第9章 私と僕

 九章 


 奇妙な電子音により目を覚ます。

 かたいベッドの上で寝かされていた。体を触り、その感触に、脳を刺激する柔らかさを実感する。とりあえず言えることは、自分はまだ生きている。

 そしてようやく周りに目を向けようという意識が湧く。

部屋は薄暗く、隣には、電子音の発生源となっている機械が置かれていた。

 寝起きからアップビートを刻む、グラフにうっとうしさを覚え電源コードを抜く。

 室内には、アルコールのにおいが充満し、息をするたびに体の中から洗浄されている心地だった。

 体には薄い布一枚の服が着せられているだけで、ベッドから出れば肌寒さを感じる。

 立ち上がろうと、消毒、滅菌された床に足を付けると、氷の茨で突き刺されたような鋭い痛みが走る。

 おそらく、数日の間眠っていたからだろうが、仙崎は自分の体を汚染している〝何か〟を強く意識してしまう。

「おい、アリス‼」

 室内に高い女の声が響く。しかし、それに続く返答はない。徐々に覚醒し始めた脳内では、なにがあったかを思い出していた。──自分はあの時、死んだはずだ。腹に穴をあけられ、致死量の血を流した、はずだった。

 帆風に突き刺された場所を、服をめくって確認してみるが、痛みなどなく、ばかりか傷跡すらきれいさっぱりなくなっていた。それでは、あの夜は夢の中にいて、これは現実ではなく自分はなにか実験の中にいるのでは? その考えは心地よく体に沈み込んできた。仙崎は沈み込むように再びベッドに体を倒す。

 実験とは自分の経験上ありえない話ではないが、もっと愚鈍な考えで、死後の世界としてみたら。なるほど、そちらの方がしっくりくる。

 ──俺は吸血鬼を殺し、帆風の中で死んだはずだ。

 しかし、思い出しているうちに、そのまま二度寝に沈んでしまった。

 次に、目が覚めると、まだこの病室にいることに若干の気落ちを感じながら起き上がる。

 相変わらずアリスは目覚めないし、ここは、一体どこなのだ。

 仙崎は、室内の壁を手で触りながら一周してみることにした。なにしろ、薄暗くこの空間の大きささえ、見当がついていないのだ。

 半分ほどまで来ると、扉らしきモノが見つかる。

 らしきというのは、それは、ノブが外されおり、隙間などは後から溶接された跡があった。

 仙崎はしばらくそこに立ちつくし、ノックや、声を出してみるが、一向に反応は返ってこなかった。


「さて、そろそろいいかな?」

 突如声を掛けられ驚く。声の主は、ベッドのすぐそばにある椅子に腰かけていた。

 いつから? そんな当然の疑問に、男は先回りして答える。

「もちろん君が初めに目を覚ました時にはここにいたし、もっと前からここにいたんだけどね。

 まぁ、そんなことは些細な問題でしかない。君が訊くべきはもっとほかのことだろう?」

 わずかな灯では、声音で男ということぐらいしか判別できず、驚愕や恐怖という感情が勝り言葉が出なかった。

「まだ体も万全ではないのだろう? そこに立っていないでね」

「いや……」

「そうか。それも君の自由だ。そして僕だって、タダでここにいるわけではない。これから君にいくつかの質問をする。多分君も心当たりがないわけではないだろ?」

 自分は捕まってしまったのだろうか。しかし、相手がどちらであるか分からない今、無駄に口を開くのは得策ではない。

 そして、尋問されるのであれば表情から読み取られない場所にいるほうが良いだろう。

「ま、しゃべりたくないなら、それでもいいや。ちなみにだけど、君の体内に薬を仕込ませてもらった」

「は?」

「もちろん、市内で出回っているような、粗悪なものではない。それは、まず筋肉が痙攣し始め、その数分後には心臓すら動かせなくなる。安心していい、死の兆候が出始めて、五分程度で君はこの世から去れる。

だから、少しの間、数時間か数日それは明かせないが、その間で君のことを知っておこうということなんだ。君からしたって死への恐怖を紛らわすための会話だと思えば悪くないだろうさ。少し前置きが長くなったね。さっそく質問をしていこうか」

 男は勝手に宣言すると、手始めに自己紹介のようなものから訊いてきた。

 仙崎は俯き、返答を先延ばしにしようと試みたが、男は答えの有無などどうでもいいらしく、構わず質問を続けた。

 数分しても男のそのような態度は変わることはなく、男の顔だけはこちらに向いて、質問の間じっとこちらを観察していた。あきれと諦めのもと、仙崎はついにその口を開くことにした。

 しかしその内容は──名前はアリスではなく仙崎宗を名乗り、質問も自身の記憶で答える。

 それは、いまだ、姿を見せないアリスに気を使ったわけではない。

 彼らの用意した質問に真面目に答えたくなかったからだ。──いや違うか。義務的な質問を繰り返す男に、そんな嘲るような答えをすることで一定の満足感を得ていたのだ。つまり、後付けでいくらでも理由が作れるような、──もういい。気分さ。何となくでそうしただけ。

「確かに俺は、あなたの求めていることについて答えられると思います」

 仙崎は、真面目な顔をして、そのような〝嘘のような真実〟をつらつらと口にし始めた。


 この禅問答が始まり、2時間ほどが経過しただろうか。

仙崎は、この間ずっと立ちっぱなしだったため、足の感覚がなくなってきていた。

(仕方ないか……)

 しょうがなく、ベッドに座ることを決断する。

 つまりは男に接近する必要があるのだが、この頃にはどうせ死ぬのだから、何をされようともいいという風に開き直ってきていた。

「この部屋は、病室と言うのに窓の一つもないんですね。それにこの広さの部屋にベッド一つとは、また……」

 近づくためにできた、妙な気まずさを隠すように仙崎は世間話というものを言いながら、痛む足をかばうように壁に手をやり戻ってくる。

「あ、……ああ。ここは、普通の場所ではないからな」

「そんな場所に、あなたは一人でいるんですか」

「一人? 君を僕が一人でここまで運んできて、一人で着替えさせたと思うのかい?」

「いいえ」

「いや、その可能性も考えるべきだ。何しろ君は女ということでそんな目に合わせられたということを一ミリも想像しないわけではあるまい」

 仙崎は彼の考えとは別の理由で黙ってしまった。しかし、もうベッドのそばまで来てしまっているので、立ち尽くすわけにもいかず電車で異国人の隣に座るような、緊張を持って男の座る横に腰かける。

 ここで初めて彼の表情(素顔)を見たのだが。飛び上がりそうになって、痛む足をも忘れて、太ももにこぶしを押し付けてしまった。

 この部屋唯一の光原に照らし出された男の顔は、陰鬱で、目の下には隈が彫られ、 額には光を反射するほどの汗が浮かんでいた。

 それは先ほどまで、生真面目に仕事をしていた男の印象とはまるで異なっていた。

「まったく、どうして僕がこんなことを」

「え? は、はは、そうですよね。すいません……」

「で、だ。君が倒れる前のことも思い出してきたのか?」

「え、ええ。いえ……その、どうして、自分がゴミ捨て場に捨てられていたかは覚えてないんです。普通に過ごしていたはずなんですけど」

 仙崎は、これまで経験した、集会や、パンデミック、もっと前の治安機関に所属していたこと、親友のことまで晒してやったのだが、ただ一つ、『吸血鬼』に関しては全て隠したのだ。

 それは、自分に不都合だとかそんな利己的な考えがあったわけではない。これもまた、何となくなのだ。

「ああそうかい。別に、君が何か隠していようといいんだ。話していればいいらしいから。

それで、もう一度訊くが、捨てられる前の記憶はないんだな?」

 自分はあの後どうも捨てられたらしいのだ。それもキレイさっぱり外傷一つない綺麗な体で。

 なので、通行人は不細工な若い女が酔い倒れているとしか思わなかっただろうが、システムを管理する者の一人が異常性に気づいてしまった。

 この街ではありえない身元不明人。

「はい。いや、でもそんなこと、あなた達、お得意の監視カメラで誰かわかるんじゃないですか?」

 何度も同じようなことを訊かれていたせいで、少し挑発的な物言いになってしまったのはあるかもしれないが、

「うるさいっ! 勝手に口を開くんじゃない」

 それ以上の強い口調で男は咎める。

「君は、捨てられる前の数時間完全に姿を消している。どうして、僕ばかり……いつも。ああ、これが、組織の望んでいる事なのか! くそっ、なんで、なんで──」

 男は小言のようにぶつぶつと悪態をつきながら、両の手を目に押し付けると、えぐれてしまうのではと思うほど強くこすりだした。

 今までの会話によって、ここが治安機関の抱える施設の一つであることが分かり、目の前の男に親近感というのはおかしいかもしれないが、入学式初日のクラスメイトくらいの関係には思い始めていた。

 そのような妙な、友人心で仙崎は、男にベッド隅に置かれたタオルとペットボトルを渡す。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 仙崎の行動に、男は凝視するようにこちらを振り返った。そして、タオルとペットボトルをひったくるように取ると床に置いてしまった。

 男は、自分が目を覚ます前から監視の番をしていたのだから、どのくらいの間寝ていないのだろうか。それが、このような言動の要因になっているとすれば……、

 

「もういやなんだよッ!」

「⁉」

 突然男は、声を荒げた。

「そもそも、どうして僕がこんな男の世話をしないといけないんだ。監視対象ですらなかったじゃないか。それにあの吸血鬼どもと繋がりあるんだろッ!

 ああ、僕はこんな男にすら終わりにされるんだ。……これじゃあんまりじゃないか──。僕の人生どうなってるんだ。こんなことになるなんてさ……」

 男の嘆きは、部屋に反射し、そのすべてが仙崎に吸収される。

 体に流れ込んでくる彼の感情はどこまでも真っ直ぐで、わかり易いものに変質しているようだった。

 そうか。この男は、自分に対しておびえていたのだ。システムに感知されない以上、ヒトであるかも怪しいもので、そんな男と二人きりになっているのだ。

 体裁を取り繕っていただけでも称賛に値する。それは仙崎自身が治安機関という厳格な場所で過ごしていたからわかることだ。

 決壊した男の精神は、もう自分が治安機関の一員であることを忘れ、一人の人間、聞けば、自分の一つ上でしかないらしい。そんな、まだ学生と呼ばれてもおかしくない人間が、壊れていく様はどこか懐かしくもあり、その原因が自分であるのは、いよいよ、自分は治安機関に仇なす存在になってしまったのだと、胸の奥が痛くなった。

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