第18話 小嶌神楽⑤

 美雨を先頭にして、彼らが小嶌の浜辺まで来ると、若衆たちが互いに声を掛け合いながら、地引き網漁をしていた。

 漁師たちに混じって、友人たちの姿を確認すると、美雨は嬉しそうに微笑む。

 着物の裾を捲り、地引き網漁を楽しむ大地と樹。そして、浜辺に座りそんな彼らをつまらなさそうに遠巻きで見る由依。

 陽翔と穂香は、地引き網漁の後ろの方で遠慮がちに参加しているようだった。

 穂香は視線の端にこちらに向かって、歩いて来る人影が見えたような気がして、振り返る。そこには、綺麗な着物を着て、硝子のように光る飴細工を持った美雨が立っていた。

 穂香は嬉しそうに微笑むと、手を振りながら親友の名前を呼ぶ。


「美雨!」

「穂香ちゃん! みんな、無事で良かった」


 美雨の声に、思わず全員が振り返った。

 離れ離れになった親友が無事でいてくれたことに安堵し、再会を喜ぶ穂香と由依は、美雨の元へと走り寄ると強く抱きしめる。

 樹や大地も、周囲の島民たちに断りを入れて漁から離脱すると、陽翔と共に急ぎ足で美雨の元へと向かった。

 美雨は、勝己の姿が見えないことを気づく余裕もなく、ともかく友人たちに再会できたことが嬉しくて、思わず涙ぐんでしまう。


「美雨、本当に良かったぁ。心配したんだよ。 死んじゃったかと思ったんだから」

「美雨、怪我とか大丈夫そ? やだ、めっちゃ可愛い着物着てるねぇ」

「美雨ちゃん、本当に怪我がなくて良かったよ。ちゃんと手当してもらえたの?」


 穂香はぎゅうっと美雨を抱きしめて、怪我もなく無事で居てくれたことに喜んでいた。

 由依は、相変わらずで、美雨の安否確認を軽くすませると、上質な着物や飴細工の方に興味が湧いたようだ。

 樹も、穂香と同様に心配した様子で美雨を気遣っているようだったが、大地は妙によそよそしく、気まずそうな表情を浮かべている。

 まさか、昨晩の嵐の夜に他の女性と関係を持ってしまったとは言えないだろう。大地は、美雨にそのことを知られてしまっては自分の印象が悪くなると思い、穂香に口止めを頼んだのだが、気が気ではないようだった。


「も、望月さん大丈夫だった? 気絶していたし、地主さんの屋敷に連れて行かれたから、だいぶ、怪我とかやべぇのかなって」

「うん、みんなありがとう。私怪我もしてないし、体の方は大丈夫だよ。あの時悪樓さんに助けて貰って食事もさせて貰ったし。この飴細工も、ここに向かう途中にある坂の駄菓子さんに寄って買って貰ったの」


 それまで美雨を案じる言葉もなく黙っていた陽翔が、悪樓の名前を聞いた瞬間ピクリと眉を釣り上げた。美雨が会話の途中で、ほんの少し頬を赤らめたことを、陽翔は見逃さなかったからだ。


「え? 美雨、マジかよ? 初対面の人に買って貰ったのか。そういうのあんまり良くないぞ。ガキじゃねぇんだし。無銭で飲食させて貰ってさらに気を遣わせるの悪いだろ?」

「えっ……。あ、うん。そ、そうだね」


 美雨は、陽翔の言葉に冷や水を浴びせられたような気持ちになった。温かい食事と寝床を無料で用意して貰い、着物まで揃えてくれた。あの飴細工も、美雨が我儘を言って悪樓に買って貰ったようなものだ。

 陽翔の言うことは正しいのかもしれない。

 事実、悪樓の好意に甘えて何から何までお世話になっているのだから。


「何か、問題でも?」

「……っ、悪樓さん」


 言葉に詰まっていると、ふと、背後から冷たい手を肩に置かれる。

 そして感情の起伏のない優しい声で囁かれた。美雨は悪樓の声を聞くと、緊張が溶けたように、彼を見上げた。

 長い黒髪を靡かせた悪樓は、太陽の下でも青白く、水妖のように艶かしく美しい。けれど、光の届かない海の底を覗き込むような、底しれない恐ろしさがある。

 美雨以外の人間にとって悪樓は、空気が張り詰めるように厳かで、どこか威圧的な雰囲気がある。特に陽翔は、背の高い悪樓に威圧されつつも彼から視線をそらせずにいた。

 

「どうやら『来訪祭』は上手くいったようだな」

「そうなの? 楽しい歓迎会だったのかな」

「嗚呼。マレビトたちは村人達の歓迎に満足したらしい。そんなに美雨の持つ飴細工が気になるのなら、私がお前たちの分も買ってやろう」


 悪樓は着物の裾に手を入れ、意味深に微笑むと挑発的に言う。

 一瞬、硬直して気まずそうな顔をする穂香や樹だったが、陽翔は全く動じる様子もなく、由依にいたっては悪樓に臆することなく目を輝かせていたので、美雨はこの微妙な空気は、気のせいかもしれないと考え直した。


「やだぁ、いいんですかぁ。可愛い飴細工、私も欲しいなぁ。ねぇ穂香も欲しいよね!」

「え? ちょっと、由依っ……さすがに私たちは駄目だってば。ご迷惑だよ」


 気まずい空気を破るように、由依は声のトーンを変えて、悪樓の側まで接近すると、チャームポイントの大きな目で、媚びるように悪樓を見上げた。

 まるでもう樹のことなど、目に入っていないかのような素振りだ。馴れ馴れしい彼女を穂香は窘めるように由依を制した。どういう訳か穂香は本能的に、我儘や願いは美雨だけに許された特権なのだと感じていた。

 悪樓は、無感情に由依を見下ろしていたが、美雨の視線に気づくとやんわりと微笑む。


「悪樓さん、あの、私だけ買って貰うのは申し訳なくて、良いでしょうか? お金は持ってないから、私が何か……。あの、お皿洗いとかします」

「貴女が望むなら、もちろん構わない。皿洗いは八重と妙子の仕事だ。貴女は何もしなくて良い。どうしてもと、言うならば私が考えておこう」

「はい」 


 悪樓が笑いながらそう言うと、美雨は頷き、ペコリと頭を下げた。


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