番外編 陽だまりの中で 前編

「ん……」


 秋から冬に移り変わる頃、美雨は一段と冷え込みを感じて、悪樓の布団の中で縮こまった。

 美雨の体を気遣い、夫婦の営みは月に一度と決めている。神と交わる度に美雨の寿命を削る恐れがあるからだ。

 だから、昨晩のように寒い日などはただ暖を取るだけにとどめ、二人で一組の布団に潜り込み、お互いの体温を確かめ合うように抱き合って眠ることが多かった。もちろん、寒さに限らず彼を求めて、布団の中に入り込むことも度々あるが。

 悪樓の高貴な香りや、少し冷たい肌の感触が心地よく、美雨はいつも幸せな気持ちのまま深い眠りにつけた。愛してる人の側は、どうしてこんなに心地が良いのだろう。

 美雨はもぞもぞと布団の中で、悪樓の胸板に額をくっつける。僅かに、クスリと笑う悪樓の声が聞えた。

 

「美雨」

「ん……。ふわぁ……悪樓さん、おはようございます」

「おはよう。あいかわらず私の嫁御寮は、朝が弱いな」

「うぅん…だって、昨日は悪樓さんと小説の話題でついつい盛り上がっちゃって、寝るのが遅くなったから」


 悪樓に優しく名前を呼ばれ、美雨はようやく瞳を開けた。頬杖をつきながら自分の寝顔をまじまじと見ていた悪樓と目が合うと、美雨はほんのりと頬を染める。

 間近で見る、悪樓の優しい表情はとても心臓に悪く、夫婦になった今でもまだ慣れない。


「そうだな、私が悪い。美雨の考察が楽しくてついつい話し込んでしまった。貴女も私も愛読書が一緒なのだから、夜通し語れてしまうので気をつけねばならぬ。寝不足は、貴女の体に悪い」


 そう言うと、悪樓は美雨の唇に優しく口付けた。美雨は思わず、はにかむように微笑む。

 悪樓はこの屋敷にある全ての読み物を熟読していて、題名を口にしただけでそれがどんな書物で、誰が書き、どんな内容だったかを全て覚えているようだった。

 美雨が一冊読むごとに、二人で感想を話し合う。お互いの考察や、好きなシーンを語り合うと、あっという間に時間は過ぎてしまった。

 悪樓と過ごす時間は、いくらあっても足りないくらいで、やりたいことは次々に出てくる。


「ううん……私がつい興奮しちゃって。悪樓さんを心配させないように、早く寝るようにしますね。あっ、そうだっ。今日は八重さんと妙子ちゃんにお断りして、朝ご飯を私が作ることにしたんだ」


 美雨は照れ隠しに、まるで今思い出したかのように昨日の約束を口に出すと、起き上がった。

 悪樓や美雨の身の回りの世話は、代々巫女の家系が行うようになっていて、今は八重と妙子がその役割をしている。けれど、昨日は二人に無理を言って、美雨が朝ご飯を作りたいと頼み込んだ。ことの発端は、外界で何が流行っていたかを悪樓に説明していて、話が広がったのだ。


「嗚呼、そのようなことを言っていたな。すくらんぶるえっぐなるものを作るのだろう?」

「悪樓さん、あの……昨日も言ったけど、そんなにたいした物じゃなくて。私が外界とうきょうに居た時に、朝ご飯のお伴に作ってた簡単なお料理なんです」

「美雨の手料理なら、なんでも良い。貴女が好きな料理ならば、私も一つくらい作れるようになっておかねばな」


 悪樓は、身の回りの世話という巫女の仕事を奪わない範囲でと付け加える。

 包丁も持ったことがなさそうな悪樓の宣言に、美雨はほんのりと頬を染めてクスクスと笑った。朝の身支度をし、髪を整えると美雨は台所に立つ。味噌汁の具は簡単なワカメとお豆腐で、米は鉄釜で焚く。

 そして彼女の背後に立った悪樓が、腕を組んで、着物の袖に両手を入れながら、スクランブルエッグが、どのように作られるかを見学するように立っていた。


「えっと……初めて来た時は小嶌にちゃんとバターがあるのに吃驚しました。かまどでパンを本格的に焼いてる人もいたし。スクランブルエッグにバターを使いますね。お味噌汁にご飯、ここにタコさんウインナーとか、サラダがあれば満点かなぁ」

「蛸さん……?」


 悪樓が不思議そうに首を傾げているのが、美雨には、可愛く思えた。彼の本棚にはタコさんウインナーや、スクランブルエッグが活躍するような作品は今の所ないのだろう。

 小嶌は基本的に海の幸を使った和食が多く、このお屋敷で出てくる食事もそれがメインだ。

 けれど、彼岸入りで流れ着いた人々が、洋食の文化も根付かせているようで、この島で採れる食材を使い、独自の発展を遂げている。それが美雨は面白く思えた。


「牛乳を大さじ一杯、塩コショウしてっと。卵をこうしてフライパンの上で端からヘラでかき混ぜるんです」

「ふむ……。私もやってみてもいいだろうか」

「どうぞ。うんっ……上手に出来てる。後は予熱でかき混ぜて下さい。ほら出来上がり! 簡単でしょう?」


 美雨は悪樓の大きな手を後ろから持つと、ぎこちない動きの彼を、補助するようにヘラを動かした。良い具合に卵が混ざり、それを悪樓が皿に盛付けた。

 二人はお互いに微笑み合うと、少しいつもと異なる朝食が始まる。

 悪樓は正座をし、初めて食べるスクランブルエッグに箸を伸ばす。美雨の方は妙に緊張しながらそれを見守っていた。


「あの、どうですか……? お口に合いませんか」

「いや。初めて口にするが、美味しい。そうか、貴女が食べていたあの黄色いものが『すくらんぶるえっぐ』なるものだったか。ならばあれが、蛸さんであるな」

「も、もしかして私が食べている様子も小嶌から見ていたんですか?」

「嗚呼。私の嫁御寮がどんな生活をしているのか気になってな。無論、貴女の肌を勝手に見るようなことはしていないよ」


 美雨は、悪樓が自分を見守っていたとは聞いていたが、寝惚けながら朝食を食べていた様子まで見られていたと思うと、途端に恥ずかしくなった。けれど喜ぶ悪樓を見ると、美雨は嬉しくなった。

 

「また、今度私の好きな料理作ってみますね」

「楽しみにしている」

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