第20話 小嶌神楽⑦
友人たちが世話になっているという屋敷は、島の中でもそれなりに大きく、立派な造りをしている。彼らの話によると、母屋が女子の部屋で、離れが男子の部屋になっているそうだ。
屋敷の中は少し古い家の匂いがしたが、掃除は綺麗に行き届いているようだし、家具や着物も揃っている。
このまま、ここで暮らしていけそうなほど生活の基盤は整っていた。それに加えて、島の住人たちは、若い自分たちを歓迎して世話を焼いてくれるという。
美雨たちが屋敷に戻ると、予想通り勝己がいつの間にか屋敷に帰っていて、ずいぶんと青ざめた顔をしていた。
様子のおかしい彼に話を聞くと、壊れていたと思っていた無線機に異常はなく、この島の周囲にはどこの国の船も通っておらず、本土とも繋がらない。それは無線に限らず、ラジオもどの周波数に合わせても、砂嵐のような音がなるだけでなんの情報も得ることができなかった。
さらに、辛うじて生きていた勝己のスマホは、島中のどこを歩き回っても、電波が届かず、完全に彼は諦めてしまったのだという。こうなると、もう彼らが頼れるのは島の住人だけだ。
しかし、勝己が頼み込んでも、この時期の海は荒れるので危険だと言って、誰一人船を出すことを了承してくれなかったのだという。
「はぁ〜〜。なんかもう私、ここに住んでも良いかなぁ。東京に帰ったってやることは同じだし。就活も面倒だもん。パパとママに会えないのは嫌だけど」
「あのねぇ、由依。ずっと遊んで暮らせる訳ないんだよ? あんた、畑仕事なんて地道なこと、一番苦手じゃない」
「その時は、この島で一番のお金持ちと結婚して、専業主婦になるもん。最悪、あのイケメンの双子のどちらかでもいいけど」
カナカナカナ、とひぐらしが鳴く声がする。夕方の縁側で穂香を中心にして、由依が左側で寝そべり投げやりに言うと、夕涼みの風に髪を靡かせていた美雨が、クスクスと笑った。
島を一通り探検し、勝己の話を聞くと各々複雑な表情をして、母屋と離れに戻ってしまった。あの話を聞いて絶望に打ちひしがれないのは、ここがどこか豊かで夢のように美しい淫靡な島だからだろうか。
由依は突然思いついたように起き上がって、そろそろ用意をしてくると言って席を立つと、縁側には美雨と穂香の二人きりになった。
穂香は、由依を見送ると風に髪を遊ばせる美雨を真剣な表情で見つめ、ようやく話を切り出す。
「ねぇ、美雨。この島なんか変だよ。なんとか悪樓さんにでも頼み込んで連絡とって貰えない? 私たちが無事だって家族に知らせなきゃ。船だって、向こうから出してくれるよ。じゃないと私たち本当に死んだことにされちゃう。本当なら今頃、私たち東京に帰ってたはずなのに。この島の人たちって、私たちをここから出さないようにしてるみたいじゃない。それに」
「それに……?」
美雨は、口籠る親友の顔を見つめた。何か言いたそうにしているが、しばらく言葉を選ぶようにして考え込むと沈黙する。
その反応を、不思議そうにしていた美雨だが、穂香の様子から見て、やはり昨日何かあったのだと確信した。
「どうしたの、穂香ちゃん。昨日何かあったの?」
「……ううん。あのね、私昨日……陽翔くんとエッチしちゃったんだ」
「そう、なんだ……。いきなり吃驚した。穂香ちゃん、陽翔くんと付き合ったんだね」
「そう、なるのかな」
突然、陽翔とセックスしたことを伝えられた美雨は驚いたように穂香を見た。彼女は、自分の心の内を探るような眼差しで、美雨の質問に対して、肯定も否定もしないような曖昧な笑みを浮かべて答えた。
穂香は、幼なじみに対する美雨の気持ちを薄々知っていたのだろうか。陽翔への気持ちは誰にも言ったことがなかった。彼は、中学でも高校でも女の子の人気が高く、美雨は注目をあびるようなことはしたくなかったので、無害な幼なじみを演じていたから。
そんなことは、今までおくびにも出さないようにしてきたつもりだが、親友ならほんの少しの変化でも気付かれてしまうのだろうか。だから、穂香はストレートにセックスの話を切り出したのか、と美雨は思った。
彼女の中に、何かしらこのまま先に進むことへの戸惑いのようなものを感じる。
親友への罪悪感なのか、自分が付き合うという牽制か、純粋に彼と付き合うことへの不安なのか、美雨は穂香の瞳を見つめた。たぶん、全部の感情が複雑に絡み合っているのだろうと思う。
(――――穂香ちゃん、このまま陽翔くんと付き合っても本当に良いの? って聞きたいのかな。でも……不思議だな。私全然ショックじゃない)
悪樓さんと出会ったからかな、と思うと美雨は頬が熱くなった。
陽翔からのラインで穂香との橋渡しをするように言われた時は、ズキズキと胸が傷んで、この旅行の前夜はあれだけ憂鬱だったのに。それなのに、今はそんなことも昔の話のように思える。
そう言えば、浜辺で会話を交わしたのを最後に、美雨と陽翔は一度も話していない。
彼は何か自分に対して怒っているようで、美雨は冷たくあしらわれているような気がしてならなかった。陽翔を怒らせると、何週間も無視されるのは当たり前だったから。
叱られるような理由なんてないはずなのに、妙に気まずく、今は陽翔と二人きりになる勇気はない。
「陽翔くん、高校の時から穂香ちゃんが気になってたみたいだよ。穂香ちゃん、私ね。不思議なんだけど、この島の景色が凄く懐かしくて安心するんだ。もしかして、子供の時にこの島に来たことがあるのかも。こういう田舎で、絵を描いて暮らすのも良いかなって思ってるんだ。それに、悪樓さんってとっても優しいの……。一緒に居て、全然緊張しないんだよ」
穂香から見た悪樓は、確かに目が覚めるような美形で、自分たちに屋敷を用意してくれるような気遣いのできる人だが、どこか冷たく緊張感があり、神仏のようで畏れ多く気軽に触れていいような人には思えなかった。
だが、数時間彼と過ごしただけなのに、美雨ははにかむようにして、嬉しそうに悪樓のことを話している。
「美雨、もしかして悪樓さんのことが好きになっちゃった?」
「えっ……。そ、それは……どうかな、分かんない」
美雨は、穂香に尋ねられると頬を染めて項垂れる。
共に寝起きし、何気ない会話をしていく中で悪樓に急速に心を惹かれているのは確か。この数時間で、何年も過ごしてきた信頼できる人のようにも思えるけれど、こんなに早くこの感情を『恋』と決めつけて呼んでいいのか分からない。
だけど、美雨はこの島を出て悪樓と二度と会えなくなったら、足場が崩れ落ちるような不安を感じる。
陽翔に感じていたものとは、明らかに異なっていて、美雨は自分の中で答え合わせができないでいた。穂香が言うように、通信手段もなくこの島の人たちはここに留まるようにやんわりと、遠回しに促しているのだろう。
それはもう、ここから出てはいけないという警告なのかもしれない。少なくとも美雨は、自分が、この島から出られないことを確信していた。
「ねぇ、美雨。あんまり恋愛のこと難しく考えないでいいんじゃないかな。だけどこの島は普通じゃないし、美雨も警戒だけはしておいて」
「うん」
会話が一段落した所で、髪をアップにして化粧直しをした由依が縁側に戻ってくる。夕日が沈み始めていた。
そろそろ、小嶌神楽が始まる時間だ。
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