8-2

 仙崎とアリスが、学校についた時には、幸いにも、まだことは起きてなかった。この便利な体のおかげで、フリーパスで校門を突破すると、あとは以前の記憶を頼りになるべく人に見られない経路を通って、空き教室に向かった。

 今は、授業中らしく、ヒマワリのような明るい合唱が、廊下まで聞こえてきた。

 とりあえずは、よかった……のか? 心に空く虚無。──無責任なことだが、俺は本当に、子どもがやってのけるということを望んでいるのだと思う。

 くぅぅ

 だから、この虚脱感は満たすべき感情ではない。

 彼女は、大人に幻想を抱いている。一度見捨てられてなお、この復讐を果たせば味方をしてくれるとおもっているのだろう。きっと今、彼女は幻惑的な力を手にしている心地に浸っている。

 ぐるるう

 まあ、それは重大な問題ではないか。彼女の復讐先が、個人であるか、それとも学校という組織であるかという問題がまだ残っている。

 ぎゅるるるう

「そうだよな! 飯買いに出てたんだもんな! お腹すいてるにきまってるよな。

 ……はぁ。ちょっとくらい我慢できないのか……」

 とりあえず、凜香を見つけることが先決だろう。

 仙崎の携帯が再び鳴る。

「着いたか?」

「んはぁ、……はぁ、がはぁ……、ゆ、宗どこにいる?」

 仙崎は、窓から門を見ると、携帯を耳に当てる変質者を見つける。

「侵入経路言ったよな。……そろそろ、そこから離れないと、子供たちを守るために常識ある大人たちが来るぞ」

「あ、ああ」

 数分後、神木が空き教室につく。

「だいじょう、……ぶではなさそうだな」

「がはぁ、がはぁ、しんどっ!」

「おい、なにどさくさにまぎれて、俺の膝に乗ってこようとしてんだ!」

「ちょ、今動かさないで! げろる。絶対吐く」

「そんなことを堂々と宣言すんな!」

 それでもそんなことお構いなしに、仙崎にもたれかかってくる。これ以上抵抗して、本当に吐かれても困るので、仕方なく背中を貸すことにした。

背中に、湿った圧力がかかる。

 神木の呼吸が整う間、仙崎は凜香の居場所について考えていた。きっと、自分だったら元の教室で、普通に授業を受けている。そこでイメージをするんだ。これから自分が行う復讐を何度も繰り返し想像する。

 しかしあの小学生は、そんな罪を数えるような重みを耐えられるのだろうか。

 彼女のことだ。朝寝起きが良く、天気も快晴だったなんかの理由で、決断したのだろう。そして、この家にあるだけの武器をランドセルに入れると平然を装い家を出た。そして、登校を始めると足を高く上げるのだ。

 仙崎は腹がズンズンと痛み始めた。

 彼女のこれは、革命には程遠い、よくてテロにしかならない行為。



 しばらくして、神木の息遣いも落ち着く。

「ふー、」

「やっと、落ち着いてくれたか……」

 神木は、白衣のポケットから、ポッキーを取り出し食べ始める。仙崎も、別の意思が働きそれを分けてもらう。

「それにしても、お前が他人のためにここまでするなんてな」

「……それはお互い様では。宗こそ、あの子のこと嫌ってると思ってたよ」

 お互いに、何らかの理由を作りここに集まっているのだ。

 神木は、食べ終わった菓子袋を丸め教室の壁に向かって投げつける。

「でも、よかった。まだ何も起こってないみたいだから。大丈夫かな……」

「ああ。何も起こってない。あいつは、まだこの学校のどこかに潜んでるんだろ」

「宗……。あの子は何をする気だと思う?」

「さあな。でも、あんなもの持ちだしてんだ、殺したいほど憎んでるやつがいるんだろうな」

「やっぱり僕たちが止めないといけないんだよね」

「違うのか?」

「僕は、彼女のすることを見届けたい……という気持ちもある」

「へえ……。意外だな」

「……僕らしくないかな?」

「あいつが今持っている拳銃には俺の指紋がついているし、お前も家から包丁を持ち出されたんだろ? 俺たちはあいつの罪に共謀してしまっているが。それでもか?」

「わかってる。そのくらい言われなくてもわかってる……。僕は、馬鹿じゃない」

「そうだ。お前の抱える計画は、こんなことで終わっていいはずがない」

 神木は、地面を見つめたまま頷く。一向に彼女を止めるとは、言わなかった。

 神木の両親は事故ではなく、その後の、この街を作る際に起こった暴動に巻き込まれ命を落とした。彼は、そのへんの事情があり、この街のシステムを手に入れようとしたのだ。

 彼がよく行っている盗撮はその一部である。

 仙崎が、神木と出会ったばかりのころは、特にひどく盗撮した情報を売ることで、恨みを果たしていた。組織にその一端がみつかり、仙崎が派遣されたわけだが、まだ正規ではない自分が行かされということは、危険性の低いものと判断されていたのだろう。

 仙崎自身も、彼の行動を深くは言及しなかった。

 しかし、彼のモニターを凝視し続ける眼は覚えている。充血した目をこすりながら何日も、モニターに張り付いていた。それは、彼の世界の全てだったのだろう。

 ちなみにだが、夜おそくそんな姿を見て、──まあ、ほかのことに目を向けさせるために、カップラーメンやら、お好み焼き、ジャンクフードなどの食べ物で釣ろうとしていた。

 彼が、こんな体型になった理由の一端は自分のせいもあり、彼が食べることを止められないでいる。

 いつからか、神木は自分のことを人間と認めてくれたらしく、話すことも増えた。

「僕のなんて、憂さ晴らしに過ぎない。いや、正確に言うなら、僕にはもう復讐してやるなんて気持ちはなくなってしまった。それこそ、君がいなくなって、この街と戦う意思というか、思想というかそんなものすべてが……」

「正気に戻った……」

「うん。そうかもしれない。失望した?」

「しないけど、驚きはした」

「凛香ちゃんだって、きっと、……周りに、恵まれなかった。ただそれだけのことなんだ……」

 あのころを想起させるような、ぼそぼそとした口調だった。

「それがあいつの蛮行を許す理由になるのか?」

「それは……」そこで、神木の言葉は完全に途切れてしまった。

「でも僕たちまで凛香ちゃんを見捨てたら、たぶん数年もこの街で生きられないと思う」

 同意。しかし、

「たとえ、あいつに復讐がなくなっても、寄り添う親がいるだろ」

「関係ないよ。そんなの関係ない。だから、あの集会にも居たし、僕の家に入り浸っていたんじゃないか」

 そのうち浅い呼吸音と共に彼は、

「──凜香ちゃんを助ける──これだけは絶対だ!」

 強くこぶしを握り叫んだ。

「理由はないか」と、仙崎が乾いた笑いをしてみせたが、「やるぞ」と、お構いなしに繰り返した。

「いいか、凶器は取り返す。あいつの行動を補助するならすればいい。勝手にしろ」

「うん。ありがとう」

 いつの間にか神木と仙崎を見つめ合っていた。いつか見ていた、神木の目から仙崎は、避けられなかった。そこには、恥ずかしさと、彼の目が向けられた、喜びと気恥ずかしさがあった。

 非常ベルが鳴り響いた。

「おい! 行くぞ」

 仙崎は、即座に立ちあ上がったので、神木は押されて背中を壁にぶつけた。

 なかなか、起き上がらなかった。

「おいどうした? 準備しろ」

「あれ? なんで、なんでだよ! 足が全く動かない。どうして、どうして。これじゃ、僕があいつらを恐れているみたいじゃないか‼」

「その奴らってのは、俺の元職場を言ってるのか? なら、そうならないために動け。気合いを入れろ。あいつらが来たら、俺たちも終わるぞ」

「──やるよ。僕はやってやるんだ!」

 顔を赤くし、流れる涙も拭こうともせずに、動かない足を何度も叩く。そのせいで、ズボンはこぶしを中心にしわを作っていた。

 この警報音が鳴ったとあらば、治安機関が駆け付けてくるまでのわずかな時間に、事を終わらせなければならない。差し迫るタイムリミットに不安は大きくなって、「もう、限界だ!」と叫んでしまう数秒前、神木はついに丸まっていた背中を上げてくれた。

 ちょうど、仙崎は彼を引きずってでも考えていたので手を伸ばしていたのだが、彼はそれを、友情の意思表示と捉えたのか、がしりとつかみ立ち上がる。

 そして、おもむろにポケットから、黒い塊を取り出す。仙崎は一瞬、脈が跳ね上がるが、彼の乱暴な扱いからすぐにそれが偽物だとわかる。

「どうかな?」

「ああ。それは、突入するにはちょうどいい」

 場違いな返答しかできなかった。

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