第19話 小嶌神楽⑥

 それから、美雨は悪樓に小嶌神楽が始まるまで、自由に友人たちと過ごすようにと言われた。

 結局、その言葉に甘えて色々と悪樓が買ってくれたので、美雨は申し訳なく思いつつ若い店主も、悪樓からはお金は取れないと言って恐縮している様子だったので、何かしら彼にもお礼をしなければと、考えていた。

 水飴を持った女子組を先頭に、駄菓子とラムネの瓶を持った男子組は後方で、互いに距離を取りながら、島の中をブラブラと見て回ることにする。

 真秀場村の住人は大人も子供も、仕事の手を止めてまで、美雨たちに挨拶をしてくれるので、偉い人になったような気分になる。


「今日はみんな、早めに仕事を終えて神楽の準備にかかるんだって。私たちも良くして貰ってるし、何かお手伝いできたらいいのに」

「美雨、それもいいけど……話したいことがあるの」

「え、う、うん? 穂香ちゃん、急に改まってどうしたの」


 美雨がのんびりと村の人たちに挨拶をしていると、穂香に腕を掴まれ、神妙な面持ちで耳打ちをされた。

 再会した時から、昨晩穂香の身に何かあったように感じた美雨は、戸惑いつつも頷いた。

 とはいえ、この島は海や神社があるだけで、都会育ちの大学生が楽しめるような娯楽施設や、カフェなどがある訳でもない。結局小嶌神楽の時間まで、あの屋敷で暇を潰そうという話になった。

 そう言えば、大地から勝己が小型フェリーの無線を修理すると言って、浜辺に向かったと聞いていたが、浜辺に彼の姿はなく、すれ違いもしなかった。


(ひと足早く、屋敷に戻っているのかな?)


 美雨がそう思っていると、突然由依に服の裾を掴まれる。


「ねね、美雨。悪樓さんってどんな感じなの? なんか、影があるイケメンって感じで格好いいよねぇ。お金持ちだし、太っ腹だし。あの人って、何歳?」

「えっ、何歳だろう。喋り方とか古風な感じだけど、私より少し上くらいなのかなぁ。不思議な感じだけど、とっても優しい人だよ」


 美雨を挟むようにして、左側を歩いていた由依は、猫の飴細工を舐めながらしきりに悪樓のことを聞いてきた。

 悪樓に興味があるのだろうか、と思うとなぜか美雨は不安で心が落ち着かない。けれど、思えば彼が何歳であるかや、兄弟や家族の基本的な情報も聞けていなかった。

 由依は、新しい獲物を見つけた猫のように目を輝かせているし、この島に来てから以前よりも、開放的になっているような気がする。もし由依が悪樓に迫ったら、と思うとチクチクと胸が痛む。

 はしゃぐ女子たちを後ろで見ながら、大地がラムネを飲み干した。


「樹、由依ちゃんとあれから話してねぇな。直球で聞くけど、お前は振られたん?」

「まともに話せてないんだよ。なんかちょっと、この島に着いてから彼女の性格についていけなくて。僕はもう無理かも。お前はどうなの?」

「いやぁ」


 大地は思わず口籠った。

 朝方、村長の若妻である沙奈恵が朝食を作りに来た時のこと。昨晩の因習の影響なのか、こともあろうに村長の妻である沙奈恵を口説いてしまった。

 だが、大地の予想に反して沙奈恵にやんわりと断られてしまう。


『あら、いけないわ大地さん。あれはお祭りの時にしか許されないのよ。私たちは新しいマレビトの種が必要だから……ふふ』

『マレビトの……種?』

『そう、血が濃くなり過ぎないようにね。貴方もここに慣れれば、良く分かるわ』


 どうやらそれが、この島のしきたりであるらしい。しきたりを破って既婚者と不倫関係に陥るのは、許されないことなのだろうか。それにしても、沙奈恵は妙な言い回しをするな、と大地は思った。

 大地は魅惑的な人妻の肉体は忘れられず、美雨への気持ちも宙ぶらりんのままである。それに加えて、横から美雨を攫うように、あの端正な島の網元が現れたのだから、意気消沈していた。

 大地は溜息をつき、珍しく静かに黙ったままでいる陽翔に目をやる。すると彼は、じっと幼なじみの美雨の背中を目で追い掛けているようだった。


「陽翔は、穂香ちゃんと上手く行きそうか? お前さ、あの後穂香ちゃんに隠れて島の可愛い子口説いて、消えてったろ」

「ああ、まぁ。穂香ちゃんとは相性もいい感じだし問題ない。それよかさ、美雨の扱いおかしくね? さっきからこの島の人たち、あいつに一番最初に頭を下げてるし、一人だけ様付けだろ。嫁御寮って、どういう意味なんだよ」

「さぁ? 分かんねぇけど。そういや、古典とか、伝承とかに叔父さんがちょっと詳しかったような気がする」

「ふーん。お前の叔父さんってそういうの詳しいんだ。ともかく俺は、あの悪樓ってやつが信用できない」


 この島に来てから、不思議なことばかりだが美雨は明らかに、大地から見ても島民たちから一線を引かれ、敬われているように思えた。そして幼なじみの美雨に対して、こんなにピリピリしている陽翔を見るのは初めてである。

 

「まぁまぁ。ここで一生過ごす訳じゃないんだし。今夜の小嶌神楽が、この島の最後の思い出になるかもしれないだろ。楽しもう」


 取り繕うような樹の言葉に、大地は頷いた。けれど漠然と、もうこの島から出られないような気がしている。

 ここは食事も空気も美味い。

 そして魅惑的な沙奈恵に、親切な人々がいる。まだ、ここに来て一日しか経っていないというのに、大地は現実が遥か昔のことのように思え、記憶が溶けていくような感覚に襲われていた。

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