反抗もしなかった。

 返事をしてしまうと、この時間が終わってしまいそうだから。

 彼が、あの場所から逃げだせたとは思えなかった。つまり、今見ているのは、俺の夢。記憶の整理の中に、アリスの意識が、混濁しているに過ぎない。

 願望でもなく、試練でもないのだ。ただの夢。

朝起きて、体を抱きたくなるような、もう一度目をつむり、焦がれるような幸福なもの。

 夢遊病患者は、足を止めてなどいなかった。

 おもむろに、仙崎は、前を歩くアリスの手をつかみ引き寄せる。二人は初めて、並んで歩く。

 追いついた! 

彼女の苛烈な行動にやっと追いついたんだ。

「私は、私の決め事。あなたはどうなの?」

「意味わかんね。……俺は、お前には逆らえねぇよ。何をしようにもお前の体なんだ。好きにすればいいだろ?」

「私は帆風を救いたいわ」

 静かな目でこちらを見据える少女。

彼女はいつからその覚悟を持っていたのだろう。だって、見ず知らずの人間を自分の中に受け入れるなんて正気の沙汰ではないじゃないか。

「こわくない、こわくない」

 仙崎は、夜空におまじないでも唱えるようにそうつぶやく。それは、彼女の口を通し聞こえる。

 彼女の瞳が、ただでさえ大きいのに、さらにぱっと見開かれる。驚きの表情だ。

 仙崎は、それを横目に、今度はワントーン上げて言ってみる。

「こわくない、こわくない」

 仙崎は思わず笑ってしまった。

 耳に響く自分の声の似合わなさや、彼女の強固な覚悟を、こんな簡単なことで踏みにじってしまうことを馬鹿にして笑う。

「はぁ……、ったく、俺の性格終わってるだろ……」

と、いったい誰のためか分からない罪悪感を口にする。

 こんなこと、わざわざ言うあたり、ちっともそんなことを思っていないのは明白なのだが。

 彼女の目線が鋭くなってこちらを向いている気がするが無視しておこう。

 今までまるで、今日が最後の夜、明日が終焉の日のような焦燥で歩いてきたが、そんなことはないのだ。

 明日があれば、明後日もある。

 さあ、その一歩を踏み出そう!


「な~んだ。やっぱり死んでないじゃないかぁ」


 風が強く吹く。役者にしては、地味な服装だと思った。もし、深夜に人通りがあれば、すれ違ったとしても気づかなかっただろう。

「っちぇ。だから僕はあの時とどめを刺そうと言ったのに……これじゃあ、二度手間になるじゃないか。嫌いなんだよ。二度手間は!

あーっ、あの死にぞこないが。どうせ死んでたんだから、助けなんか求めてくるんじゃないよぉ──」

 彼が歩くたびに、横の街灯がガシャンとガラスの割れる音をさせて消えていく。そのせいで彼の後ろは全くの暗闇だった。

『自分の行く手を遮るモノなどいるはずがない』、などと、自惚れを起こしていたわけではないが、いざ実際に目の前に現れると、体は簡単に砕けてしまいそうなほど恐怖に支配される。彼がまわれと言えば、そのまま従ってしまいそうなほどだ。

「どうしてここに? なんては思わないけど。だけどさぁ……最悪過ぎるだろ」

「疑問は一つ。どうして、ここが分かったのかなあ? 君がそれを知るすべはなかったはずなんだけど。あの、お肉君にできるとも思えないしねぇ」

 ああ、その言いぶりからすると、親友は無事らしい。いままで、心配などという気持ちがなかったのに、降ってわいたように安堵の気持ちが沸き起こる。

「だめだめ。そんな敵の前で、油断したら、簡単に死んでしまうよ」

 自分の右手が視界から消えた。

「──ぁれ……?」

 悲鳴を上げる暇もない。

 消えた行方を捜すように視線を彷徨わせていると、不意に腰から下の感覚がなくなり、そのまま尻もちをつく。──そこで、ようやくみつかる。

 彼に切り落とされたのだと知った。

「そっか、そっか。分からないなら、直接訊けばいいんだッ!」

 吸血鬼は、ためらいもなく血だまりの上に立つと、

「ねぇ、ねぇ。教えてくれるかなぁー?」

 横から絶望した顔を覗き込んでくる。

 仙崎は、すすり泣いた。

 何も知らない純粋な少女のように見せる擬死だったが、思いのほか効果はあったみたいで、それ以上の追撃はなかった。神様はまだ見捨ててないみたいだ。

「あーあー、うるさい! うるさいなぁ! テロリストなんだろ。そんな奴が泣くなよ。僕も困っちゃうじゃないか。ただ、君のことを知りたいだけなんだ。はっきりわかるのは、君が僕たちの同胞殺しで、そんな奴が平気な顔して街にのさばっていることだ。さあ、仲間の名を吐け、武器の隠し場所を教えるんだ」

 何を思ったか、吸血鬼は悲しみ震える仙崎に近づくと手を腰に回すと、

「はぁ、めんどくさいけど、持ち帰って拷問でもするとしようか」

 吸血鬼は、ここでの自白を諦めたのか、ぶつぶつと文句を垂れ始めた。

 この日、本当に自分はツイていた、と思う。

 吸血鬼は抱きかかえて脆弱な人間を持ち帰ろうとしたのだろう。

 自分の服に血が付くこともいとわず、持ち上げる。しかし、偶然、仙崎の右腕が吸血鬼の腹に当たる。

 なんてことない。吸血鬼の着る白いワイシャツに、ワインをこぼした様な赤い跡がつくだけで終わるはずだった。

 しかし、突如、仙崎は地面に落とされ、吸血鬼は膝をついた。

「んあ……?」

「え?」

 誰もがその状況を理解していなかった。

 吸血鬼は、小さく声を漏らし、微笑をたたえていた表情が崩れた。自身の死に直面し動揺しないものなどいない。それは吸血鬼も同様のようだった。

 仙崎は、地面に横になったままの体勢でいた。

 先ほどまで痛みなんて感じていなかったのだが、ちりちりと、右腕が痛みだす。それは、外傷によるものと言うよりは、成長痛とかそんな内包する、どうすることもできないと直感するような鈍痛だった。痛みに耐えかね右腕を空に掲げてみると、ポツポツと顔に何かが垂れてくる。

「?」

 目に映ったのは、──切り落とされていた右手から赤い塊が生えていた。

 右腕全体が鮮やかな赤い血に包まれ皮膚を剥いだ様な姿なのだが、これは再生しているというよりは……アリスの持つきめ細かい白い右手とは違うナニカに進化を遂げようとしていた。おそらく、これが男の腹を掻っ捌いたのだ。

「な、なんだよ、それはッ⁉ そんなの……そんなの──まるで、僕たち見たいじゃないかっ‼」

 今までの邂逅の中で最も余裕のない怒声で、吸血鬼が叫ぶ。

 発狂する敵を前に仙崎は、自らの意思によって動かなかった。その右手の美しさに見惚れていたのだ。

 包まれる真っ赤な血に透ける筋繊維や、骨は、体を構成し、ある種の生きている証(生命)になっているのだ。

「そうか……」

 仙崎は、そこでようやく判る。これは自分が創造したものではない……。

 これまで密かに感じていた内包する脅威はまったくの見当違いだったのだ。もしそれが授けられるとしたら、生ける人間だけなのだろう……。だからこれは、アリスという少女の狂気が体を貫いて出てきたものなのだ。どこかの誰かが強くあろうとする見栄によって抑圧していたのをこうして破ったのだ。

 それにしても……、あのアリスが想像したものが、このグロいやつとはね。

 からからと木枯らしのような笑い声が漏れる。

「なに笑ってんだい? 僕を前にして、そんな態度はやめたまえ! それとも、ついにおかしくなってしまったのか? 

この街のせい? それとも、君自身か。それとも僕たちに潜む癌か。

あぁ、こりゃだめだ。だめだ。余計こんなの生かしておけないじゃないか!」

「俺なんかにかまうくらいなら、あんたらの腸を食らう女に気を付けるべきじゃないか?」

「そうか。そうか。でもさ考えてみなよ、人間ごときが僕を喰う? それこそ、まさかじゃないか。はは、僕は何に恐れているんだ」

 ──来なさい、子供たち

 そういうと、指揮棒でも振るかのように、吸血鬼が夜空に向かってパチンっと指を擦った。

 仙崎は、はっとする。草食動物がライオンや虎といった天敵に匂いで気づくように、自分を殺そうとする匂いを嗅ぎつけたようだった。

 姿は決して見えないが路傍の木々が、カラスが飛び立つがごとく揺れ、その存在を知らしめていた。

 仙崎がもし、嘆くことがあるとすれば、それは敵の存在が、一人ではなかったことくらいか──そう。殺されることを、悲しむのは見当違い。

 彼は、これを吸血鬼に由来するモノだと言っていた。

 見据える先の敵は、腹部に受けた傷はすでに出血は止まってしまい、服だけがその傷を受けた事実の証拠として破損していた。

 されど動けない敵。──ああそうだ、どうせ死ぬのなら、一人くらい。

「ダメよ。────」

 駆けだそうとする体を誰かに掴まれた。

 孤独の世界から引き戻され、仙崎の足は一歩も動かせなくなってしまった。

「勝手に終わろうとしないでよ」

 どうしてこうも、この女の子は察しが悪いのだろう。

 掴まれた手に感じる生きるエネルギーの熱さが余計に腹立たしい。振りほどいてしまえれば。いや、もっと、この手を引っ張りあの化け物の前に連れ出してやろうか。

 仙崎にとってここで無抵抗になろうがなるまいが、もう終わりなのは変わらないのだ。一心同体。それは彼女とて、同じことのはずだ。

「もう、どうでもいいだろ……。今更だけど、お前の体を好きなように使って、復讐をしようとしたのは悪いと思ってる。だから多分これは、その罰が、」

 仙崎の言葉を遮るようにアリスは、仙崎の胸を二つのこぶしで叩いた。

「あなたは、ここで戦うしかないの」

 ──圧倒的言葉不足

 しかし少し考えてそれは違うなと思う。きっと彼女は言葉を知らないんだ。そんな、かわあい子を俺と帆風は共犯して騙しているのだ。

 俺の罪なんてものはわかりやすい。では帆風の罪とは?

 アリスの目の前にある死さえ判断できないほどの狂気と言ったら失礼になるか、固い意志は何に由来するのか。

 だから共犯なのだ。

 もっとわかりやすく。どうして、彼女の体の主権を俺が持っているのか、誰がそのような教育を施したのか、考えてみれば簡単なことだ。

 そこで、吸血鬼が、ごほっ、ごほっと、口の中にたまっていた血を吐き出し、調子よくしゃべりだした。

「あの日の少女がここまでするとは思わなかったよ。ついには僕まで引きずり出してきて。うん。うん。認めよう、僕は少しだけ、君に惹かれてきたよ。しかし、それはだめだ。脅威になってしまったのは少し残念だよ。僕の手で葬ることはなくなってしまったからねぇ」

 仙崎を取り囲んでいた気配がその姿を見せる。

「お姉ちゃん……」

 低い声でアリスが呟く。

 ──そうだ。

 年頃は、小学生と中学生の間くらいだろうか。

 こいつらが何者であるか仙崎は知らない。しかし一つの事実、


 全員が帆風に似ていた……。

 

 もちろん、髪型、肌、身長もバラバラで、一見すると他人同士の集団なのだが、その瞳だけは、──誰も彼をも惹きつける、目だけは同じだった。

姉妹で目元だけ似るなんて微笑ましいものではなく、もしそんな人に出会ったら、常に緊張感をもち平穏や融和などとは程遠い世界に連れて行かれる。ふとした瞬間に目が合い、いつから見られていたと、怯える必要のある関係になるのだ。

「ほら、ほら。これで面白くなってきたじゃないかッ!」

 仙崎はその言葉を聞き、深くため息をつく。背中はうなだれ、その顔面からは覇気がなくなっていた。

 もう、仙崎には語りだす敵を止めることも、まして、命を刈り取ろうなんていう気概はなくなっていた。戦意喪失。

「どうどう。この子たちは、君の思ってるような事じゃない」

 吸血鬼の男も、さすがに先刻殺意を向けてきた者の戦意がなくなっているとは思うまい。子どもを兵器にしていることに怒っているとでも勘違いを起こしたのだろう。

「悪いね。前にも言ったけど、僕たちボーイは、種馬の役割しかないんだよ。

 だから、僕たちを守り戦うのは、この子たち。

戦闘特化型の、『戦士』の役割を与えられた子どもたちだ」

 彼は近づくと、少女の一人の頭に手を置く。少女も、乗せられた手に自分の手を重ねる。

「だいじょうぶ……?」

「んあぁ。ほら、ほら。見てみるかい?」

 吸血鬼は、ワイシャツをめくりあげると、少女は傷のあった部分に出来た血塊を甲斐甲斐しく舐め始めた。

 吸血鬼は、その子の髪の毛、耳そして頬へと順番に触れる。すると、そこへもう一人の子どもがかけより、彼の手を二つの手で持ち上げ今度は自分の頭にのせた。先ほどまで撫でられていた子は少しむっとした表情で隣を見る。

 そんなものを見せつけられたせいで、仙崎は急にその吸血鬼に優しさ、親だけが持つ家族愛を感じることになる。──街を裏切り、愛のために殺すことを誓った、さまよえる二人の孤児は対照的に映るだろう。

 気づくと、歩き出していた。そこには、憎しみも、殺意も、嫉妬なんて感情はなく、あるとすれば、縋り付くような救済を求め徘徊する無為の躯。

「もう、君のことを煮るも焼くも殺すも容易になってしまったわけだが、──あぁ、自暴自棄にはならないでくれよ。

そんな死にたがりは、つまらない。つまらない、じゃないか」

彼は、まだ何かしゃべっている。

「僕だってパパの命令は無視できない。君が、これ以上進むなら、自動的に殺してしまう」

〝自動的〟という言葉に引っ掛かりを覚え、仙崎は立ち止まった。

「あら、あら。ホントに止まってしまったよ。だけど、良い、誉い。それでいい。例えここで勝利を得たとして、その先に何があるっていうんだ」

「あの人、おかしなこと言ってるわ。先には、ホノカが待ってるじゃない。あなたも、そう思っているのでしょう?」アリスが耳元で囁く。

仙崎はそれに静かにうなずくことで賛意を表す。

「僕から一つ提案があるのだがね、いっそここから逃げてしまうってのはどうだい?」

「どうやって? それに、まずあなたが逃がしてくれないでしょう」

 男の笑い声が、夜の空に響く。

「あはははっ。それを僕に訊くんだねぇ。ま、いい傾向と言えなくもないのかね? そうだな、君への答えはこうだ。少なくとも僕は許すつもりだよ」「なぜ?」

「そりゃあ。殺しはこの子たちの教育によくないからねぇ」

 仙崎は息が詰まる。

 彼の言うような、攻撃が届かないところまで下がることが出来る確率は今の俺にどのくらいあるのだろうか。

 結局のところ、完全な二択。──どちらに期待するか。進むか、逃げるか。死ぬか生きるか。どちらを選べばいいのやら。

「でも……それじゃあ。……俺の恋はどうなる?」 

 つい口を突いて出てしまった。自分でも笑ってしまう。

 言葉も言葉だが、それより、そのあとの誤魔化しに恥ずかしくなって、それを隠すように彷徨わせた視線にぶつかったのは、アリスの切ない顔だった。それと、こめかみに皺を寄せ、歯をむき出しに食いしばる男の苦悶の表情だった。

 アリスの体はいつのまにか、吸血鬼の目の前に伸びるアスファルトに書かれた白線まで到達していたのだ。ちょうど一メートルほどの距離。

 初めから決められたかのように実行された──『自動的に』

 アリスの両腕を切り落とすように、真一文字に男の右腕は振るわれた。

「まったく、君には驚かされてばかりだ」

男の声ではっとし全身に熱を感じるとともに、体の感覚が溶けあっていくのを感じていた。

 マグマのような熱を持った血流が体をめぐる。中心から、足先、そして脳天まで達っした。このまま痛みも意思もアリスに任せてしまい、俺の意識は自然消滅してしまえばいいや、なんてことを考えていたが、彼女の体を流れる血液はついに血管を突き破り、全身から噴血し始めた。まるで、誰かが戦闘を求め、それに応えるように彼女の体が進化しているように。──この身体を生きようとさせる思惑を持つ者の仕業。 

 しかし、その誰かを突き止める暇もなく、鼓膜を破壊せんばかりの悲鳴が轟く。

「うぎがぁぁううぅぅう‼」

 吸血鬼が絶叫していた。見ると、彼の胴体に赤い斑点のようなものができていた。まるで散弾銃にでも撃たれたようだった。

「あがああぁぁ‼ 不思議、不思議だなァ⁉ 僕の血がうまく作用していない? 僕より、上級の血統? 

 それこそ! まさか、だよなぁぁァァ!」

 吸血鬼の男はただ絶叫していた。が、すぐに少女に背中を持たれそのまま地面を引きずられる。

「待てえぇ‼ 待てえええええ‼」

「ダメ、ダメ。チチ。死んじゃう」「サキも手伝って!」

 二人の小女に両脇をホールドされ、後ろ、さらに後ろへ下がる。

 仙崎の体には、次の瞬間には無数の槍が突き刺されていた──少女の、手刀に体を貫かれていた。

「あ、あ……ああああああああああああ!」

 激痛。この体になって、初めて受ける直接的な痛みだった。

あまりの衝撃に脳の言語野が破壊され、言葉にならない悲鳴という液体だけが脳内を支配する。

 それでも、血液に流れる、【別の意思】がこのまま大人しく殺されることを許してはくれない。

 体外へ流れ出た血液がぞろぞろと生き物のように蠢きだす。それは、仙崎の周囲に集まる少女の体を這いずり回ると、後の少女たちの体には、ミミズが這いずったような傷跡が浮かんでいた。肩を抱きながら吐血する者、血だらけになり膝までついてしまう者。もはや少女の咽び泣きではなく、獣のような呻き声が闇夜に共鳴していた。

 仙崎は、苦しみ呻く少女を見ながら、自分がしたこととは思えず呆然としていた。

 その、非現実感に誰かが言った「罪には罰が下る」そんな当たり前を忘れてしまっていた。夢想世界で仙崎はタガが外れ、簡単に傷つけることができてしまった。

「んっ。なに、こいつ……? ケガが全然治んないだけど」

「そうだ。そうだ。気をつけなきゃ。こいつは僕らと同じ、吸血鬼の血を持ってるっぽいからね。致命傷貰ったら死んじゃうからね」

 吸血鬼の男が後ろから、言い聞かせる。

 少女たちの身に纏う空気が変わったのを感じる。細い手足を、こねくりまわし、屈伸などする姿を見れば、体育でも始まるのかと思うが。それが終わると、戦闘態勢とばかりに腰を落とし、睨みつけて来る。

「残念だよ。彼女のとっておきだから少しは期待したんだがね……。

さぁ。さぁ。開戦といこうか!」

 そんな吸血鬼の掛け声を合図に少女たちは動き出す。

 三方向から突っ込んでくる。物凄い加速だった。三人の姿を殆ど影だけだが何とか視界にとらえる。

 仙崎も迎撃態勢に入るために構えを取る。

 瞬きをすると、襲い掛かる少女の姿がもう目の前に、

 (この右腕でまとめて横一線に薙ぎ払う)

 短い時間で考えをまとめ、迎撃しようとする直前、少女の体が弾け上下に千切れる。

 ──違う! 後ろに潜んでいたのか‼

 これが本能的な行動なのか、はたまた意図的か。仙崎との距離が3メートルほどになった時、突っ込んできた少女の後方からもう一人が飛び出してきた。

 細切れのように、仙崎の進化した眼はその全ての動作を捉えていた

が、

 されど、不可避の攻撃。

 一人や二人を犠牲にできるかもしれないけど、それではしょうがない。

 攻撃が当たることを予兆するかのように、少女の動きが生む風切り音が、全身を擦過していく。

「──『鳥籠(ラ・カージュ・オ・フォール)』──」

 ひび割れた地面から、紅い糸が放射状に伸びた。

 仙崎達に突っ込んできていた少女たちはいっせいに乱舞した。

 あるものは、互いを蹴り飛ばし、あるものは、宙で体を無理やり捩り、無数の紅線を避けようとする。

 一瞬にして紅い糸は仙崎を囲み、少女の接近を完全に遮断した。

「これは……⁉」

 戦場にわずかな静寂が訪れる。

「アリス。お前がやったのか……?」

 あまりに情けない呼びかけだったのだろう、彼女はため息をつく。

「ほら、集中しなさい」

 慌てて周囲を眺めると、一層深くなった朱い目が取り囲んでいた。

「ねぇ、あいつ、うざいんだけど」「ねー。それ。チチに迷惑かけないでほしい」「ていうか、何いっちょ前に、力使ってんの?」

 少女たちは、自身が傷つくことを嘆くとも、怯えることもなく、むしろクラスで友達とするような会話をしている。

 油断はしない。そう。たった一度の襲撃を防いだだけなのだ。

 仙崎は、軋む骨の痛みを我慢し深く息を吐く。

 この戦闘はいつまで続くのだろうか……。

 こいつらを殺してしまえば、はい、おしまいなのか。

 ではその先は……?

 はやく会いたい。

そんなことでいいのか……、いや、死ぬことを考えるよりは、マシになっているのか?

 仙崎は、縋りつくようにアリスを見つめた。彼女は、いまだ荒々しい呼吸をしていた。そう、喉を焼かれながらも酸素の巡りを止めまいと必死な少女の姿。

 そればかりか、彼女のあのような攻撃はこいつらを全滅させてしまう気配を見せたのに、俺はただ突っ立ていただけではないか。

 でも、ざんねん。これが俺の限界。これだけで限界なんだ……。

 気づけば泣き出していた。

 はっきりしたぞ。彼女は俺のために、その体を、戦いへと捧げている。

考えていたら、我慢できなくなっていた。激情的に右腕を左腕をひっかいた。最後まで刺さることはなく、肉と骨が途中で押しとどめ、そこから傷は横に広がりを見せた。

「俺は、何もしてない。何もできない役立たず……」

 後から思えば、これが自傷行為で良かった。もし誰かに傷つけられていたら、いや今そんなことはどうでもいい。これで落ち着いてきた。

 ああ、俺でも一つ心当たりがあるぞ!

 あの男に傷をつけた。それだけ。それだけは今思い出しても、肘に受けた骨が削れる衝撃が残っている。あの大犯罪は俺がやったのだ。

 おれだって、「世界の使命」への喪失感をどうしようもなくなっていたのではないか。あの病室で出会った男と同じではなかったのでは。

 くそ。これじゃあ、あの吸血鬼が、逃げろと言った時には、すでに手遅れだったのではないか。

 行くも帰るも地獄。

 それなら──決めた。あいつらも巻き添えにしてしまおう。

これから受ける傷はもっとひどい。しかし、痛みは感じない。道徳もなし。無感動に動き続けるのだ。俺は、死人だ。幽霊として憑りついてアリスを動かし続けるのだ。振れ触れフレ。この体を死へと導いてやれ。


                  ×××


「あぁ、あぁ、──」

 じっとしていてはだめだ。

 流星群のように突っ込んでくる彼女たちを、予測して、反応して、なんてことは言わない。そもそも目で追えていない。だから、ただ立ち止まらず動き続けた。

襲いかかってくる一人が視界の端で転倒するのが映ると、ああ、生き延びられたと安堵し、再びの恐怖に身を投げ出す。


「あ、後ろ」

 振り返った時には、暗闇に赤いテールランプのような光の帯だけが見えた。もう回避は間に合わない。とっさに顔の前に腕を構え防御姿勢をとる。

「ぐっ……‼ お構いなしかよッ!」

 腕の上から、普通の人間なら吹き飛ばされるような重みのけりが圧し掛かってくる。

 よろよろと体勢を崩すが、幸いなことにそれで距離が取れた。

 すぐに次の一歩を踏み出し、さらに前へ三歩。そして、うしろに二歩下がる。これで何度目だ。もう次はない、次はないと言い続けて、どれくらい経った?

 その功績は、彼女にあった。

 彼女の声を感覚器官の信号の一つとしてとらえ、反応していた。アリスが行く手を決める。

 しかし、そのような身体機能を手に入れてなお、限界は刻々と近づいていた。それも、目に分かる形で。

 二人は、今粉塵の中に閉じ込められ視界を失っていた。


 少女たちは戦闘が再開すると、遠距離から自身の血液を凝固して創り出した矢を浴びせてきた。賢い。こちらの持つ武器の届かない場所からの攻撃。が、それでも、アリスの張り巡らせた血の糸は、防御網のように撃ち落とす。それもたやすく。目の前で弾けた欠片が、頭上に降り注ぐ。周りでも一撃でも当たれば体を貫いてしまうであろう真っ赤な矢が落ちていっていた。

 取り敢えず生き残ったか……。

 しかし、降り注いだ矢の嵐は副次的効果として、地面のコンクリートも穿ち煙幕を作り出していた。

 次は、どこに逃げればいい。迷いは動きを鈍らせ、アリスの牽制攻撃も、視界を奪われできなくなった。

 そんな二人を目掛けて、奴らはとどめとばかりに容赦なく突っ込んでくる。

 アリスが地面にあらかじめ設置しておいた血液でできた茨を食い破り、体中に千の傷を作ろうとも、仲間の血の矢が刺さろうとも、無視して、無理やり密着して近距離戦に持ち込んできた。

 意表を突く人間の左拳を振るい引きはがす。腕に鈍痛。折れた。

 それでも無問題。まだ、アリスの警戒網は機能している、

 優先順位を判断。即決。

 後ろ。

 ステップで振り返り膝を合わせる。

 次。

 そのまま、回転に身を任せ遠心力を乗せた右腕の凶器に二人の少女の体をぶつける。吹っ飛ぶ。

「ぅぐッ!」

 背中に痛みが走る。アリスが撃ち漏らしたか。

 (集中しろ!)

 よろついた体を立て直す暇は、ないッ!

 地面に倒れていく体を、逆らわず転げるようにして降ってきた攻撃をかわす。耳奥に悲鳴が残る。

 少女はそのまま血の茨に足を絡み取られ、地面にひれ伏すと、ギャアギャアと喚いていた。少なくとも彼には、そうとしか聞き取れなかった。ジタバタはさらに体に茨を深く突き刺した。

 もし、右腕を振り下ろせば頭を砕き割り、死んでしまう。

 ……力を籠める。

 一名死亡。

 少女の血しぶきが目に入り、視界が赤に変わる。

 そうだ。やらなければやられていた。大丈夫。戦えるさ。

 いつ終わるとも知れない、常に死の淵にさらされる極限状態の戦闘中、しゃべり続けた。それも、こいつらにも聞こえるような大声で。

 道を見失い、己から〝諦める〟という言葉が出ないよう自分を戒めるため。


 終わりは突然に。

 ようやく、矢が尽きる(捨て身の攻撃は、諸刃の剣。彼女たちが吸血鬼と言ってもまだ子供なのだ。保有する血液量には限りがある)

 仙崎が横に一薙すると、視界を覆っていた粉塵が晒された傷をなでながら、流されていく。

 眼前には、か弱い女の子がふたり重なるように倒れているが、それを心配する者は、誰一人いない。仙崎も自分の足元にできた水たまりのような血だまりをぼんやりと眺めていた。ぽつりぽつりと、まだ熱を持つ滴が水面を打ち続ける。

 もはや自分の中に、人間と呼べる部分はないように思えた。

「あや、はや。僕は、退屈になっちゃたなぁ」

 不自然な笑みを浮かべながら、吸血鬼の男はいった。

「……笑ってていいのか? ごほっ、ごほっ──残酷な奴だな」

 地面に右腕を突き刺す。──男の意識を転がる少女に向けさせるために。

 もう腕が痛むこともなく、簡単にコンクリートは砕けた。

「……そうだね。可哀想だ。僕に騙されたばかりにね。でも、君が殺したんだ。君のその、手で人生を刈り取ってしまったんだ。恨ましてもらうよ」

 感情がないわけではない。彼の恨みも、本当にそう思っているのだろう。では、どうしてすぐにもそれを晴らしに来ないのだろう。俺がすでに戦えない体になったと判断したからだろうか。

 自分の体を見ると、空いた二つの穴は一向に塞がらず、腕は、何倍にも肥大化していた。

「誰のせいで……。この子らに命じたのはお前だろ」

「君は、誰かのせいにする必要があるのだね。安心しなよ。神だって、君を罰しないだろう。だって、自分が殺されないためにこの子たちを殺したのだろう? ならいいじゃないか!

 僕は、他の手もあったとは思うんだがね……。それでも君の選択をだれも邪魔できない。喜ぶがいいさ! それだけの力を手に入れたのだ!」

「い、意味が分からない……。こうして殺されようとしているのに、何が力だ!」

 自分の命がわずかだと悟っていたから、無駄話で時を過ごしたくはなかった。

「つまりはさ、僕はこうも思っているわけさ。

 高いところから落ちたり、轢かれたりじゃなくて、君のような頭のいかれた反逆者と戦えているのだと。僕の命じる戦争は、そのような、名誉を与えてやれているのだ。

 所詮は、僕もこの子たちも人間ではないからね。殺され、淘汰される運命にある。ただそれを待つ。まるで、時計のように時を刻み続けるのみ」

 吸血鬼の男は、倒れていた少女に歩み寄ると、膝の上に抱き起す。触るのを躊躇するほどの傷を負った少女。

「しかしこの数年は良かったよ。ほんとうに、全く。これまでの人生を後悔したくなるほどに。死を待つ運命に、この数年、僕は生を実感している。この子たちが僕の生きがいになってしまった。

 ……少し個人的な話をしすぎたか。もう、気にしなくていい。半ば決められた人生の中で彼女はここまでだった。それだけの事。僕の生き方では、そのようにしか考えられない……」

 己の命令によって、血を流す子どもを前にして、よくそんなことを抜かせるな。

 ひは、ひはと息を吸うと、体の穴から空気が漏れる。その度にごぽっごぽっと、赤い血液が、川に捨てられる下水のように流れる。

 敵の言うことを真に受けて、自分もここまでなどと思いたくはないが、満身創痍。

 目の前の敵を討つ。少女を叩きのめす。

 何の意味が?

 だって、アリスが会いたいっていうから仕方ないだろ。

 帆風と過ごしたいんだろ。

 じゃあ、好きって何?

 手をつなぐとかキスとかだろ。

 じゃあ、愛は?

 もう、戦いたくない。


 そんな詩を読んだとき。

 仙崎の見ている景色は劇的に変わる。

 地面に流れる流血が旋風乱舞となり、血の刃が、吸血鬼たちの体を引き裂いた。


 My heroは、目の前に降り立つと優しく抱きしめてきた。


「……ふふ、ふふ……。ふひふひふひふひ──ふひゃひゃひゃや!」

 彼の高笑いが夜空に響き渡る。

「やはりほのちゃん、君が来るか!」

 歯をカチカチ鳴らして、拍手、拍手。セリフだけ聞けば、まるでこの事態を想定していたかのようにも思えた。

「それにしても一つ疑問があるだよなぁ。君の体には、確かに僕の種を植えていたはずなんだけど、一体どんな方法を使って呪縛を解いたんだい?」

「うーん。どうしてだろう? 今日のあなたの血は脅威ではないというだけ」

 彼女は、もったいぶるように言う。

「ハハ。理由を教える気もない、か……。まあ、ここは美しく愛の力とでもして納得しておくことにするよ」

 彼は、何の気なしにそのように言ったのだろう。

 しかし、仙崎はその言葉を信じてしまった。二人のその関係の深さに嫉妬し、亡霊になったことを悔いていた。これでは、彼らに割って入る口も、彼女に追いすがる足も手もないではないか。そのうち、この話し声も遠くなっていく……。

「それいいわね。でも、もっといい答えがあるわ。『あなたが好きな人傷つけたから』それとも、それじゃ理由にならない?」

 彼女は小首をかしげる。

 ──まだだ。まだ俺の眼だけは生きている。せめて、その姿だけは、焼き付けるのだ。目を閉じるときが来てもその姿が消えないために。

 彼女は、そのかわいらしい仕草とは反対に、半身しか残らない吸血の男の頭に足を乗せ、いつでも踏み抜けるようにしていた。

「ああ、それなら。僕にも心当たりがある。この子たちが、まだ柔らかい肌を切り裂き自ら血を差し出すのを見るたびに、僕は自分の首を切り裂いてしまいたくなる。まあ、僕ときみとのでは、その愛に種類はありそうだがね」

「もう、いいかしら。私たちは、行かないといけないの。あなたの仲間が来てしまう前に」

「いいさ、いいさ。大いに結構なことだッ‼ 殺すがいい! 僕は、無抵抗に君に殺されよう。

僕はね、親も兄弟もずっと嫌いだったんだ! まさか自分が真っ先に死ぬとはなあ。傑作傑作!」

 ここまで饒舌にしゃべる男だが、その肉体は、骨や筋肉がむき出しになり、それらには等しく、鋭利な断面をしていた。飛び散る血しぶきは、風が、吹いたかのように一様に同じ方向に広がっていた。彼女の攻撃が、いかに素早くかつ、一撃必殺ともいえるものだったかを物語っている。

「バイバイ、ナインス。あなたは、あいつらの中でも、マシだったよ」

「すまないねぇ。すまないねぇ。すまないねぇ。」

 ぼそぼそと呟いていた声が消えていく。集まってきた子ども達は、彼に触れようとはせず、その周りで感情のまま泣きわめくのみだった。悲しさを知らずとも、涙は出る。生まれた喜びを知らぬ赤子でも笑みは出る。では弔いはどうなのか。燃やすことも埋めることもできず彼は腐っていくのか。

 そこに帆風は近づいていく。そして輪の中に入ると、彼に口づけをした。優しくはない。彼の頬に歯を突き刺す。すると、囲んでいた子たちも真似るように、男に顔をうずめていく。

 仙崎は、そこで、ようやく認識が追いつき、「終わった」のだと知る。緊張の糸が途切れたというより、元々限界だった命の糸が途切れ地面に倒れる。

次に目を覚まさなくても、

「結局……迎えに来てもらうのか。情けない」

「ううん。違うよ、君があの男を倒さなければ、私はここには来れてはなかったもの」

 ──俺が、あの吸血鬼を倒した? なんの冗談だ。

「俺は自分のせいで作った敵に勝てず、お前の力に頼って、アリスの力に頼って、それなのに……情けなく負けたんだ……」

 言葉を言い切る前に仙崎の意識は彼方に消えていく。




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