5-3

 俺たちは、きっと普通の小学生だった。親を亡くした子供なんて周りには溢れ、見習う大人と言えば、登校中に見かける広場で泣きわめく人たちだった。

 朝。俺は、登校前にそこによる。そして、表情がはっきり見えないギリギリの場所に腰を据える。ちょうどそこは、彼らを避けて通ろうとする者の通り道でそこに座っていれば、不審な目にさらされるが、それでもあそこに、自分のような子供が入ってはいけない気がしていた。

 それに、そこにいる一人一人を監視するように見ているわけではなかった。あくまで、心を揺さぶられる風景。雲の流れや、紅葉を見るように──皆の激しい団結、それとも電光掲示板などがちかちか点滅するロマンチックな光に惹かれていた。

 そして、いつしか彼らの思想が叶う未来を自分は見せようと、ふわりと思うようになっていた。

 それからは、才能を自覚し、生意気な子供と成長した。

 朝からそんなところで道草食っているので、登校はいつも走っていたし、間に合わないことも多々あった。それでも、抜け道を探したり、自転車なんかに頼るようなことはしなかった。批判など目もくれず正々堂々遅れて校門を通る。この年齢から自分は思想を持ち合わせ、正しい行動をしてきたのだからと、堂々としていた。だから生意気と言うんだ。

 勿論、教師の中にはいい大人というのもいた。しかしもの足りない。声量が違う。肺の大きさから違うのだ。言葉だって、子どもだからと言って、かみ砕きすぎて、絵本のような教訓やできすぎた話になってしまい、どうもゲンジツカンがなくなってしまう。

 あなたの人生から得た、教訓や、固い信念、もっと尖って宗教でも教えていたら、多少は、尊敬の念を抱いていただろう。

 だから授業中に居眠りだってする。朝早くから起きたせいもあるが。唯一の、と言えばいいか、仕方なく目にひくものと言えば、隣の女子生徒だ。

俺がぼうっと座り、朝見ていたものに胸を高鳴らせ、自分で一枚の絵を描くように脳内で整理していると、三、四人の生徒が周りを囲んだ。笑って、通りすがりざまに隣の女子生徒の足をけった。そして彼女の机とくっつけられて俺を一周して、もう一回蹴る。

 俺は、蹴られている足を見てその当たり方を観察していた。

 その子の反応には特徴があり。

 黄色い痣に当たったら足を跳ね上げて太ももが机の裏に当たって、それが面白くて、みんな笑っている。

 みんなが笑うからつられて彼女も笑った。多分ほんとにそれだけが理由なんだと思う。

 だけど、気に入らないから、去り際にもう一回蹴られる。

 それからは俺だけが見てしまったのだが、驚くことに足をパタパタさせていた。そして、こちらに笑いかけていた。だからかわいそうなんて思ったことは一度もない。そんな挑発しなければいいのに。

 昼になると、彼女の給食がこぼされ、その汁がこちらに飛び散る。彼女の給食は一つの皿に料理が一緒くたにされている。

 俺は、かかった汁を、ちょうど自分の机だけ拭く。怒りを彼女に矛を向けるように期待されていたのかもしれないけれど、ただそれだけ。

 俺は、学校内でただの隣同士のクラスメイトで終わるはずだった彼女への攻撃に手を貸すこともなければ、助けることもしない。──見て楽しむことにしたのだ。退屈な生活の中でまじかにこうも変わった人間を見ることはラッキーなのかも。

 だから彼女が話しかけてきたときは、──ああ、こいつが仕返しをするのは俺なのか。俺を身代わりにするつもりなのか。くらいにしか、思わなかった。

 当時自分がクラスからどう思われていたかは知らないが、彼女とつるむようになって自分は目立ってクラスから迫害された。時には暴力、言葉そんな陳腐なものをふるい、何とか弱い者いじめをしようとしたのだ。

 彼女はそんな俺の状況を見ても、教室で、笑って突然「仙崎宗!」などと叫びだす始末だった。

 もちろんそんなことをしても、いじめられる人数が二人に増えただけで何も変わらなかった。相変わらず、彼女はクラスから、攻撃の波にさらされ、俺もそれに巻き込まれる形で、被害に遭った。

 

 夏休み入る直前、俺は自分と彼女との関係を言い表す名前を探していたように思える。

 放課後、彼女は足に黄色い痣を作りそれを自慢げに見せてきた。

 この頃、二人で放課後を過ごすというのが習慣になっていた。つまり、俺は彼女と二人でいるのを認めたわけだが、当時はそれに敗北感にも似た感情を抱いていた。

 彼女のそういった〝自慢〟は、同情を誘うためだと分かっていたので、俺はそういったことで、彼女を助けようとも、彼女から離れようとも思わなかった。

 俺たちは、学校のすぐ近くの駐車場を待ち合わせ場所にしていた。

 そこには、放置されたような錆の入った車がいくつか止められ、他にも空気の抜かれたタイヤが置かれている。それをだれか注意することもなかったのだろう。コンクリートの隙間からは、雑草が生い茂っている。

 俺と帆風は、外から見られないように車と車の間に、ランドセルを敷いて座る。向かい合うのは少し恥ずかしかったが、学校の奴らに見つかるよりはましだ。(わざわざ学校から近くのこの場所を選んだのは、帆風だから、もしかしたら彼女の思惑にはまっていたのかもしれない)

 目の前に座る彼女は自分の髪を手くしですいていた。──一ヶ月ほど前に、腰ほどまであった髪を突然切ってきたのだ。彼女は「だって、つかまれたら痛いじゃん」なんて笑って言っていた。

 それだったら、他に簡単にできる、傷を隠すために長ズボンでも履く方が先だと思うが、彼女は、いつもスカートだった。

 俺は、わざとらしく本を開いて、時間をつぶすことにした。──仕方なく、彼女に付き合ってやっているのだという体を崩さないために。

 そんな隠れた抵抗を始めると決まって彼女は、それを邪魔しようとしてくる。初めは、足をこつんと当てる些細なものだったが、それを無視していると、ふと思いついたように、気配が近づき、本を持つ手に柔らかい感触を感じる。

 思わず本をどけると、そこには彼女の顔がすぐ近くにあった。

「なにしてんだよ!」

「うん? だって、宗君が無視するんだも~ん!」

 俺はこんな風に簡単に触れて来る彼女が嫌いだった。

「そんなだから、女子から疎まれるんだよ」

 そんな嫌悪感から思わず口からこぼれてしまう。

「ひどいっ。──だったら私がお利口さんだったら、嫌われないの? 何をされても抵抗せず、不登校にでもなればよかったの? 私と会えなくなるけどいいの?」

「そうか。それだったら、俺もイジメに参加した方が良いな」

「もー! なんでそんなこと言うの。あーあ、もういいや私消えちゃうもんね」

「…………」

「──ねぇーっ! なんで引き留めてくれないの!」

「知らないよ。勝手にすれば?」

 そのしつこさに、引っ付いてくる彼女を引きはがそうと、勢いで上がった足が彼女の足に当たる。

 それは軽口を言い合っていた、二人の幸福な時間を一瞬、現実に戻す。

「ご、ごめん」

「ふふ。いいよ。君になら、別に傷つけられても。

 でも、どうせなら、まだ汚れてないところが良いな」

「どういう意味だよ……」

「うん? 知りたいの?」

 俺は断る。彼女の不敵な笑みと、今までの〝けいけん〟による、何となくの感だ。

「だったらさ、お詫びとして撫でてよ」

 そういって、俺の太ももに傷ついた足をのせてくる。その姿は、彼女にしては、めずらしく年相応の女の子らしかった。

 俺は、そんな彼女の態度にどうしようもなく、不器用に彼女の足を触り始める。

 初めは、傷跡を避けながら、白い肌を筋肉にそってなぞる。

慣れてくると傷跡に手をやってみる。彼女はわずかに吐息をこぼすが、そこに会話はなかった。

 俺は、彼女の傷跡をなぞることで、彼女の背負うものを少しでも知りたいと思っていた。

 帆風は、なぜか俺にかまう。つまり彼女は、自分にない何かを俺の中に見出しているのだ。──人は何か価値がないと関わらない。

 彼女にないもの……。だったら、それはたぶん〝子供らしさ〟なのだろう。思えば、彼女は、イジメの中では一度も涙を流したところを見たことがなかった。

 帆風には、何かが決定的に欠如しているような気がしていた。

 現実味のない存在にでもいいかえればいいのだろうか。この駐車場は、確かに地図上では、表記され、見ることもできるのだが、ここにいると、この場所は、外界から隔離された孤独で寂しい場所に思える。

 彼女がイジメられる時に見せる微笑みには似たようなものがあった。いや、俺といるときに見せる笑顔さえも同じ類だったのかもしれない。

「私ね、学校辞めるんだ……」

 帆風は言う。

「……そうか」

 彼女の才能は、この学校の器では収まりきらないものがある。

「やっぱりおどろかないんだね」

「だって、君は俺よりもえらいじゃん」

「ふふ。いいの? 認めちゃって?」

 つい本音を言ってしまった。もしかしたら、多少なりとも動揺していたのかもしれない。俺は、さらに間違いを重ねる。

「いやー、よかった、よかった。やっと、いなくなってくれるんだ」

 しかし、言ってすぐ俺は後悔することになる。彼女から冗談や、皮肉は飛んでこず、黙ってしまったのだ。かすかに揺れ動く彼女の瞳がその後悔をさらに大きくする。

 い、いや、ここでは俺が普通ではないのではないだろうか。俺は彼女を、嫌っている体を取り、彼女がそれを簡単に突破してくる。──帆風は俺のことを好きで、俺はそれをめんどくさがる関係。(恥ずかしい話だが、当時俺は本当にそう思っていた)

 無言の彼女は、自分に何を求めているのだろうか? 犯した罪の後悔より、償いについて考えることにした。

 覚悟を決め、顔を上げると目が合う。いつもなら何を考えているのか、分からないはずなのに……はずなのに。

「……だったら、次いつ会える?」

 俺は彼女の意思のこもった目からそらすことなく勇気の告白をする。こんな弱みを見せ、そして、また会いたいなんてものは、自分では死んでしまいたいくらい恥ずかしく。それなのに、この空間だけは、彼女を傷つけてはいけないという、なんとも、幼い正義感に包まれていた。

「また会いたいの? 私と?」

「うん」

「だったら、君が、君が望むならきっと会えるよ。

ううん。違う……。宗君が私のことを─────────」

それ以上の言葉を聞き取ることは出来なかった。

なぜなら帆風は、自分の体をなげうって、顔を近づけると、俺のほっぺたに口づけをした。俺は全ての感覚を奪われる。

ふるえる彼女の唇。かさついた、ススキの葉が触れるようなそれなのに、感触は徐々に溶け合い、俺は彼女を自然と抱きしめていた。

お互いの心臓が、追いかけあうように高鳴り、息苦しさを感じる。

 きっと数秒だったに違いない。すぐに頭には、ここが、学校の近くで、誰かに見られてしまう危うさを思い出してしまっていたから。

 その日を境に彼女は、学校に来なくなった。

 俺はあの日の感触を忘れられず、甘酸っぱい思い出、輝かしい青春などではなく、呪いや、未練として、それから何度も思い出し、そのたびに後悔と、幸福の入り混じった感情に苦しめられることになる。

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