8-3

 彼女の教室は神木がすでに調べていた。二人は、隠れることなく堂々と廊下を歩く。

 教室の前まで来ると、窓から中の様子を見る。

 驚くことに凜香は授業を受けていた。非常ベルが鳴ったのは、彼女が原因ではなかったのか、いや、この反応のなさを見るに訓練や点検のために鳴ったものだったのだろう。

 しかし、いつ通報されてもおかしくない。なぜなら、彼女のその姿はだれがどう見てもまともではなかった。──細かくからだを揺らし、しきりに爪を噛んでいる。いつも丁寧に結られていた一つ結びの髪は、何度も触っていたのだろうほつれ始めていた。

 こうなると、いよいよだ。

 仙崎は、一度大きく息を吐き、扉に手を掛ける。

 しかし瞬間、掛けた指はピクリとも動かなくなり、地獄の扉を開けるのではないかという予感さえし始め、手からは流れ落ちるような汗をかき始めた。

「大丈夫……まだ僕たちしか、気づいていない。それに気づいていても、あんな我が儘娘をどうにかできるわけないよ」

「あ、ああ……」

 【そうだ。もうやるしかない】

 一気に扉を開ける。扉は思ったより、力がかからず開いてしまう。

 一度始まってしまえば、川が流れるように淀みなく体は動く。

 仙崎は、多分同じような理由で縮こまっていたのだろう神木を、先に入れよと蹴りこむ。

 彼は体を揺らしながら教室に転がるように入ると、膝をついて何が起こったのか分からないのか、呆けたように口を開けてこちらを見ていた。続いて、仙崎も入る。

「な、誰だね君たちはッ!」

 この教室で唯一の大人が、大学生に注意する教授のように怒鳴る。おそらく、見た目だけでは、男男、いや、男女か。の二人組の大学生と判断したのだろう。それでも、神木の持つ、わかりやすい凶器を見ると簡単に黙ってしまった。なんという威力。

 教室は突如の襲撃に一瞬で統制を失う。言葉にならない悲鳴を上げ出す。──確かにこれでは、あの子がうんざりするのもわかる。

 この教室でただ一人、その女の子は驚いた表情を見せた後、すぐに顔を伏せたため今はその表情を読み取ることはできない。それでも、彼女のそんな態度を見て少し頬を緩ませる。

「……なにが目的なんだ⁉」

 仙崎を現実に戻すように、教師がわずかだか、声を張り上げ距離を詰め訊いてくる。警察に通報せず、このようなことを言うあたり、何かマニュアルに従っているのだろうか。

「取り敢えずこのガキどもを黙らせろ」

「……み、みなさん。落ち着いてください。大丈夫です。必ずあなたたちの安全を守りますから。はい。大丈夫ですから」

 何の根拠もない教師の言葉だったが、生徒の騒音の波は収まっていく。

「そうか、よく懐いた生徒だな」 

その目に見える波が、妙におかしく仙崎はつい、笑ってしまう。

 仙崎は、もう一度椅子に座る生徒たちを眺めると、ゆっくりと、その間を割って入る。

 床に置かれた鞄を踏みつけ、仙崎が体を机にぶつけるたびに体を震わせ、「ひぃ」と甲高い声を上げる生徒たちの間を通り、目的の人物の前までやってくる。

「よう。来てやったぞ」

 その衝撃の事実。不審者と、その子の繋がりに、教室が再びざわめきだす。

「なに知り合いなの」「なんで、ふつうに話してんの」「そうだと思った。あいつ、ずっと気味悪かったもん」

 誰かのささやきは教室全体の言葉として、『声』になり耳に届く。

「どうして来たの……」

 ざわめきの中、口を開く。くぐもった声だったが、たったその彼らとの関係を認める一言で、教室の中心は彼女になった。

「取られたもんを取り返しに来た、って言ったらわかるか? 今すぐにお前の持っている銃を返してもらおうか」

「……っ! なんでっ!」

「いい加減にしろ。さすがに、こんなところで起こす騒ぎとしては少しやりすぎだとは思わないか?」

「……いやよ」

「あ?」

「わ、わたしだって、戦うものがあれば、人を殴っても壊れない力があれば、……あんたが持ってたみたいな武器があれば、すぐにでも行動してたわッ‼」

 おもわず、彼女の頬をぶった。それも手首をつかみ、避けることが出来ないようにしてまで。

「宗⁉ あんまそんなのは」

 こいつのせいで、こんな偽装まで使って綱渡りをしているのだ。それなのに、まだ、戦うとほざくのか! 膨れ上がった怒りは、留まるところを知らず追撃の斧をふるう。

 仙崎は勝手に彼女のランドセルを開ける。そこには見慣れた銃が、教科書の下に隠されるように入っていた。それと神木の言っていた包丁も入っていた。

 仙崎は視線が集まっているのを噛みしめながら、銃を机に置いた。

 新たな狂気が掲げられ、しかもそれを持っていたのがさっきまで一緒に過ごしていた同級生ということで、さらに『声』は大きくなる。

「どうする? どうせ、まだ何もしてないんだろ。そんなんで終わるのか?」

 彼女が、マリアンヌを演じるのなら、そもそも君は、ごく平凡な女子小学生なのだと晒してやる。

「………………いや」

 、彼女を囲む数人にしか聞こえてないだろう。しかし確実にその数人でも彼女がこの教室で行われている事情を知っているだろうから、その否定の意味が分かるはずだ。──ああそうだ。この子は今日わたし達の誰かに復讐するつもりなのだと。

「んぐっ……そんなの…、んぐっ…いや、……いやよぉ……」

「そうか。だったら、君の目的のために使うといい」

 仙崎は、この場で唯一静かに──ただただ持つ力を誇示し続ける武器──をさらに少女の前に突き出す。うつむく彼女でもその姿がしっかりと目に見えるように。

 凜香はすっかり黙ってしまい、異様な空間が広がる。仙崎は、もうこの子には抵抗する気持ちがなくなってしまったことを理解した。

 神木の方を振り返るが、仙崎のこのような行為を止める気はないようだ。彼も問うているのだろう。

 やがて、その与えられた力の上に温かな水滴がこぼれ始めた。仙崎は、時を計る砂が零れ落ちるのを待つかごとく、ただ静かに眺めていた。

 しかし、

 この教室は違っていた。

 初めは、少女が泣き出したのを見て、侮蔑の視線を向けるにとどまっていたが、ついには嗤い声が漏れ出す。(不思議なことだが、目の前に命を奪える、確かな狂気を視界に映し、理解もしているだろうにもかかわらず、先ほどまで臆病にしていた生徒たちの空気が弛緩していくのだ)

 仙崎は、少女に吸収されていく、醜い感情たちをどうすればいいか迷っていた。──この引き金を引いてでもやれば、変わるだろうか。

 そんなことを考えていると、彼女はこぼれる涙を手の甲で拭い始めた。それでも止まることはなく、みじめに顔を濡らし、嗚咽を漏らしながら鼻をすする。その抵抗(プライド)は、観客には余計おかしく映る。

 少女は抵抗を諦めランドセルから持ち込んだ、包丁を机に並べ始めた。

「お前は賢いな……」

 顔を上げる少女の顔の、涙たちを吹いてやりたいと思ったが、手持ちに気の利くハンカチの持ち合わせも、ましてやそれを手渡す資格があるはずもなかった。

 少女は、椅子から立ち上がる。そして仙崎の横まで来ると、顔をうずめる。腹部に少女の温かさが沈み込んでくる。その体は震え、ワンピースはどんどん濡れていく。

 しばらく、そのままでいたが、少女は突然、バッと突き放すように離れる。

「待って、今どっち……?」

「あぁ、えっと、ごめんな」

 口調で察したのか、「きもちわるい」といって、さっきまで顔を押し当てていた場所にやさしくパンチをする。

 少女は残っていた、涙を指先で拭うと堂々とした姿で、教室を出ていった。

 ──ああ、すごいな

 歳にふさわしくない毅然とした大人にも成り代わるその姿に誰もが息をのんだ。

 遅れて、慌てたように神木が飛び出していく。

「さ、これで終わりだ」

 残された仙崎は、武器を回収する。そしてもう一度

「さあ、これで終わりだ」

 教室に響かすように手をたたき、そう宣言する。

「御覧の通り、生徒の中にいた、危険思想を持つ犯罪者を排除いたしました」

「君は……」

 教師が代表して訊いてきた。

「ええ、治安機関の者です」

 ここが学校なので管轄が違うのだが、一般にそれを知るものは少ない。この教師もそれを知らなかったようで、ほっとした表情を見せる。

「あとは、我々にお任せください」

 暗にこの件に口を出すなとくぎを刺しておく。教師は、権力者を前にうなずき感謝の言葉まで述べる始末だった。

 仙崎も、教室を後にする。

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