第5章 恋の予感

 五章


「おかしい──」

 仙崎は目の前で起きている光景に目を見張った。先ほどまで、完全にコントロールされていた戦場は、悲鳴と銃声が混ざり合い阿鼻叫喚の音色を奏でている。

 仙崎も、自分の体が熱くなるのを感じていた。呼吸は浅く、そのため脳に十分に酸素がいきわたらず、もやがかかるように思考の邪魔をしてくる。

「くそっ──どうする」


               ×××


 先ほどの光景が目の裏に焼き付けられたようにちらつく。

 ──それは突如起こった。

 男が起き上がろうとするたびに無慈悲な銃弾を浴びせ、一つの生命に対し傷つけ、傷つけ、死骸と言うにふさわしい姿まで完全に封じ込めることに成功していた。

それから間もなくしてだった。

 地表に、時期にしては早すぎる雪が降りだした。

幻覚ではなく、現実。雨ではなく雪。サーチライトには雨粒より大きい影が降り注いでいたのでそう思った。

 それから間もなく。地面に無数の穴が出現する。と同時に、

「なんだ────ッ⁉」

 違うこれは影? 近くの隊員につられて仙崎も空を見上げ、──絶望する。

 黒い影と思われていたものが地面に近づくにつれその実態を明らかにする。

 仙崎は頬についた雪をぬぐうと、目を閉じる。それは、現実から目をそらす理由ではなく、自分の身を守るため。

 グシャッ、バンッ

 落下した衝撃だろうか、体のつながりの弱い部分から千切れ辺りに散らばる。

「あ、ああ、あああああああああああああ」

 照らし出していた白い光は、死屍累々を、まるでカメラにでも取るように明細に映し出していた。

「か、各個射撃しろ! 自分の身を守ることを優先するんだッ!」

 そんな悲鳴にも似た命令と共に、隊員は乱射し始めた。そこには、隊列や、優先目標などの統率はなくなっていた。

 ──目の前に落ちてきたのは、人ではあったが死体ではない。黒い物体は、動き出す。誰に恨みを持ち、誰かを憎んでいるのか分からないが確実に目の前に並ぶ人間を殺そうとしている。

 一匹の〝人間だったもの〟が、隊員の一人に到達し、首元を噛み千切る。真面目な少年は、自身の頭に、銃口を当て発砲するが、──もう遅かった。

 着けていたマスクや、ヘルメットが吹き飛ばされ、少年の顔がさらされる。照らされる光に吸い込まれそうなほど白く、瞳は、まだ子供だった。

 ──しかし、彼はもう少年でも大人でもなくなってしまったのだ。大人になることなく彼は、これから友を殺しにかかる。

 仙崎は、放心状態の中で見ず知らずの彼のもとに駆け寄ろうかということを考えていたのだ。そう、あの少年の死は、決して無関係ではなく同胞の死なのだ。彼の死に、そこに自分の少なからずの罪が発生するような予感があったのだ。

 ──そうと決めまれば早く体勢を立て直さねば。

 仙崎は、腰に差していた拳銃を引き抜くと、残弾への惜しみもなくリロードし、スライドを引く。

「ねぇ、逃げないの?」

 耳元に少女の声が聞こえる。

「うわっ! あ、ああ……、」

さほど大きな声ではなかったが、仙崎は体をはねるように驚く。そこで自分が正気ではなかったと気づく。

 ──そうだ。逃げないと……。

 しかし、今度は、仙崎が恐怖によって体を縛り付けられ脳からの信号を受け付けてくれない。

 そして、その隙を逃してくれるほど、戦場は優しくない。

「ひっ」

 と少女が悲鳴を上げる。仙崎は、こわばる彼女の視線の先をたどると、

「────ッ⁉」 

 少女を巻き込むように、二人がいる場所に、化け物たちが、倒れこむように襲い掛かって来る。

 少女が仙崎の体に体当たりして、押しのけてくれたおかげで何とか回避することが出来たが、仙崎は地面に少女はその上に倒れこんでしまった。

「やめろよッ 俺は関係ないだろ! どうしていつも俺ばかり……」

 先ほどまで、この街の反乱分子として、そして、裏切り者として扱われたのに、今度は、こんな奴らに、命を狙われなきゃならないんだ。

 仙崎は何者かに助けを求めるように、腕を伸ばすと固いものが手に当たる。手頃な、狂気を満たす道具。同時にそれは彼には、使い慣れたモノだった。

 元々の使用者の指が、指だけが引っ掛かっており、絵の具のような赤い液体で染められていた、がそんなことお構いなしに、つかむと倒れこんでいる狂人に向かって引き金を引いた。

 直後、このような状況において精神的苦痛による発作も、動揺すらしないで冷静に火を噴く。素晴らしきかな機械の宿命。

 ええ、しかし、道具は道具。使い手である仙崎はそうではなかった。彼にとって、慣れ親しんだはずの銃のはずだったが、焦点は合わず、引き金を絞る指には痛みが走り、銃弾は明後日の方へ飛んでいく──戦場に不協和音が鳴り響く。

 自分の銃声は場違いなのだ。治安機関とはそういう場所だった。銃声は二十一発、きっかり撃ち切った。そして、それが仙崎に残されていた最後の脅威だった。もう何もなくなった。なにも。ただの人間は、ここに用はない。

 腰に力が入らず、両の足で立つことすらかなわない。

ほどなくして、耳をつんざくような叫び声と、生暖かい呼吸を首元に感じる。──何度も想像した自分の死に姿はこんなものだっただろうか? 思い出せない。

「何をしてるの? 約束を破る気?」 

 どこからか、そんな神にも、教官にも似た声が聞こえ。仙崎は、目を開き一人の姿を捉える。教官ではなかった。しかし神というのは否定できない。

「何を……? 困った。そんなの……何も言えなくなるだろ。あぁ。たしか、彼女の名前を言われて、だから会いに行かないとって……」

「それは答えじゃない。ま、でも、ある意味正しいかもね。私の名前を聞いただけで飛び上がって喜ぶのはいい傾向ね。君はもっと私にかまうべきだったもの。いつも、無視するか、悪だくみしかしていなかったわね。

 ……まあ、そんなところもかわいかったんだけど!」

 仙崎はとうとうその人物を認めねばならなくなった。姿だけではなく、声までそのものだったのだから。

「ふふ、久しぶり」

 少女は、命を狙っていた狂人者の頭の上に足を乗せ、わざわざ屈みこんで目線を合わせ、こちらをのぞき込んでいた。

「──ッ⁉……ほ、ほのか?」

 あまりのことに、ただその名前を呼ぶことしかできない。

「どう? 前より大人な〝れでぃー〟になっているかな?」

 彼女は、狂人の頭をえぐりながら、その場できれいに回って見せる。

「大人とレディは大体意味同じだろ。……いや、そんなことじゃなくて」

 久しぶりに会った幼馴染は、黒いドレスで全身を着飾っていた。

「いいでしょ。これ。そんなことよりうまくいったのね」

 仙崎は言葉の意味が分からなかった。何もうまくいってないはずだが……

「お姉ちゃん!」

 その声で隣に少女がいたことを思い出す。

「どうして、ここに? あ、会いに来てくれたの……?」

 少女の声音は、怖くなるほど甘々だった。

「いっぱい話しことはあるけど、

 ま、でもその前に、この愚か者たちの、助けでもしてやらないとね」

 こんなやり取りをしている間にも着実にその被害を増やしている治安機関の面々を、まるで興味なさそうに言う。

「おまえ、そんな言い方ッ!」

「そうね、君が私を追いかけてくれていた場所だったものね。それじゃ、ちょっと待ってて」

 そういうや否や、飛び出す。そこからは、衣装も相まって、本当に踊っているようだった。異常なまでの身体能力で、銃弾の雨が降り注ぐ戦場を駆け回り、狂人者のあたまを蹴り、吹き飛ばしていったのだ。

「あれが、帆風なのか……」

「ええそうよ」

 別に、聞かせるつもりのない独り言だったのだが。

「いつもの優しいお姉ちゃん」

 仙崎は、口をつぐむ。もししゃべったら、彼女を狂人と同じ化け物と言ってしまいそうだった。いや、きっと彼女は化け物なのだろう。知識がなければ──吸血鬼

 彼女はなったのだ。────世界を救う英雄。彼女を言い表す肩書にふさわしいと思う。

 死に際に仙崎は、昔のことを懐かしむ時間ができてしまった。仙崎は、死とは真逆の気持ちで、その惨憺たる光景を見ていた。

 あたりに死体が転がり、最後の一体、奇しくも最初の少年の頭を踏みつぶし、戦場から虐殺に変わった舞台は幕を下ろす。

「ふー。おわった、おわった」

 少女は、何事もなかったように、戻ってくる。

「うーん。ま、上手くいってるようで……、それだけ分かっただけでも良かった。

 ほら、ボーとしてないで、早く逃げないと、あいつらにまた捕まっちゃうぞ!」

「お、お前は、」

「私は、私の使命を果たさなきゃ。ま、でも。君が約束を忘れていないようだから、また会えるよ。きっと。君なら会いに来てくれる……かな?」

 心配そうに首を傾ける。そのかわいらしさは昔のままだった。自分が嫉妬し、憎み、好きだった彼女そのものだった。

 

 仙崎は天使と共に、逃げ出す。──逃げる? どこへ? そんなことわかる訳もなく。ただひたすらに、死のあふれる場所から距離を取ることだけを考える。 

数十分走り、ようやく脳に酸素がいきわたり、冷静に考えられるようになった。

「とりあえず、もう家には帰れないな。あと監視されない場所……」

 思考をめぐらし一つの場所に思い至る。仙崎は、そこに向かって再び走り出した。

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