5-4
仙崎は、目覚めると深々と息をし、上がった鼓動を鎮める。
おかれたものすべてを粉々に破壊してしまいたい衝動にかられるが、のんきに寝ている少女がぴったりとくっついたからそれもかなわない。
ゆっくりと一つ一つ彼女をはがしていくうちに、心臓も落ち着いた。それと同時に、──自分のすべきことも決まったような気がしてきた。仙崎は、出来上がった意思を忘れないように目元を手でつまみ脳に刻み込む──これで大丈夫。これは、仙崎が昔から行っている〝おまじない〟みたいなものだ。
窓の外を見ると、焼ける空に照らされ、校庭は影で覆われ始めていた。いつまでもここにはいられない。
不意に扉がガタガタと音を立てる。
仙崎は、一瞬驚くもすぐに天使を抱え、段ボールの積まれた後ろに隠れる。あらかじめ隠れるために作っておいたスペースだ。
扉に映る陰から、少なくとも教師ではないとわかり一安心する。──生徒なら、ここ(鍵のかけられた教室)には入ってこないだろう。
しかし、そんな考えはあっさりと打ち砕かれることになる。生徒は扉を二、三回蹴ると、ガラガラと簡単に開いてしまう。──今の時代にどうなってんだよセキュリティー。
仙崎は心の中で悪態をつくも、訓練により、気配を消し数時間動かないでいるぐらい造作もないことだった。
入ってきたのは少女だった。
予想通り、制服を着たここの生徒。髪は肩くらいで切りそろえられ、制服から出た肌は薄っすらと小麦色だった。
少女は、再びカギをかけると、窓の方へ歩き出し、何かを監視するようにじっと外を見つめる。
好きな人を目で追いかける、そんな甘ったるい視線ではない。むしろ、何かに追い詰められたように、今すぐにでもここから飛び降りる覚悟を決めているような目だった。
それでも、仙崎はこちらに害がありそうにないと判断し、少女から視線を外す。
それは、これから何が起ころうとも関わらないという意思表示でもあった。
仙崎は、数分の睡眠をとろうと壁にもたれるようにして、目を閉じたのと、ほぼ同時に隣に眠る少女が入れ替わるように「む~」とかわいらし声で鳴きながら目を覚ましたのだ。
天使は「うー、うーうぅん」と言いながら伸びをすると、伸ばした手は、重ねるように置かれた椅子にぶつける。連鎖するように次々に、音を立てて椅子が地面に落ちていく。
「ひゃあっ⁉」
さすがに少女もその音で気づき、声を上げ、腰を抜かしたようにその場にへたり込む。
「だ、誰なのッ……⁉」
「あーいや、そのすまん」
仙崎は、テレテレしながら、隠れていた場所から出て行く。
「いろいろあって、」
少女は口を魚のようにパクパクさせ、瞳からは、涙がこぼれていた。
仙崎は、即座に扉への行く手をふさぐように回り込む。事情を説明しようにも、このように感情が立っている状態では無理なので、最悪の事態だけを避けようと考えた。
それから、少女がなるべくパニックを起こさないよう中腰になると、少女が落ち着くのを待った。
後から知ったことなのだが、少女はもう子供ではなかった。普通の少女は、逃げ出すのだ。まず第一声が、誰かと言うことを気にしたことを疑問に思うべきだった。もっと前。入ってきた時点で、兆候はあったはずだ。
懐かしさを感じる教室の景色に気を取られていたと言われれば、そうなのだが、それでも、彼女の見た目も惑わせる原因だったと思う。
わずかな時間、仙崎は本気で、泣く少女を労り、申し訳なさを感じていた。少女は、袖で目頭をぬぐうと、すっと立ち上がり力強い瞳をこちらに向けてきた。──そろそろ会話できそうか。
「ごめんな……」
「訊きたいことがあるんだけど。あなたは、ここに何の用なの? 変態?」
「変態はあながち間違ってないかもな。まあ、黙っていてくれたら、明日には出ていくからさ。邪魔したな」
仙崎はなるべく怯えさせないよう、好青年をイメージしてしゃべる。
「は?」
──さすがに、俺には無理があったか。少女は、さらに訝しむように、眼を鋭くする。
「知り合いなの?」
半日寝ていた天使がいつの間にか隣まで来ていた。まだ眠気が取れていないのか、ほとんど目は開いていない。
「いや、全然……ていうか、俺に小学生の知り合いは一人もいない」
「ねえ、何ぶつぶつ言ってるの、……えっと、そういえば聞いてなかったわね。あなたの名前。……なんて言うの」
ぶっきらぼうに少女が言う。
「?」
「だ、か、ら、あなたの名前訊いてるんですけど」
「ああ、たしかに。そういえば自己紹介がまだだったな。仙崎宗です」
「私は、凛香」
訊いておいてそっけない態度をとる少女。
「ん?」
仙崎は思わず少女の顔を見てしまった。いや、何度見ても見覚えのない顔のはずだが。
少女の持つ性質は、どこかで覚えがあった。厳重な警戒を纏っているが、それなのに、簡単に人に近づいてしまう純粋ゆえの危うさ。
あの教会で出会った小学生。
「あ」
──落ち着け。こいつの正体を知っているのはまだ俺だけのはずだ。
俺は、小学生と目を合わせないように、腰にささる拳銃の感触を確かめる。そして同時に脳内で、イメージする。それはいつでも彼女に対抗できる手段の準備だった。
そのお陰もあり、表面では動揺を隠せている。
「なあ、凛香ちゃんは、どうしてこんなところにいるんだ? さっさと家に帰ったほうが良いんじゃない?」
「なんかそれ、まんま誘拐犯みたいなセリフですね。そのまま、「僕が連れて行ってあげるよ」とか言い出しそうなんだけど。
──えっ? もしかして、本当に誘拐犯だったり?」
「いや、しないよ? 君なんかに興味持つわけないだろ」
「む。なんか失礼な気がするけど。ま、いいです……。私もやらなくちゃいけないことがあるの。今日は見逃してあげますね」
「はは、そうか。それはありがたい……」
「それで、私が何をしてるかだったっけ?」
凛香と名乗る少女は、頭だけをこちらに向け上目遣いで言う。
「好きな人を追いかけているの」
「それにしては随分、思いつめた顔をしていたけど」
「恋は、いつだって苦しいものよ」
言ってから、くすくすと笑って見せた。もし、仙崎が、この女の正体に気づいていなければ、納得してしまいそうなほどの、可憐さを秘めていた。
どうしてこんな少女がレジスタンスになど頼る羽目になったのか。確かあの時少女は、いじめられていると語っていた気がする。
仙崎は、改めて彼女の体をじっくりと観察する。あの日見た時は、暗がりではっきりとは分からなかったが色のついた髪で、腰くらいまでの長さがあった。どうして擬態など? 変わらないのは、分かりやすく彼女の感情を表す大きな瞳だった。
そして、どこにも、彼女に行われたであろう痕跡は見つからなかった。もちろん服の下に隠されている可能性はあるが。
チャイムが鳴る。
多分、下校時間を知らせる予鈴なのだろう。廊下に、友達を呼ぶ声と、細かに刻まれる足音が聞こえてくる。
「帰らないのか?」
「ええ。なに? それとも、誰かさんのように通報でもするつもりですか?」
仙崎は驚く。
「気づいていたのか……」
「そりゃそれだけ、可愛かったら覚えていますよ」
「なるほどな。確かにこいつは、顔だけ見ればかわいいかもな」
隣の天使は照れているのか何も言わない。代わりに凛香が口を開く。
「何を言ってるの? 私が言ってるのはあなたのことですよ。
ていうか、ここであなた以外誰がいるんですか?」
「は?」
──何を言ってるんだ。
目の前の小学生が、カラカイのために言っている様子でもないことが余計仙崎を困惑させた。
「……ちょっと大丈夫?」
「も、もう一回言ってくれるか……」
「は、なに?」
「いいから言うんだッ!」
「いや、気持ち悪いんですけど。かわいいのに、性格あれなタイプ?」
仙崎の頭の中は、洗脳訓練で受けたような、電流が頭に流されている感覚に襲われる。
意識が朦朧とし始め、地面がなくなる。仙崎は、溺れたように呼吸をすることさえ苦しくなり、その場でもがくように倒れこんでしまう。
天使の悲しそうな顔を最後に完全に意識を失う。
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