第36話 禁忌⑤

 大抵たいていの場合、由依が男のプライドをくすぐるように寄り添うと、狙った男と親しくなれる。穂香のようにモデル並の美貌や、知的な会話はできなくても、顔も平均より上だ。

 積極的かつ、親しみやすくエロい年下の女を、好きになる男が多いという持論が、由依の中にはあった。悪樓は女に困らないだろう、端正な顔立ちをしているが、見た目からして自分より年上。

 都会育ちの洗練された、若くて可愛い女子に迫られて、嫌な男はいないだろうと由依は思い込んでいた。

 けれど、由依が明るく話し掛けても悪樓は全く表情を変えず、冷たい海の底のように他人を寄せ付けない雰囲気が漂っている。


「――――馴染めない? はて、お前の友人たちはこの島に馴染み、島民たちと仲良くやっているようだが。そのようなことは、私に聞くより、親しい友人に尋ねるほうが良かろう」

「人見知りしないで、積極的に知らない土地の人と、お話できるような子だったら良かったんだけど……。私、美雨と同じタイプなんです。誰かと仲良くなるのに時間が掛かっちゃうから……この島に来て、貴方に出逢ってから、美雨はなんか雰囲気が変わって」


 長身の悪樓を、由依は上目遣いで見る。

 もちろん美雨の雰囲気が変わったこと以外は、全て嘘だ。

 因習とやらで、顔の良い双子と遊んだのは楽しかったが、この島には可愛いアパレルもなければ好きなブランドもない。音楽を浴びられるようなクラブも存在していなかった。

 そして自分の好みの男と、誰とでも気軽に体の関係が持てるかと思えば、変わった行事の時以外はみんな秩序を守り、それぞれ仕事をして、遊び呆けることもない。

 ともかく、美雨にとっては退屈で刺激のない島だった。

 そんな中で悪樓はこの島の頂点に立つ高嶺の花で、手に入れる価値がある男だった。ここでもし、暮らすことになったら、一番金持ちで大きな屋敷を持ち、村人に尊敬され、遊んで贅沢ができる相手がいい。


「きっと、美雨が変われたのは、悪樓さんと出会えたからですよね。私も、悪樓さんと仲良くなりたいです」

「…………」

「私、美雨ができないようなことも、悪樓さんのためならできます」


 無言で自分を見下ろす悪樓に、由依は媚びるようにして、腕を絡ませると自慢の豊満な胸を押し当てた。今日は屋敷に置いてあった、使えそうな香水もつけている。子供じみた誘惑も、セックスを望む男には都合がいい。


「お前に、美雨と同じことはできぬ。私と運命を共にするほどの気概きがいはなかろう。体が疼くのならば、村の男に相手をして貰え。どの男の子供か分からぬとも、子は宝。村人全員で育てるだろうからな」

「なっ……。なんでみんな美雨ばっかり。あんな地味でどんくさい子のなにがいいわけ? 虐められたことがあるのか知らないけど、あの子なんにも考えないで、はいはい頷いとけば済むと思ってるから、イライラするの。他人の顔色ばっかり伺っちゃって、だから陽翔くんに言いように使われるんじゃない。馬鹿な子」


 いつもなら、心で思っていても口には出さない由依なのに、今日は本音が出た。

 穂香のみならず悪樓までもが美雨を大事に扱うことに、苛立ちを隠せない。この島の全員が、美雨をまるで姫君のように扱う。由依にとって美雨はキラキラ輝く生活の中で、自分を引き立てる脇役の一人だった。

 主人公として決して大きな舞台に立てないけれど、必要な子。

 だから、彼女が主人公のように周囲に扱われるのが許せなかった。穂香も悪樓も、キラキラした自分の人生にこそ、ふさわしい。

 不意に、悪樓は由依の腕を掴むと怒りを抑えるような声で言った。


「――――口を慎め。お前は美雨のことを何も知らぬだろう。私の嫁御寮を侮辱するな。お望み通り、この場でお前を犯してやっても構わんが、それでは美雨が悲しむ。私の身も心も美雨のものだ」

「い、痛いっ。なにすんの、本当に最低な島。こんな島、もうたくさん! 私を家に帰してよ」


 由依は悪樓の表情に恐怖を感じ、叫ぶようにして彼の腕を振り払った。悪樓はその言葉を聞くと、ふと腕を組み、妖艶に微笑む。

 いつのまにか空に暗雲が立ち込め、暗くなり嵐の前の静けさのように音がなくなると、あまりの不気味さに、由依は背中が寒くなった。


「そうか。せっかく助けてやったのに致し方あるまいな。それが願いならば、お前を外界に帰してやろう」

「え?」


 瞬きした瞬間、由依は一人用の木船の上で横になっていた。ほんの一瞬の出来事で、全く理解が追い付かない。今まで、彼の屋敷の近くで話をしていたはずなのに、いつの間にか海に出ている。

 船から起き上がると、辺りは霧に包まれていて人の気配はない。ただ静かな波が船を揺らして、海上をゆっくり進んでいく。


「誰か……! 誰かいないの?」


 広い海原で感じる孤独感。

 誰の返答もなく声は響き、木船は海をさまよう。

 もし、小型フェリーが海上で行方不明になったとしたら、海難事故にあったと思われて捜索されているはずだ。

 けれど散々探しても、船の残骸さえも見つからないのだから、沈没して死んだと思われたかもしれない。そして一体この船は、どこを目指して動いているのだろう。

 由依はふと、自分の異変に気付いて両手を見る。


「ああ、嘘……嘘よ……」


 由依の手は、みるみるうちに皺が刻まれる。あの島にいる間、どれだけの時間が流れていたのだろう。おとぎ話の浦島太郎のように、あの島から離れた瞬間に、閉じ込めていた時間を返されたのか。

 それとも、神罰のように最も大事にしていた若さを取られてしまったのか。

 由依はただ、呆然として遠くに見えてきた本土を、ぼんやりと見ていた。

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