6-2
仙崎宗の意識は、休日──土曜日、日曜日が過ぎても戻ってこなかった。
「じゃ、私学校行ってくる」
もう、子どもではなくなった凜香は、家じゅうに響き渡る声でそう言うと、がたがたいわす扉から外に出る。外はすっかり夏模様で、お年頃な女の子である凛香は、全身に日焼け止めを塗り、日傘でも買おうかしらなどと考えていた。
神木は、今日も学校に行かなかった。今まで通っていたのは、自身の感情を抑えるために社会的つながりを持つ意識があったからだ。しかし、今は、自分の大切なものが見つかり、くだらない社会なんてものはどうでもよくなっていた。それより、彼のそばにいる方が重要だった。
寝ている女の部屋に入ると、対角線上で最も離れた位置に座り、彼女の中に秘める友人の魂について考えていた。
親友が生き返った理由について、【ホノカ】と呼ばれる人物が関わっているように思えた。それは、生前彼がこだわり続けていた事だったからだ。
「……どうして、僕じゃないんだろうな……」
自分に置き換えて妄想できるほど、神木という男は、愚かではなかった。
もやついた気持ちを晴らすため、ノートパソコンを開くと、盗撮を開始する。この街の管理システムに唯一侵入できる人物であった。──宗は気持ち悪いっていうだろうか。いや、たぶん、これも才能だって嫉妬するんだろうな。
それを思うだけで、心が温かくなる。
彼は、見ず知らずの他人を追い続けることで暇つぶしをする。映し出された、個人情報には全くの興味がなかった。そして、性別も容姿も関係なかった。
一日中同じ人を尾けることもあれば、すれ違うたび乗り換えていくこともあった。彼らは、誰かに見られているとも知らず、自販機を蹴ってみたり、裏路地に入って、ズボンを脱ぎだすものまでいた。──我ながら、性格の悪い趣味だ。
しかし、この気持ち悪い遊びが、彼と出会わせてくれたのだからこれが原因で捕まってもいいという覚悟すらあった。──まあ、あとがつくような侵入の仕方はしてないけど。
──こうして、それぞれの一日が始まる。
×××
仙崎宗ただ一人、いまだまどろみの中にいた。ここがどこで、自分がどのような状態なのか判断はつかない。幸福な夢の中にいたようなのだが、その確かな記憶はない。ただ心は満たされこれ以上動く気が失われていた。
──そういえば、何か決心をした気がするけど、なんだったけな……?
仙崎はその決心について考えようとしたが、頭は、飽和し重たい眠気が襲ってくる。
──わかっている。思い出せない記憶が、初恋の人であると。
だが、分かったところで、思い出は毒のように、彼を侵食し一部となってしまっていた。
あった過去、あるかもしれない未来。それらが混ざり合い襲ってくるのだ。
自分は、治安機関に入って何がしたかったのだろうか。この街を守りたかった。
そのための訓練だってしていた。体の皮は剥がされ、魂の居場所を問われる毎日だった。もうこれならと思わずにはいられない。そしてそうする者も後を絶たなかった。
それだけの境地に作られる秩序とはなんだ。
悪人を分類し、計画的な、犯罪をわざと見逃し、人殺しさえ許容し、システムを暴こうとするものを殺す。何のための訓練だ。毎日撃っている的は誰に向けるものだったのだろうか。
どのくらい眠って居ていたのだろうか。仙崎は懐かし匂いを感じて目を開いた。足音で妙なリズムが刻まれる。
仙崎は頭だけを傾け音を出す〝邪魔者〟の姿をその目で捉える。そこで自分自身が横たわっている状態だとわかる。なぜなら、片眼に映ったものは、誰かの足だった。
「なんだよ?」
不機嫌さを隠さず訊く。しかし、その人は、何も言わず近づいてくる。
ここは霧がかかっているように数メートル先も見えない。この深い霧の陰で、自分は隠れている気になっていたのだが、どうしてこんな簡単に見つけられたのだろう。
しかし、焦りはなかった。むしろ、自分の家に出迎えるような余裕さえあり、誰なのか視界は横のままにじっと見つめていた。
仙崎は数秒、その子の顔を見つめようやく誰なのか思い出す。
「久しぶり……っていうには、まだ見慣れていないか。どうして、ここが分かったんだ?」
いまだ、自分の意識が彼女の中にあることを受け止められずにいた。だからこんな、言い方だった。
「どうしてって……? わたしがいちゃまずいの?」
自分が先ほどまで見たもの、そこに現れた、ほとんど知らない女の子。
「まずいかなぁ」
独り言のようにつぶやく。
「それよりいつまでそうしているつもり? なんか毎日のように、お姉ちゃんと話してるようだけど、全然違う。お姉ちゃんはそんなじゃないよ」
「お前は、俺が何を見ていたか覚えているのか」
「ええ、もちろん」
「そ、そうか。どんな内容だったかは訊かないでおこう。多分、死にたくなる……」
「そう」
彼女は、隣まで来て座る。仙崎はあおむけで寝ているので、気づかなかったが、視界に映る肌色が多すぎるように思える。
「退屈な場所ね……」
「そうか? それこそ、退屈しのぎをするだけなら、絶好だと思ったんだが」
仙崎はあえて本題に入らずのらりくらりしていた。
しかし、顔見知り程度の関係ではすぐに話題はなくなってしまった。それにせっかく覆っていた霧も晴れだしてしまった。彼女の姿が露わになる。
「ここは、夢でいいのか? 確かに、最近のことを考えたら、自称天使のこいつが現れるのも納得だし。まあ、裸なのも仕方ないか」
自分の素直な感情にため息が出る。
安い情欲に逃げるのは、それだけが分かりやすく、現状が複雑怪奇であるからこそのことだろう。
「君はわたしの意識の中にいて、今にも体を乗っ取ろうとしてくる。悪者よ」
「なんだよ……その、寄生獣みたいなやつは」
それでも、自分という存在に明確なイメージができたせいか、倒れる前の記憶をおぼろげながら思い出してきた。
「知らないか? 寄生獣。同室だった奴が貸してくれたんだ。昔の漫画なんだけどな。当時は、そんな収集を無意味だと思ってたけど、こんな形で役に立つとはな」
彼女が知らないので、その推測が誤りである可能性もあるのだが、己の中でしっくり者があるだけで、ましには思えてきた。
彼女もまた、仙崎がどのような推測をしたか、質問をする気はなかった。それは、彼を自分ではどうすることもできない諦めでもあった。彼女の認識では、自分の中には彼の意識が混在し、時に体の制御すらも奪われる存在。
ここで、常軌を逸しているのは、彼ではなく彼女。楽天家な男ではなく能天気な少女。ほとんどの人は、そんなものを宿していれば破滅しているだろう。
その点、彼女は彼とここまでうまくいったことを喜んでいた。もし、これを受け入れられず彼が、わたしの体を壊し始めたらどうしようと不安だった。
なので、今の彼──仙崎が、このように落ち着いた態度でいたのは、一つ彼女を安堵させた。
仙崎も彼女の横顔を見て長い睫毛がかすかに揺れると気流を乱しそれは、微かなものだったが心を揺らすなぁ、などと考えていた。
まさに、バカップルである。
「なあ、お前が、……いつまでもお前呼びもあれか、本当はなんていうんだ?」
少女は、そっと手を差し出す。
「な、なんだよ」
しかし、彼女は何も言ってくれない。仙崎は仕方なくその手を取る。
そこからは、ある彼女の大切な思い出が流れ込む。
「そうか。アリスか。いい名前を貰ったな」
それから仙崎とアリスは、思い出について語りだした。ごくごく自然なことだ。二人には、【ホノカ】と出会っているのだ。惹かれるところの多い人だから話題には事欠かない。
やはり、多くが仙崎の語る時間だった。それでも彼女は、いちいちうなずいて二言、三言、間で彼女の出会った帆風という吸血鬼の話をした。
帆風について、仙崎は──彼女は普通の女の子にしてあげなかったのは。この街全体で行った、「差別」のせいだ。
その証拠に、彼女が求めているのは、俺や、こいつのような、子どもばっかりだ。
しかし、それを言うとアリスは見るからに悲しい顔をするので仕方なく、最終的には、彼女の魅力について言い合うことになった。
「ホノカに会いたいわ」
しばらくすると、彼女がそんなことを言い出した。彼女の身勝手ではなく、いずれどちらかが言い出していただろう。二人に違いがあるとすれば、彼女はある程度の覚悟を持っているようで、それを口にしたところで後悔などは見て取れなかった。
彼が、すぐに賛同しなかったことも、その覚悟が決まっていない証拠だった。アリスもそれを気にしたのか、顔を覗き込んできた。
仙崎は、記憶に刻まれた帆風の変わり果てた姿に恐れていた。人として当たり前の感情だと思うが、帆風と自分の関係において、そのようなことで見捨てる行為はあり得ない。だから、自分を嫌悪する。体の皮をはがしてしまいたい身悶えを耐えるだけで精一杯。
「大丈夫よ」アリスが言う。
「わからないな……。何の保証があって、そんなこと言うんだ」
「忘れたの? もうあなたの体はないのよ」
「……」
彼女の乏しい感情表現がここではよくない方に働く。仙崎も無意識のうちに彼女を睨みつけていた。
「だから。何をしようとわたしの勝手。あなたがホノカの前で、逃げ出そうと抱き着いてもいいの。遠慮は必要ないわ。この世界を歩かせてもらってるお礼だから」
「それだったら、会いたいなぁ」
なんと卑劣な手段か。それに餌をもらった犬のように飛びつく自分が恨めしい──が、それでも彼女の提案があまりにも華やかな未来に思えてしまったのだから……しょうがない。
「ふーん。ホノカと再会する。でも、あなたが先に好き勝手する……」
「しない、とは言えないかもな」
「あ。」彼女が間をおき、急に声を上げた。
「アリスさん……? これだけ俺が恥をさらして、今更ダメと言われれても、聞かないですよ」
「シュウ駄目よ、そんなことしたら。でも私もいる。あなたが好き勝手をホノカにする感触を私が味わう。……いいわね。シュウ」
「どっちだよ!」
「あれよ、ホノカに嫌われるのだけはダメだから」
「わかってるよ。」
彼女が何を思い浮かべたのか知らないが、ホノカを傷つけることだけはない、いや確実に無理だと言えた。
「それで、ホノカに会うのになにか、考えがあるの?」
仙崎は黙ってしまった。答えに窮してしまったというのではなく、本気に案を考えていたのだ。彼女のすらりたした真剣な眼差しに応えたいと思った。
「あー、駄目だ。俺はこういうのを考えるのは得意じゃないんだ。なにも浮かばない。
でも、ひとつ希望があるとすればお前だ。お前のこの体は、この街の盲点となっているから、歩き回るには都合がいいはずだ」
そうなの? と小首をかしげるアリス。
「それにだ。何か時間制限がある訳でもない。俺に至っては、生まれ変わったみたいなんだから、ポジティブに行こうぜ」
彼女のかしげる首の角度は大きくなる。
「ま。なんにせよ、ここに居たって始まらない」
こうして、仙崎宗の一日が始まる。
仙崎は、そこでようやくこの精神世界で忘れようとしていた、「記憶」のレコーダーの再生が始まったのを感じた。
「さて、どうやってここから出ようか」
「シュウ。こっちよ」
扉は白い地面と同化していた。
マンホールのように蓋をずらすと、下は真っ暗だった。
「ここを落ちるのか?」
「ここに居たって始まらないわ」
先ほど自分で言った言葉だが、こうもすぐに枷となって返ってくるものか。
覚悟を決める。足を離すと、腹の底に浮遊感を感じ、暗闇から、光あれ。
視界に、色彩が戻ってくる。
現実でのファーストコンタクトはうずくまるように床に伏せている生き物だった。二つの眼光と仙崎のぼやけていた視線が重なる。
息がかかるほどの距離で。
「し、」
「うああああ。宗! そうなんだよね。うぐっ。よかった。よかったよおおおおおぅう‼」
仙崎が罵詈雑言を言い放つそれより先に、ボディープレスが呼吸すら阻む。
「どうしてお前には見分けがつくんだよ……」
少女の体をした仙崎は、数秒少しの感謝と気持ち悪さを天秤にかけ嗚咽を漏らすデブの顎に膝蹴りを入れておいた。
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