第六話 まっすぐ行って打ち砕く

「これよりガルド・ウェスタン対アカツキ・クロトの決闘を行います! 勝敗条件は──」


 円形状に建てられた校舎の中心にある広い校庭で、俺とガルドが対峙していた。

 ドーム状に魔法障壁が張られた特製決闘場。

 それぞれの思惑を胸に、立会人兼審判の学園長は遠巻きに観戦している生徒達や、教師陣にも聞こえるくらいの音量で声を張り上げる。


「審判は私、アーミラ・フレン、並びにミィナ・シルフィリアが承ります! これは立ち会いの下に成立した正式な決闘です! 第三者介入による不正、違反行為は認めません!」


 ……結構緊張するもんだな、こういうのって。

 さすがに武器無しで決闘するのはいかがなものか、という判断で与えられた両刃の片手剣を振り、調子を確かめながら吐息をこぼす。

 堅苦しい行事が苦手なのに、いまさら周囲の注目を浴びていることに気づいた。

 しかもこんな大々的にやるとは思っていなかったという考えもあって、開始前なのにまだ心の準備が出来ていない。

 あれだけ啖呵切っておいてこの体たらく。

 自分が情けなくなってきた。


「おい」


 一気に重くなった足腰を懸命に動かし、準備体操をしていると、ガルドがくぐもった声で話しかけてきた。

 ガルドは土属性の適性があり、魔力量も格段に多いそうだ。しかし今の姿は明らかに近接戦を想定し、特化させているように見える。

 全身を覆う重厚な装甲には継ぎ目が無く、肌を晒す部分はどこにも無い。

 くぐもっているのは顔まで隠す兜を着けているからだ。

 攻撃から身を守るための、防御に比重を傾けた全身鎧フルアーマー

 いかにも“冒険者らしい”防具を装備したガルドは両手を腰に当て、鎧により全長三メートルに達するのではないかと思わせるほどの巨体を堂々と見せつけていた。

 さらに地面には身の丈ほどの大剣──バスターソードという代物らしい──が突き刺さり、鈍い輝きを反射している。

 その身長差もさることながら、バスターソードが放つ威圧感もかなりのものだ。

 鎧をガシャガシャと鳴らし、こちらを見下ろしてくる巨漢を睨み返す。


「貴様、どうしてあの時あんな発言をした? 自分とは関係の無い話だろうに。なのに首を突っ込んで、あまつさえこうして決闘するなど」

「……気に食わなかっただけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」


 嘘は言っていない。


「なるほど……貴様は更生すべき人間のようだな」


 話が飛躍しすぎてる。

 どうしてそうなった。


「記憶が無いと書かれてはいたが、実力はどれほどのものなのだろうな?」

「教えるかよ」


 生意気な生徒を自分の力で制裁する様を浮かべ、口角を上げているのが容易に想像できる。

 口裏を合わせているのだが、ぶっきらぼうな応答になるのは仕方ない。

 先ほど簡易的ではあるが、魔力を行使した身体強化のやり方を教えられた俺は、今は忘れないように復習するので手一杯なのだ。


(魔法の使い方もスキルも何すればいいかわからないけど、とりあえず強化だけは練習練習……。えっと、内にある魔力を放出して全身に被せる感じ、だっけ?)


 自分にある未知の力を自覚する違和感はまだ残っているが、徐々に身体に馴染ませていく。

 そうこうしているうちに、決闘開始の時間が迫ってきた。

 いつの間にやら障壁の外には人だかりができていて、中にはデバイスを使用し録画を始めている生徒もいる。


「おいおい、【豪鎧剣武ヴァイス・デーモン】と張り合おうとするなんてどこのどいつだ?」

「ランキングには載ってないな。ってことは転入生?」

「でもそんな話聞かされてなかったよね、急に転入してくるなんて」

「なんで決闘するかわかんないけど、あの先生と戦う時点で腕か足を持ってかれるだろうな」

「いや待て、まさかのまさかで勝つかもしれない」

「「「「無い無い」」」」

「つかミィナ先生いるじゃん」

「学園長までいるぞ? 珍しいな、こんな時間に」

「よっしゃ、写真撮って売ろう。結構需要あるし」

「カメラこれでいいか?」

「いいぜ。あっ、レフ版が無いな……」

「ここにあるぞ!」

「「でかした!」」

「お前ら、俺を忘れるな! こっちには映像があるんだ。勝てるわけないだろ!」

「「「いいや、勝つね!」」」


 ……楽しそうだなぁ、お前ら。

 勝てたら拍手を贈ってくれ。

 あと写真と映像も。


「──武器を構えてください!」


 鋭い声が響く。

 声に従い右手に剣を持ち、左手を持ち手に添え切っ先を足もとに下ろすように構えた。

 ガルドは地面に立てていた大剣を片腕のみで担ぎ上げ、鎧で守られた肩に乗せる。

 相手は強敵だ、集中しないとやられる。

 覚悟を決めろ。

 為すべきことは目の前にある。

 恐怖に臆するな、受け止めろ。

 俺の眼は、その為にある。


「両者、名前を!!」

「ニルヴァーナ学園教師、ガルド・ウェスタン!」

「ニルヴァーナ学園特待生、アカツキ・クロト!」


 名乗りを上げろ。

 猛々しい咆哮で敵を穿て。

 さあ──、


「始めっ!」




「おおおおおおおおおおっ!」


 ガルドは担いだ大剣の持ち手を強く握り、鎧の重さをものともしない速度で接近してきた。

 雄叫びを上げて突進してくるが、俺は少しも動揺せずにその様子を見守る。

 棒立ちの俺に肉薄してきたガルドは速度を殺さず、圧倒的な膂力を用いて大剣を振り抜いた。


 ズガァッ!!


 地面を抉る轟音が、大地に亀裂をつくりながら




「ほぅ……避けたのか、あれを」

「え?」


 悲鳴と安堵が響く観客側。その中の一人、白衣を纏った教師がそんなことを口走る。

 横に並んでいたもう一人の若い教師は、その発言に思わず聞き返した。


「避けたって……あれはガルド先生がわざと外したのでは?」

「いやぁ、それはないべ」


 と、さらに横にいる麦わら帽子を被った恰幅の良い教師がそう言った。

 二人の意見に囲まれた若い教師は疑問符を浮かべる。


「あの生徒にはガルドの攻撃が見えて、いやと言った方がいいのか」

「どの角度からとかどんな速さだとか、そういうのが視えてるんだべ。だから少し身を引いただけで避けれたのさ」

「で、ではさっきの動きは偶然では無い……、と?」

「んだべな」


 証拠にほれ、と麦わら帽子の教師が指差す先には、ガルドの攻撃を全て紙一重で避け続ける生徒の姿があった。




「なかなか戦い慣れている動きだな!」

「それはどうも!」


 軽口を叩きながら激しい攻防を繰り広げる二人の間に、剣と剣の打ち合いは無い。

 地を断ち、空を切る斬撃が俺を障壁まで追い詰めていく。

 障壁に背中がぶつかり、逃げ道が少なくなっていることを知った時には、ガルドが眼前に迫っていた。

 大きく横薙ぎに振るわれた大剣を、ガルドの鎧に手を伸ばし跳び箱の要領で回避する。

 数瞬遅れて、背後から耳障りな衝突音が鳴った。


「避けるだけでは倒せはしないぞ!」

「知ってるよ」


 背中側に着地し、すぐさま距離を取った俺に、ガルドが振り向きざまに叫ぶ。

 そう、俺は未だ攻撃の一手を見せていない。

 いや、正確に言えば見せる気などさらさら無いのだ。

 一度こちらの手の内を見せてしまえばガルドは対策を練るだろう。

 そうなってしまえば手の出しようが無くなる。

 今は攻勢に転じる場合ではない。

 相手の出方を観察しなければ、今の自分では勝てるものも勝てなくなってしまう。

 地面を踏み締め、身体強化の恩恵を身体で感じながら、恐ろしく手に馴染む柄に力を込める。


(でも、そろそろいいか。……魔力こいつの使い方も、少しわかってきた)


 慣れてきた体にコツを掴んだばかりの魔力操作を行い、全身に回していた魔力を右手に集中させる。

 眼と足は動きに追いついている。

 なら次は攻撃に繋げていこう。

 幸いこの剣は軽く、握りやすく、振りやすい。

 ……一発、スピード勝負だ。


「ふっ!」


 猛進してくるガルドを正面に、走り出す。

 今までとは違う行動をとった俺にガルドは目に見えて驚いたが、すぐに取り払って袈裟懸けに大剣を振り上げた。

 しかし、暴風を生み出す大剣は、誰もいない空間を無様に切り裂き、振り抜いたまま停止する。

 だが、そこに俺の姿は無い。

 ガルドは首を回し、探し出そうとした寸前。


「──ここだ」

「!」


 氷より冷たく、射抜くような視線と声音。

 それを振り抜いた大剣の上から浴びせる。

 直後に空気が揺らぎ、次いで高鳴りを生じた音が反響した。




「おい……マジかよ」


 これはまずい、非常にまずい。

 無残に宙を舞った刀身が風を切り、地面に刺さる。

 鉄の欠片が陽光を受けて煌めき、空間を泳いだ。

 素直に言えば、折れた。剣が。

 観客にどよめきが走る中、俺の持つひとつの攻撃手段がこうして失われた。

 調子にのってカッコつけてこうやったらダメージ通るんじゃね? などと考えてやった結果がこれである。


「……っ」


 すぐさまガルドの頭を蹴り抜き、距離をとる。

 魔力で強化されているため普段の蹴りとは比べものにならないほど強いはずだが、ガルドはのけぞる様子も見せない。

 ……おかしいな、普通なら兜くらい取れてもいいと思うんだけど、どうなってんのあれ?

 なるべく弱点らしき部分に剣を振ったのに、悪手でしかなかった。

 少しの間とはいえ、扱いやすくて気に入っていた剣は右手に柄だけを残し、その刀身を地面に突き立てている。

 そして俺に残された攻撃手段は素手へ。

 均衡を保っていた立場が、劣勢へと落ちた。


「ふはははははははははっ! 滑稽だな……、そんな市販されているような剣で、この鎧を切り裂こうなど片腹痛い!!」


 残念な事に、相棒は市販物だったようだ。

 だからといって壊れたのは仕方ないと言いたくはない。

 正直もう少し頑丈だったら、ずっと使っていたいと思うほど、俺はあの剣を気に入っていた。

 だから余裕綽々といった様子で自分を睨みつけ、嘲る声で話すガルドに憤りを感じて、冷たく睨み返す。


(特別な能力でも付いてるのか? あの鎧。物理攻撃に異常なまでに頑丈で、魔法攻撃には非常に弱いとかか?)


 意地汚く笑うガルドを注意深く観察し、冷静な分析を重ねて出来た『勝てる可能性』の仮説を立てる。

 立てた上で、魔法を使えたら……というのが浮かんだ。

 しかし残念な事に、魔法の使い方などわからない。

 使えたとしても属性が特殊なので、どんな能力か見当もつかないのだ

 唐突に、何が出来るかを理解するようになるらしいが、そんな都合良く使えるようになるのだろうか。

 握り締めた柄をポケットに押し込み、手ぶらになった両手で節を鳴らす。

 余裕である風に見せようとしているが、多すぎる不確定要素で生まれた不安を紛らわせようとしているだけだ。


「戦う意思がある、か……。ならばまだ続けようじゃないか。さぁ、どうするのだ?」


 微妙に笑いを含んだ煽りが気を荒立たせるが、あえて無視する。

 普通ならここで諦めて、降参するのが筋だろう。

 だが、降参するのは癪にさわる。

 一発、本気で殴らないと気が済まない。奥歯を噛み締め、拳を強く握る。

 格闘戦に持ち込んで……いや、あの鎧を殴る? 確実に腕が折れるだろ。

 そもそも近寄ったら、大剣でバッサリ斬られちまう。

 …………あっれ、よくよく考えたら俺、この戦い詰んでないか?


「来ないなら……」


 やばいやばいやばい! ガルドがなんかしようとしてる!


「こちらからいくぞおおおおおおおおおおッ!!」

「っ!」


 叫びと共に、ガルドは間合いを瞬時に詰めてきた。

 上段で構えられた大剣が振り下ろされ、咄嗟とっさに腕を前に構えて真後ろに飛んだ。

 数瞬遅れて、地を割る衝撃が空気を伝わり、真正面から衝突した。


「ぐっ、づぅ……!」


 強化されていても痛みは変わらず、飛び散った土の破片の一部が右腕に深く突き刺さる。

 打撃とは違う。鋭い刃物で切られるよりも鈍く、粗く裂かれる激痛に苦悶の声を上げる。

 地面を転がり、障壁に背中からぶつかり、地面に倒れ込む。なんとか態勢を立て直そうとするが、体がまともに動かない。


「っ!」


 なんとか右腕を押さえ膝立ちになるも、痛みが腕から全身を支配して立ち上がることが出来ない。

 赤く、点々と。流れ出した血液が地を染めていく。

 呼吸が早まり心臓が張り裂けそうになる。

 焦りと疲れが押し寄せ、汗が滲み出してきた。


(なんで、どうして動かない!?)


 気がつけばそのまま地面に手をつき、熱を持った体を丸めるように項垂れていた。

 意思とは関係なく倒れこもうとする体を支えるのに精一杯で、他の事に意識が向かわない。

 全身を巡る魔力が失われていくのがわかる。

 虚脱感に見舞われる視界がぼやけ、激しい頭痛が脳を叩く。


(血を流しすぎた? ……違う、これはあの時と同じ……!)


 がしゃり、がしゃり、と。絶望が鎧を揺らして近寄ってきた。

 肩に大剣を乗せており、余裕の態度を崩さない。

 間違いなく、この場においての強者。


「ふんっ、いい気味だな。貴様は地に這いつくばった姿が相応しい」

「……」

「その状態では戦いを続けることもままならないだろう。情けない……、やはり、貴様はこの学園に不要な存在なのだ」

「…………」


 形勢は不利だ、返す言葉も出ない。

 俯いた頭に声が反芻する。

 力を込めることが出来なくて、鈍い痛みが嘲笑するように響く。

 まるで今までの自分の在り方を、全て否定するかのように。

 なんでも出来る両親が頼もしくて、自分もそうなりたいという思いがあった。

 でも、現実はうまくいかない。

 血反吐を吐いた特訓。鉄の臭いが染みついた手は、時々赤く見えることがあった。

 人を不幸にしていた努力。目の前のことに夢中で、世間体なんて考えてもいなかった。

 大切な教えを説いてくれた、優しい人だったのに。俺はその人を不幸にしてしまった過去がある。






 だから、だからこそ。






「あの教師は生温い綺麗事しか並べないからな、それに踊らされてしまうからこんな羽目になるんだ」


 ──この発言は許容できなかった。


 その綺麗事を教えてくれた優しい人達を侮辱する。


 俺の逆鱗に触れる、この発言だけは。


「どうせ貴様と一緒で、単純な思考回路しか持っていないバカな」

「知ってるよ、そんなこと」

「……ああ?」


 ガルドの苛ついたような声が、身体の底にあった何かに触れた。

 俺は今、どんな表情をしているのだろうか。きっとひどい顔になってるに違いない。

 けど、これでいい。

 ようやく、抜けていたピースがはまったから。

 開くのも億劫おっくうだった口唇を震わせる。


「……知ってるんだ、そんなことは。どんな物事でも楽観視するくらいどうしようもない、周りに迷惑しかかけてないバカで。優しい言葉をかけてくれただけで、その人のことを知ったような気になるほど単純なヤツだよ、俺は。それは認める」


 だけど。


「綺麗事だろうと、誰かを救えるなら、俺は先生を支持したい。それだけの魅力が彼女にあると、バカでもわかった。……比べてあんたは何だ? あんたの人をさげすむだけの言葉なんか、まったく心に響かないよ」


 立ち上がる。いつの間にか頭痛は消えていた。

 無くなっていたはずの魔力が、右腕に集中しているのが分かる。


「ハッ! 口だけは達者だな。まあ、その口も開かなくなるんだがなッ!」


 とどめと言わんばかりに腰を捻り、脇に構えた大剣を下段から斬り上げようとする。

 超重量の鉄塊だ。

 この姿勢でくらってしまったら、間違いなく死んでしまうだろう。


「終わりだ!」


 視界の左。鈍い輝きを放ち、断ち切らんとする鋭い刃が迫り来る。

 凄まじい速さで薙ぎ払われたそれさえも捉える自分の眼を、ゆっくりと進む視界から逃れるように、敢えて閉じる。

 諦めたわけではない。

 ガルドのおかげというのは気に食わないが、俺は自分の中に湧き上がる力を感じていた。

 それを今、確かにこの手で掴んでいる。


(……決定打になり得る、かもしれない。でも、強化が解かれたのも納得できる。そうか、これが──)


 歓声の全てが悲鳴に変わる。

 集中だ。この瞬間において視界の情報はいらない。頼り切ってはダメだ。

 音の変化に全神経を尖らせろ。雑音はすべて取り払え。

 必要なのは、一点に

 そして力を払う、反転の動き。

 風を切る音が聴覚を刺し、頬を少し切り裂く。

 熱感が疾ると同時に、体に馴染んだ動きを忠実に再現し、右腕を動かした。






 瞬間。






 甲高い金属音が鳴り響き、ガルドの持つ大剣は空高く打ち上げられた。

 重力を忘れたように舞い飛び、ざくりと地面に刺さったそれは、刀身の中心から徐々に亀裂が生まれ、やがて完全に折れた。

 予測していなかった事態に、ガルドは狼狽し、退く。

 悲鳴が止み、静寂が包む決闘場で呟く。


「暁流練武術初級──“天流あまながし”」


 相手の力を余す事なく利用し、斬線の軌道にある武器の軸に衝撃を返すことで破壊する技。

 その詳細を知る者は俺しかいないが、今はどうでもいい。


「な、何故、剣を持っている……!?」


 ガルドが困惑するのも無理はないだろう。


「……んなのわかりきってるだろ」


 ガルドの震えた声音を切り捨て、右腕に刺さった破片を引き抜く。

 痛みをこらえながらも、自らの血で生成されたあかき剣を向け、


「これが俺の──魔法なんだよ」


 一息に、そう言った。




 いてぇ……、腕がいてぇ。やっと魔法の使い方がわかったのに、勢いつけるために破片を抜いちまった。


「魔法だと……? 主副文詠唱も単文詠唱も、魔法名すら聞こえなかったぞ……」


 調子に乗ったせいで、おびただしい量の血液があふれて、辺り一面に血溜まりができるという、人間的に終わってそうな状況を作り出してしまった。

 このままじゃ出血多量で気絶してしまう。

 今の俺にとって、それだけは避けたい。

 ……待てよ? そうか、流れてる血も使えばいいのか。


「まさか……無詠唱魔法か!?」


 未だ流れ続ける血液に、魔力を込める。

 するとその血はまるで生きているかのように螺旋を描き、構えていた剣に吸い尽くされていく。

 渡された片手剣と同じくらいの長さだった血の剣は、想像に描いた長剣へと変貌した。

 ずしりとした重みを手のひらでくるりと回し、肩に乗せて支える。


(グロいけど便利だな、これ。剣が血管の役割にもなってるとは。……えっ? それ大丈夫なのか? 壊れたら確実に死ぬんじゃね?)

「特殊属性だとは聞いていたが、まさか血を操るとはな……」


 右腕の裂傷までを覆ったため、籠手のような形となった腕は禍々しく、心臓の悪い人には見せられないような造形をしている。

 俺本人がそう思っているのだから、これは相当なものだ。


(なんにせよ、これで倒れることはなくなるな)


 まるで生きているかのように脈動を続ける血の武器に横目をずらし、残り少ない魔力を使用し強化を施す。

 すぐに強化が切れてしまうだろうが、踏ん切りがついていた記憶を無理矢理、しかもピンポイントで思い出させてくれたガルドをぶちのめすには十分だ。

 殺気に怯えているのか、それともこの魔法を見て驚いているのか。

 ガルドは怖気づいていた様子で呟く。


「お前は一体、何者なんだ……?」

「さっきからうるせぇよ!」


 湧き出す高揚感から語気の荒い、短い返答を返し、走り出す。

 姿勢を低くして疾走する弾丸はガルドに肉薄し、中途半端に構えられていた両腕をすり抜けて胸板に潜り込む。

 両手で持った長剣を一閃。

 袈裟懸けに斬られた鎧は、バターのように断ち切られた。

 抵抗もなく切断された装甲は崩れる様子を見せないが、長剣が鎧以上の頑丈さを持っていることは理解できる。


「ぐっ、この……!」


 真上から振り下ろされた拳に反応した体を捻り、長剣を背中に背負うように構え、刀身を滑らせるように当てて逸らす。

 圧倒的な破壊力を持つ拳は地面へ落とされ、決して小さくはないくぼみをつくり、衝撃を起こす。

 しかし拳が落ちる寸前に掻き消えた俺をガルドは認識することができず、まったく手応えを感じない拳を引き戻す前に辺りを見渡していた。


「またか! どこに……」

「──その反応、二度目だな」

「がぁっ!?」


 視線をめぐらせるガルドの背後に移動し、目にも止まらない連撃を浴びせる。

 右から左から。上から下から。

 手首の動きを最低限に抑えた斬撃で、細かく装甲を削りとる。


「このっ、調子にのるなぁ!」


 背後へ振られた裏拳を止めるため、背中を蹴り飛ばして姿勢を崩す。

 飛距離を稼ぎつつ着地し、よろめいたガルドに再度距離を詰めようと……。

 したところで、体勢を立て直したガルドの拳に、変化があったことに目を細める。

 その手のひらから茶色の粒子が発生しており、思わず立ち止まって見入ってしまうほどの、幻想的な粒子の流れが目視できた。

 俺が感嘆の声を上げてしまったころには、もう何をされるかの見当はついていたが、どんなものか見てみたいという欲求に負けてしまった。


「“恵みの大地よ 我が手腕となれ”《アース・ネイル》!」


 ガルドの周囲の魔素が手のひらに集約し、光の玉となったそれは俺の足下に放たれた。

 一瞬の閃光と共に円形の魔法陣のようなものが描かれ、五本の土柱がせり上がる。


「潰れろぉぉおおおおッ!」


 ガルドの手の動きを模倣する巨大な手が握り潰そうとする。




(もらった!)


 そう確信して、俺は鎧の中で口角を吊り上げた。

 もはやあの時点で避けることは不可能だ。

 防御したところで無事ではすまない。

 ……しかし、気づいてしまった。

 こちらを見つめるヤツの顔が、不気味に微笑んでいたことに。


「本当は使い方が違うんだけど……。まあ、いいか」


 暗くなっていく視界の中で、ヤツは長剣を構え直した。

 一瞬。ヤツを包みこもうとしていた地爪に線が煌めく。


「暁流練武術中級──“乱れ流星”」


 夜空を彩る無数の星々を連想させた点線が散らばり、五本の土柱はあっという間に瓦礫へと変貌し、あいつが現れる。

 何回剣を振るったのかもどんな攻撃をしたのかも見えなかったが、少なくとも中級魔法を、ただの剣技で相殺するほどの技量を持った人間だということを思い知らされていた。


「ぶっ飛べぇ!」

「っ!?」


 そして正面の視界に入れていたはずのあいつが、目下にいるとわかった瞬間、視界と体の天地が逆転していた。


「ごああああああああッ!?」


 打ち上げられた。そう気づいたのは頭から落下し始めていた時だ。

 金属の塊である鎧と相当の重量を持つ俺を垂直に、しかも障壁まであと数センチのところまであいつは弾き上げた。

 並大抵の力で可能なことではないのに、あいつは易々と、それを成し遂げた。


「宵闇の星空に幾閃の流星を──暁流練武術上級──“流閃るせん軌跡きせき”!」

「なぁ!?」


 そして俺と同じ高さまで障壁を利用して跳ね飛んだヤツは、自由の利かない空中であっても驚異的な速さで剣を振るう。

 真上から流れるような連閃が降り注がれ、火花が散ったかと思えば俺の鎧が散り散りに切断された。

 細切れにされた鎧が霧散し、生身の肉体が大気に晒される。

 不快な浮遊感からどうにか着地姿勢をとろうとするが、ヤツは俺を足場にして、地面へと思いきりり飛ばした。


「がっ……!」


 背中をしたたかに打ちつけ、呼吸ができず、その場でのたうちまわった。

 しかし、落下してきたクロトに両腕を踏みつけられ、止められる。

 おそるおそる見上げたヤツの顔は、笑ってはいた。

 だが本能的な恐怖を駆り立てるほどに、それは意思のこもっていない、冷たい笑顔。

 右手に握られていた長剣は、いつの間にか巨大な拳へと変化している。

 それで何をされるかなどわかりきっていた。

 だが俺は慌てた様子で首を振り、懇願する。


「ま、待て! 悪かった、私が悪かった! だからやめてくれ! これ以上は──」

「なるほど、確かに、感動的な逃れ方だな」


 達観した表情で見下ろし、納得したように首をひねる。

 その言葉にホッとして胸を撫で下ろし、起き上がろうとしたところで。


「──だが無意味だ」

「げふぅ!?」


 馬乗りになったクロトが拳を振り下ろした。


「ふん、ふんっ、ふん! ふんッ!」

「ぶ、やめっ、たの! ごば!?」


 右、左、右、左。

 規則正しく、時に荒々しく拳を振り続けられた。

 巨大な右拳が頬を打ち、首を捻じ曲げ、左拳は顔の嫌な部分を的確に狙い打ってくる。

 避けようにも、この距離では、こいつが攻撃を外すことはない。

 しかもご丁寧に、腕に力が入らないように足を絡めているから、暴れまわるという反撃も不可能だ。


「うおおおおおっ! すげぇ!」

「これいけるんじゃない!?」

「勝てる! これは勝てるぞ!」

「おいやべーって! 生放送の視聴者数が四万人を超えたぞ!」

「「「マジ!?」」」

「激写するしかねぇ……明日の朝刊はいただいたぜ!」

「ざっけんな、俺らが先だ!」

「甘いな、俺は既にこの場で新聞を書いているんだよ!」

「「奪えっ! 根こそぎ奪い取れぇ!」」

「お前ら卑怯だろ!?」

「いいわね、面白くなってきたわ! この展開を私は待っていたのよ!」

「フレン、後でお話ししましょうね?」

「えっ」


 周囲の観客の声はいつの間にかこいつの応援に変わっており、一方的な暴力が後押しされているという不思議な状況になっていた。


「ふはははははははっ!  一方的に打たれる痛さと怖さを思い知らせてやるよぉ!!」

「げぼぉ!?」


 鬼だこいつ。

 速度と重量が増えた暴力の嵐に襲われ、血を飛び散らさせ、真っ赤なトマトのように赤く染まっているであろう顔面が揺れる。


「そぉいッ!」


 そこに、振り絞った右ストレートが眉間に決まる。

 とどめの一撃は深く、骨の芯まで響くほどの力を持っていた。

 今までこうして意識を保っていられたのが幸運だと言わんばかりの、慈悲もなく容赦もない一撃。

 もはや朦朧としていて夢か現実かの区別さえもつかない意識を手放そうとした俺は、ふと体の上に乗っていた重みがなくなっていることに気づいた。

 不審に思い、今度こそ体を起こそうとする。


「おまけにぃ──」


 が、それは地獄の釜に片足を踏み入れてしまったという事実に過ぎなかった。

 腰を引いた形で死神の声がする方向を見た時には、もう手遅れで、その挙動から察する逃れようもない未来が容易に想像できる。

 こんな時に限って時の流れが遅くなり、足を後ろに振り上げた死神の姿が瞳に映り込む。

 喉奥で引きつった悲鳴が鳴るが、それは誰にも聞こえることはなかった。


「──もう一発ぅ!」


 ぐりん、と。上半身から下半身まで、残りわずかな力を余すことなく込めた動きが。




 全力で。




 手加減もなく。




 狙い違わず。




 ──男の尊厳を、見事に打ち抜いた。





「──」

『うわぁ……』

『……』

「……さすがにそこまで求めてなかった」

「はぅ……」


 ガルドは限界まで目を見開き、声にならない悲鳴をあげる。

 この光景を見ていた大多数の男子生徒及び男性教師が内股になり、どう反応すればいいか困っている女子生徒及び女性教師はとりあえず目を逸らした。

 俺の行動は予想外だったのか学園長も困り顔で、隣に立っていた先生は、情報が処理しきれず倒れかけている。


「審判、ガルド先生が白目で泡吹いて倒れてるんだけど、これ俺の勝ち?」


 俺は赫い拳を形成していた血液を体内に戻し、腕を組んで試合を傍観していた学園長に振り返る。

 足下には戦意喪失どころか尊厳喪失しているガルドが転がっていて、尻を突き上げて倒れるというなんとも無様な格好になっていた。


「……あっ、そうね、うん。──勝者、アカツキ・クロト!」


 水を打ったように静まり返った昼下がりに、学園長は勝者の名前を叫ぶ。

 数秒の静寂の後、申し訳程度の歓声が響き渡った。

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