第6章 少女
六章
「やっぱり、まだ早かったのね」
頭のおかしい、かわいい女子高生は、立ち上がると、何もなかったように制服についたほこりを払う。
「は、なんなの⁉ やくぶつ中毒者? それとも、何かのじっけんたい?」
「ちょっと黙っててくれるかしら」
「なにそれ! そっちが、変なことしだしたせいじゃん」
しかし鋭い目で、にらまれたことで、それ以上強く言えなかった。それに、いままでこの人を包んでいた、雰囲気がまるで変わっていたのだ。──別人みたい……
「ねぇ、あなたはここら辺に詳しい?」
「ま、そりゃね」
「だったら、ここへの行き方わかるかしら?」
変貌した女は、携帯を見せて来る。地図上に示された場所は、行ったことなかったが、辿り着けないこともない。
しかし、子どもというか、当然の勘として、この人について行ってはいけないと思う。
普通の人だったら。
「ねえ、あなたは誰なの? きょうじんの仲間?」
「違うわ」
──凛香は、この学校で起きているイジメについて、頭はさっきまでそれでいっぱいだったのだが、それは、大人たちにも、まして自分ではどうしようもないものだった。今更、危険な人だなんて構っていられない。むしろそんな人にこそ希望があるのだとも思う。
凛香は一度自分の頬を強く叩くと、女を案内することを決意する。
今は、とりあえず安全だ。それはすでに確認した。暗がりの廊下を、二人の足音だけが響く。
「ねえ、あなたの名前はなんていうの?」
「名前なんてない」
「なにそれ。みんな、こせきが登録されるってきいたんだけどなあ。そんな人いるんだ。
あ。だったらさ、私が呼び方決めていい?」
「ええ、まあ」
可愛い女の子に戻ったこの人は、先ほどとは打って変わり、ポヤポヤと捉えどころのない人に感じた。
「う~ん。そうね。アリスなんてどう? ふふん。不思議の国のアリスとかけてるの。
どう? あなたって、ほら、なんかこの街にいる人っぽくないから」
(凜香の知る大人はみんな、瞳を見開いて話しかけてくるんだもの。毎日いたるところで裁判開かれているみたいに。誰かの罪を裁こうとしているのね)
「わたしは、なんでもいいけど。そんなことより、どれくらい歩くの?」
「どのくらいだろう? 20分ぐらいだと思うけど」
「そう、お腹がすいたわ」
「…………! きゅ、急だね」
アリスは、突然立ち止まるとお腹を押さえる。──まあ。まるで、子供みたいね。
「はぁー。なんか警戒してるのが馬鹿らしくなってきたわ。
わかった、わかったわよ」
凛香は、コンビニによりお菓子を買う。アリスは、クリームパンを大量に買い込んだ。
「そんなのが好きなの?」
アリスは、コンビニでもその天然ぶりを発揮する。なんと会計すらできないのだ。
凛香は、仕方なく自分のお金で、彼女の分も支払ってあげる。これでは、まるでこちらが年上みたいだ。──まあ、奢るのは悪い気はしないけど。
隣を歩くアリスを見て、何歳なのだろうかと考える。見た目から察するに、高校生だろうと思っていたが、言動を見ていると、小学生と言われても違和感はない。
今も買ったクリームパンを二つ同時に食べている。どちらも同じ味なのに。
「ねえ、アリス。今向かってるのはどこなの?」
今さら別にどこ行こうがどうでもよかった。ただ、彼女と話すためだけに訊く。
「ふぐっ。ふぐ……っ」
「……飲み込んでからにしなさいよ」
凛香はあきれながら言う。
「んぐっ。──えっと。トモダチ? のところ」
「そ。」
再び、街灯で照らされた道を歩き出す。
街灯が照らす光の隙間、凛香はわずかに顔をゆがめる。おそらく、迫った友達を助けるための時間はもう残されていない。──一人でできることはもうない。それに覚悟ももう決まっている。
やがて、地図の示していた場所に到着する。凛香は目の前に立つ家を見上げる。この時代にはめずらしい、木造の家だった。
「ここが、その友達の家なの?」
アリスはこくっとうなずく。
「お前は……」
昔ながらのインターホンを鳴らすと、太った男が出て来る。男はまるで私たちが来ることを予見していたかのように、何の疑いもなく家に入れると横開き扉には似合わない電子ロックを掛ける。
きしむ木の床を歩き、部屋に通される。そこには家具というものが一切おいておらず、無機質な空間にパソコンが置かれている。──私もオシャレなんてしてないけど、部屋というのは、何もないとここまで広いのね。なんだか寂しいわ。
「適当に座って」
男はぶっきらぼうに言う。
何もないのでどこにでも座れたが、凛香はどこに座ればいいのか迷う。結局、壁際に腰を下ろす。
「ねえ、あの人結構ヤバい人なんじゃ、」
凛香は言いかけて隣を見るが、隣に座る人もたいがいだなと思い、言葉にするのをやめる。
男は、こちらに背中を向け、モニターの前に胡坐で座ると、缶に入った飲み物を一気に口に入れる。
「今の君は、どっちなんだ。……いや違うな、友人はどこにやった?」
「なに言ってんの?」
「君の中にいるか、君に成り代わるのかわからないけど、間違いなく君の中に、仙崎宗はいる。
あの日、死んだはずの友人がな」
凜香は男の語ることの大半は理解できなかったが、それはアリスの見せた豹変に関係していることだけはわかった。
男は、アリスの豹変に関して持論を語りだした。背中を丸めぽつりぽつり語る。彼は何かを恐れるように、常に体を小刻みに動かしていた。
凜香はなるべくそれらを理解しようとしたが、
彼女には、偉大な勇気や思想があっても肝心な知識が足りなかった。──それを分かりやすくかみ砕いて翻訳してくれる人も今は彼女のそばにはいなかった。
無意識のうちに唇をかんでいたのか、舌に苦みを感じる。
男は眠るように、仮説を話終える。
「宗はね、僕の唯一の友達なんだ。だから、君が治安機関に作り出されたとしても、……生きていてくれるだけでうれしいんだ……」
そして、そんな言葉で締めくくった。
アリスは、何か考えるように手を顎に当てている。
「確かに、仙崎宗の意識は、いまわたしの中に混在しているわ。それに、完全な棲み分けが行われている。
……だから彼には、一つの人格ではなく。二人いるような感覚だったの。だけど、それはあくまで内部だけ。彼は、いま現実を受け入れようとしてるの」
「いま何をしてるのか、わかるか……。少しでも力になりたいんだ……」
凜香は、二人の会話の端々からアリスを二重人格のようなものだろうと推測した──私が初めにあった人は、仙崎宗と名乗る人格だったのだろう。
しかし、それでは、目の前の男の態度はなんなんだ。
「ねえ、宗はさ、君とどんな話をするんだい? ねえ! ほらさ思い出話とかさ。勉強の話はしなさそうだけど。あ、そうだ、恋バナは、するの⁉」
さっきから、アリスにしゃべりかけているが、まるで宗教のようだった。──もし私が想像したように、二重人格だとしたら、なぜ見た目も性別も違うのに、ここまで元の友人だと言えるのだろうか?
凜香は、アリスにすがりようにして近づく男を蹴り飛ばす。──実際は、体重差があり過ぎて、殆ど効果はなさそうだったが。
「いったっ! なにすんだよッ!
ていうかガキがこんなところにいるんだ。僕はこんなやつ連れこんだ覚えはないぞ! さっさと出ていけよ!」
「ねえ、さっきからアリスに近づきすぎなんだけど」
「アリス? 誰だそいつは?」
「この子の名前。私がつけたの」
そう言って、凛香はアリスの腕を握る。
「なに勝手に。こいつは、器でしかないんだ。ほら、さっさと、宗と変わってくれ!」
鼻息荒く、アリスの顔を見る。
「それは無理。もう少しかかるみたい」
「じゃ、じゃあ、何をしてるかだけ教えてくれよッ!」
「気持ち悪い……」
「今彼は……。そうね、彼の造った世界にいるわ。ホノカといるみたいね」
──また、新しい人が出てきた。
「そうか! そうか。そうだよな。アイツは、水崎帆風のことをよくしゃべっていたもんなぁ。あぁ懐かしいなー‼
だったらさ、どんな? どんなことをしてるの。そうだな。まずはデートからか?」
「そうね。水族館にデートをして、家に帰るの。それで、初めてのお酒を二人で飲むの。
でも、彼はお酒が弱く、彼は小学生のころを思い出して語りだすの」
「それで、それで」
「お姉ちゃんが気持ちを伝えて、二人は抱き合うの。軽いハグよ。
で、キスをするの。それから、お姉ちゃんは、彼の体を舐めるの。お互いに気持ちのいい場所を探り合いながら」
顔の整った、近くで見ると、きめ細かい白い肌、触れるときゃしゃな体の、少女が、そのような言葉をつらつらと語っている姿は、凛香にとって、初めて意識する、性への憧れであった。きっとこの経験は、生涯忘れることなく、夜になれば思い出し、何度も、繰り返し脳内で再生されるのだろう。──凛香は幸運なことに、まだそれを一人で解決する手段を知らなかった。
だから、その感情を表すように、泣き出した。
「うっ……うぐっ……」
止めどなく流れる涙は、何度拭っても、腕を伝い流れて来る。
「ごめんね」
アリスは、優しく包み込もうとするが、体は反射で彼女を振り払ってしまった。
凛香にはその気はなかったが、余計につらくなって、再び声を上げて泣く。
「……ごめん……ごめん、ごめん、ごめん」
アリスはその間、ずっと謝り続けるのでした。凛香は、近くで聞こえる、その声を子守唄にするように、いつの間にか眠ってしまった。
朝起きると、ベッドに移動しており、何故か床ではアリスが丸くなるように寝ていた。
「もう……。なんでこんなところで寝てるのよ」
凛香は、今まで自分がかぶっていた、タオルケットを掛けてあげる。──多分これは自分を心配して、くれてたのよね? だったら他に、私をここまで運んできた人物がいるはずだ。
部屋を出ると、男の部屋に向かう。
さすがに中に入るのは気が引けるので外で待っていようと思い、扉のすぐ隣で座って彼が出て来るのを待つことにした。
彼女の心は作り替わったような心地だった。昨日感じた醜さや悲しさとは打って変わり、人間の真理に触れた気がして、──自分は、大人というものに一歩近づいたという、確信に心が満たされていた。
ガチャリと扉があく。中からもさっとした、男が、パンツにTシャツという、ラフな格好で出て来る。
男は、こちらを見ると、目を大きく開き、すぐに斜め下に目をそらしてしまう。
「あの、きのうは、」
「昨日はごめん。僕は昨日、友達がまた消えてしまうかもしれないって思って少し錯乱していたんだ。それに、ほら、ここに訪ねて来る人もいないからさ……」
「いいわけばっかね!」
「あ、あう、あ、……ごめん。どうすれば……?」
そして、そこで再び目が合う。
「そうね。だったら朝ご飯を買ってきてちょうだい。
うーんとね、私は、チョコケーキのパフェと、シュークリームと、お好み焼きが良いかな」
「え、それ本気でいってる?」
「なに? 申し訳ないと思ってないの」
「思ってるけど……。わ、わかった」
「あ、それと、クリームパンねっ! 店にあるだけの」
「は?」
彼は驚いた声を上げるが、凜香は、反論する隙を与えないように、また部屋に戻ろうとする。
「あ、そういえば、名前聞いてなかったわ」
「僕? 僕は、神木翔」
「そう。私は凛香よ」
凜香は、一周くるって回って見せ、部屋に戻る。後ろからは小さな拍手が聞こえた。
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