第5話

 そうして明日美とひめくりの日々は始まった。たしかに何をしてくれる訳ではないけれど、誰かが家で待っていてくれると云うのは、少し嬉しい。


「おいしいです。明日美さん、すごいです。ひめはこのお料理、大好きです」


 明日美の作る簡単で色気の無い料理を、ひめくりは顔中にソースをつけて大絶賛する。


「ただの焼きそばだよ。手間も全然かかってないし」


「でも、あんな短かい時間でこんなにおいしいご飯が作れるなんて、すごいです。明日美さんはお料理の達人ですね」


 これくらいのことで得意になってはいけないと思いつつ、明日美は口元が緩んでしまう。こんな風にひめくりは、まるで大したことのない事柄でも、明日美をたっぷりと褒めてくれる。そこに明日美に気に入られたいなどと云う下心は、微塵も感じられない。大きなひとみをおしみなく輝かせて、純粋に感激しているのだった。


 朝の支度したくが終わっても、


「明日美さん、そのお洋服とっても似合ってます」


 店員に勧められて買ってはみたものの、どうも自分には似合わないと思っていたスカートだった。


「そうかな、」


「はい。明日美さんは背が高くて、柳の木みたいにほっそりしていますから、スカートのこう……揺れる感じが、とても綺麗に見えますね」


 ひめくりは手を左右に振って、スカートの揺れを表現してみせる。酷く真面目まじめな顔つきでやるので、明日美は吹き出してしまった。


 毎晩のように仕事の愚痴ぐちをこぼしても、ひめくりはちっともいやがらず、誠実に耳を傾けてくれる。


「それでね、どうしても急いでるって云うから、こっちもかなり無理して引き受けたのに、感謝の言葉の一つも無いの。今日だけじゃなくて、いつもそう。何だかむなしくなるよ」


 ひめくりはテーブルの上で正座をして、


「明日美さんは、毎日頑張っているんですね」


 明日美は口につけた缶ビールを、傾けることなくテーブルに戻した。


「……別に、頑張ってなんかいないよ。こっちだって仕事に対する情熱なんかないし。何年経っても職場に愛着が湧かないし。ただ生活していかなくちゃいけないから、働いているだけで」


 紅生姜べにしょうがの効いた野菜炒めを、箸でかき混ぜる。


「いつまでこんな生活なんだろう。美しい明日って書いて、明日美でしょう、私。でも、そんな明日が、本当に来るのかな」


 箸をテーブルに放り出し、天井を仰いだ。「幸せになりたいなあ……」

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