第6話

 ひめくりが明日美の放った箸を、きちんと並べて皿の前に置いた。


「明日美さんの願う幸せって、どう云うものですか?」


「そうだね……。素敵な人が現れて、結婚する……とか、」


「それが明日美さんの幸せですか、」


 明日美は口をつぐんだ。そうだ、と、断言できないつっかかりが、あった。


 ひめくりは大きなひとみで明日美を見つめ、答えを待っている。明日美はひめくりの額を指で弾いた。


「ひめくりが役立たずだから、私はいつまでも幸せになれないんだよ」


「ご、ごめんなさい」


 ひめくりは首を縮めた。着物のたもとが破れているのに、明日美は気がついた。


「これ、どうしたの?」


「お部屋のお片づけをしようとして、引っ掛けてしまいました」


 失敗を恥じるように、ひめくりは袂をぎゅっと掴む。少しでも、明日美の役に立とうとしたのだろう。


「縫ってあげる」


 明日美は押し入れから裁縫箱を取ってきて、すわり直した。ふたを開くと、以前作ったフェルトのマスコットが出てきた。全部捨ててしまったと思っていたのに、まだ残っていたのかと、明日美は目を見張った。長らく裁縫をしていなかったので、判らなかった。


「わあ、可愛いです。明日美さんが作ったんですか?」


 ひめくりがフェルトのネズミを両手で持ち上げる。


「そんなの、全然大したものじゃないよ。子どもでも作れるくらい簡単だもの。それに……安っぽいし」


「そうですか。この昔からのお友達みたいな、やさしい表情……。とっても素敵です。ひめはこのねずみさんが大好きです。見ていると、お月様みたいにまんまるな気持ちになります」


 ひめくりは愛おしげにマスコットを抱きしめた。明日美は硬くなっていた心臓を、やさしくつつかれたようだった。


 明くる日、明日美は仕事の帰りに手芸店に立ち寄った。フェルト売り場を眺めていると、着信音が鳴って、梨花からメールが届いた。結婚の報告だった。明日美は顫える手で、持っていたフェルトを棚に返した。そのまま何も買わずに店を出る。


 彼女だけは自分と同じで、まだそんな縁とは程遠いのだと、勝手に思い込んでいた。けれども知らない間に、彼女は自分よりもずっと先を歩いていたのだ。とうとう一人だけ取り残されてしまった。ぬかるみに、頭の先までゆっくりと沈んでいく感じがした。

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