第7話

「お帰りなさい、明日美さん」


 ひめくりが玄関まで走ってきて、明日美を出迎える。腕には明日美の作ったフェルトのネズミを、大事そうに抱えている。明日美は肩をわななかせた。


「この、役立たず!」


 鞄を床に叩きつけ、怒鳴どなる。ひめくりが身をすくませた。


「あんたといても、ちっとも私は幸せになれないじゃない! 本当に、本当にあんたが神様だって云うのなら、今すぐ私を幸せにしてよ!」


 反響しない叫びは、たちまち沈黙のくらくちに呑み込まれた。明日美は両手で顔を覆って、爪を皮膚に食い込ませた。興奮が収まって、そろそろと顔から手をどけると、ひめくりの姿はネズミと共に消えていた。


 次の青空市に、明日美は一人で出かけた。ジェラート屋の行列を横目で通り過ぎると、隣りの山野草を売る店に、何故なぜかあの男がすわっていた。


「本当は返品を受けつけたくないんだが、仕方がないな」


 青と黒の市松模様の着物を着た男は、明日美に微笑んで云った。莫迦ばかにされているみたいで、明日美は男をにらんだ。


「何が神様ですか。嘘をついて商売して良いんですか」


 男は悠然と腕を組んだ。「君が思うほど、神は阿漕あこぎじゃない」


 しかしあれほど必死になって願っても、結局はこのざまだ。明日美は唇を噛みしめた。どうして他のみんなが手に入れられる幸せが、自分にだけ手に入らないのだろう。


「必死になって願っても……か」


 男の目つきに冷ややかなものが混じる。


「だがその初詣で、君は賽銭箱に百円しか入れていない。必死に願ったと云うわりには、たった百円ぽっちじゃないか。つまり自分を幸せにする為に、君は百円しか払いたくないってことだ。百円分の本気しか無いってことだ。だったら百円分の幸せで、十分なんじゃないか」


 たもとからぽち袋を出して、明日美に差し出す。


「……何ですか、」


「返金だ。ひめくりが持ち帰ってきてしまったネズミの代金も兼ねてな。それで新しい幸せでも願ったら良い」


 ぽち袋の中には、百円玉が入っていた。やたら綺麗に磨かれたその百円玉を、明日美はじっと見下ろす。


「あのネズミのぬいぐるみを、ひめはずいぶん気に入ってな。毎晩、一緒に寝てるんだ。幸せな夢が見られるんだと」


 明日美が顔を上げると、もうそこに男はいなかった。明日美は百円玉を握りしめると、青空市を離れ、手芸店へと向かった。

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