1-2

 それから、仙崎と少女は、学校を出て家に帰る。

「もし……」

 途中少女が、やっと口を開く。

「あいつがいなくなったとたん喋りだすのか。天使も、人見知りとかあるんだな」

「もし、わたしが逃げたらどうする?」

 少女はそんな仙崎の、軽口など気にする様子もなく訊いてきた。

「無理だな」

 仙崎は少しだけ、握っていた腕に力を込める。

「何を考えてる?」

「じゃあ、わたしが、行きたくないって言ったら?」

 ──〝どうして〟、とは思わない。少女にも何か意思があってこの質問をしているのだ。だが同じように、俺にも目的がある。

「それも、なしだ」

 仙崎は、だんだんとこのやり取りが、煩わしく思えてきた。

「もういい。すぐにでも、お前を引き渡しに行く。神木には悪いが、こんなやつをかくまっていたとなったら俺の目的ばかりか、俺自身捕まることになってしまう」

「まって。ねえ、まってってば」

 少女の慌てた声が、余計に彼の怒りを逆なでした。

「覚悟もないのに、変な真似はやめておくんだったな」

「わたしがホノカの妹だっていたら?」

 それは思ってもみなかった単語で、ぎょっと少女に向くと、ちょうど逆光と溶け合い少女の輪郭は曖昧となっていた。無表情で陽炎のように揺れる、美しい顔立ちが余計に恐ろしく感じさせた。

「どういうことだ」

「ふーん。それが〝好き〟な人に対する態度なんだ」

「……」

 胸が熱く、後頭部に血流が強く流れ、痛みを感じる。

「ごめんなさい。ほんとは逃げる気なんてないの……。わたしは、ホノカに言われてあなたに会いに来たの」

 すでに仙崎には、聞こえていなかった。

 他のことに気をそらさなければと、周りを見渡し始めた。

 紙を掲げるモノ、太い教本を片手に拡声器で読み上げる人、統一された装いで叫び声をあげる人が並んでいた。それは二人を、祝福し、歓迎するパレードのようにも見える。

 しばらくここへは来ていなかったが、まるで変わっていない。各々が叫び声をあげる場所だった。

 仙崎はそれに懐かしさとともに哀愁にも似た感情を抱いていた。

 昔の自分は美術館に行くのにも似た感覚でここを訪ね、──何もせず、眺める。写真では撮ることのできない感情の渦を肌で感じていたのだ。

 そんな場所で、名前を出されたことがひどく不愉快だった。

 その名前は、ここで出していいものではない。

 気づいた時には、握っていた少女の腕を強く引っ張っていた。少女は、突然のことに受け身も取れず、膝から地面に転ぶ。

「あ、……ごめん」

 地べたに座る、膝から赤い血を流す顔をゆがめた少女を見て、ようやく謝罪の言葉を口にするが、儚くも喝采によってかき消される。

少女も少女で、すぐに立ち上がると、次に振り返った時には、無表情で自分のワンピースについた砂利を払っていた。

「……いたくないのか?」

 どの口が言ってるのか。それでも訊かずには入られなかった。

「どうしたんだい? 若い人さん」

「⁉」

「これはいけない。お嬢さんケガしているじゃないか!」

 突如として二人の間に割り込んできたのは、マークの書かれた帽子をかぶり、ピンクのジャージを着る、4、50代の、女性だ。

 まるで、仙崎のことが目に入っていないかのように、少女の顔を、両手で触り始めた。

 女の声に呼応するように、数人の大人が寄ってくるのが見える。

「──触るなッ!」

「どうして? だってケガしてるじゃないか」「本当だわ、ケガしてる子をほっとけないわ」

「いいかね。ここはみんなで助け合って生きていかなければならないんだ」

 口々にそんなことを言い出す。

「君もわかっていると思うが、わたしたちは、あの日から、もう、まともな生活というのは送れなくなってしまったんだ。

 いいかい? 今信頼すべきは私たちのような、真実を知る大人なんだ。昔はこの街にも、もっと、威勢のある若者も多かったんだがな……」

 仙崎は、少し離れた集団を指さし、

「でも、あなた達のような、声を上げる若者もいるんじゃないですか?」

「ああ、あれはだめだ。あれは、苦労から逃げてきた弱者の集団なんだ。私たちとはまるで違う。今日も、自慢げに治安機関に連れて行かれたよ……。

私たちは何も検問を突破したいわけではないんだ。日常の生活を返してほしいと言ってるんだ」

 この街は、確かに監獄のように監視と、自由を奪っている。当時の映像を見ると、連日暴動が起こっていた。

 しかし、知らないのだろう、多くの国民は、この街の封鎖に賛成していることを。──知らなくていいこともあるか。

 仙崎は、すぐ壁の向こうから、毎日のようにこの街に投げかけられる罵倒の数々を聞いていた。そういう意味では、治安機関の情報統制もかなりうまくいっている。

 仙崎は、今も少女を取り囲む集団を盗み見る。昔のことを思い出したせいで、体を覆っていた熱は消え去り、周りを冷静に見る余裕が出来ていた。

 浅く息を吸い込むと、そのまま軽く目の前の男を避け、人々の合間をすり抜けながら少女の前にたどり着く。少女は囲まれる中でも、無表情だった。

 仙崎は彼女の腕ではなく、手を握り集団から抜ける。彼女は、予期していなかったのか、それともこの集団に辟易していたのか、目をぱちりと開く。

「もういいだろ」

 それだけ言い残すと、来た道を引き返し、近くのコンビニに逃げ込む。

店内は、過剰なほど冷やされており、流していた汗もすぐに引く。

「どうして?」

「それは、俺があそこから抜け出したことか? それとも、もうお前を治安機関に連れて行く気がなくなったことか?」

「ホノカのおかげなのね」

「……」

 仙崎は、所在のない視線で少女の体をみて、

「とりあえず、その足のけがを治療しないといけないだろ」

 少女の足の傷は、血が垂れて、脛に血の跡がつき、膝は、赤黒く変色していた。ひどくなっている。

(……何が、助け合いだ。誰もこいつの傷を、治療しようとしないじゃないか)

 仙崎は、棚から、消毒液を取ると、少女を連れてトイレに入る。

「何してるの?」

「見ればわかんだろ!」

「だって、これあなたのせいだし」

「あー、すまん。……悪かったよ」

「それで?」

「それでと言うのは?」

「わたしをどうするの?」

「どうしようもないよ。俺はもう、あいつの名前が出た以上、動くしかないじゃないか……」

「そう、ならいいわ。ホノカは『私のことなんて忘れているでしょうけど』っていていたけど」

「嘘だな。あいつは、もっと自信家だったよ」

「わたしはお姉ちゃんに似たのね」

 少女は、はにかむ。仙崎は足に消毒液をぶっかけておいた。

 その後、過剰な反撃が返ってきた後、丁寧に、膝に絆創膏を張るとトイレを出る。

「腹減ったな。何か買っていくか。お前は、来たこと……なさそうだな?」

 真剣に、雑誌コーナーを眺める少女を引っ張りながら、夜ご飯を決める。

 仙崎は、パンを数個買い、少女に謝罪の意味を込めて、いつもより奮発したアイスを買う。こいつに、その価値が分かるとも思わないが。だから、これは自己満足だ。

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