第17話 小嶌神楽④

 それから美雨は、真秀場の村人たちが使う寄り合い場所や、神楽が行われる神社、また唯一の診療所などに案内された。ここには、医者の他に産婆もいるのだという。

 悪樓に連れられ島を歩いていると、すれ違いざまに、農作業に向かう島民たちに深々と頭を下げられ、なんだか気恥ずかしくなった。

 悪樓の話によると、漁業以外には陸地で米などの農作物を育て、自給自足の生活を行っているようだった。

 瓦の家に木の電柱、着物で行き交う人々は物珍しく、昭和初期のドラマから出てきたかのような印象を受ける。

 都会のような楽しい娯楽はないが、ここには定期的に交流を目的とした行事や宴会があり、老若男女混じった将棋大会などもあるそうだ。

 石蹴りをしていた子供たちが、ペコリと悪樓と美雨に頭を下げると、楽しそうにはしゃぎながら、田舎道にある駄菓子屋まで走って行く。

 その様子を微笑ましく思い、彼らの背中を視線で追っていると、その先に平屋の駄菓子屋が見えた。子供たちの目的は、玩具とお菓子のようだ。

 そこには若い男性の売り子が店番として座っていて、子供たちに水飴やせんべいを売っている。


「あの男は、足が悪くて畑に出られないが、手先が器用でな。飴細工を生業なりわいとしている。どうやら私の嫁御寮は、飴に興味があるようだから」

「あっ……、そういえば妙子ちゃんが小さい頃に、悪樓さんにお駄賃を貰ったっていうお話を聞いたんです」

「お駄賃?」

「はい、水飴を買って貰ったと聞きました。大きな悪樓さんが、小さな子に水飴を買ってあげるのを想像したら、なんだか可愛くて。私、水飴って食べたことないんです。美味しいですか?」

「そうだな。女子供は好きなようだ。果実とは異なる甘さが良いのだろう」


 その光景を想像して、くすくすと笑う美雨を見下ろすと、悪樓は目を細める。

 悪樓がそっと手を差し出すと、美雨はそれが当たり前のように自然と指を絡めた。

 こんなところを穂香たちに見られたらどう言い訳しよう、そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐに消え、悪樓の指先の温もりに甘えてしまう。

 悪樓と出会ったばかりなのに、それがとても自然なような気がして、美雨ははにかんだ。手を繋ぎながら、飴細工を作る店番の青年の前まで来ると、驚いた様子で彼が立ち上がり、二人に深々と頭を下げた。


「悪樓様、まさか立ち寄って下さるとは夢にも思わず……! 美雨様もお越し頂きありがとうございます。今お茶をっ……母さん!」

「座ったままで構わん。今日は水飴を買いに来ただけだ。私の嫁御寮は食べたことがないというのでな。どうせならば、この飴細工も買おう」


 慌てふためく青年を制して、悪樓は言うと美雨を見下ろした。

 美雨は、目を輝かせて頷き、飾られていた金魚や猫、柴犬、蛙や鶴などの飴細工を眺めていた。美雨は、今まで飴細工のような繊細で文化的に価値のある技術を、間近で見たことがなかった。そのせいか、惹きつけられるように細部まで眺めてしまう。


「あ、あの……できれば作ってるところを見せて貰っても良いですか?」

「もちろん、構いませんよ。美雨様、なにを作りましょうか」


 美雨は少し考えたのち、金魚を作って貰うことにした。

 他の動物たちも可愛らしく、どれを選ぶか悩んだが、美雨はやはり水中を自由に泳げる魚に心を惹かれる。

 青年が透明な飴を掴むと適度な大きさに切り、それを丸めて伸ばすと、和ハサミを使い、ヒレや鱗を素早く作っていく。

 彼の手さばきは無駄がなく、まるで魔法使いのように鮮やかだった。

 そして、透明な体に朱を入れると可愛らしい金魚ができあがる。それを差し出され、美雨はまるで幼い子供のように目を輝かせた。


「可愛い! 食べるのが凄くもったいないなぁ。ふふっ、飾っておきたいくらいですね」

「美雨は、笑顔が一番良い。どの表情も愛しく思うが、笑顔は格別に良いな。貴女が無邪気にころころと表情を変えるのは、私の前だからか? ならば嬉しく思うのだが」


 また悪樓が、悪びれもなく美雨を口説くと、彼女は火が付いたように真っ赤になって、彼を見上げた。そして不意に悪樓が美雨の髪を指先で耳にかけると、鼓動が激しくなって倒れてしまいそうだ。

 確かに、彼の前では仲の良い女友だちと一緒にいる時のように、自然に振る舞えた。

 異性に、髪を触られるのは嫌だと美雨だが、冷たい悪樓の指先に触れられると、心地が良い。


(なんだろう、私……ほんとに変だよ)


 彼の端正な顔を直視できずに、美雨は動揺を隠すと、白々しく水飴を指差す。


「あ、悪樓さんっ、悪樓さんも水飴を食べませんかっ! 妙子ちゃんが一緒に食べたらって言ってくれて」

「私には甘すぎる。妙子と一緒に食べると良い」

「えっ、悪樓さんは甘いものが苦手なんですね。悪樓さんの弱点が分かりました!」

「私の弱点は、貴女だよ」


 悪樓は苦笑すると、水飴を二本買った。

 店主の青年に礼を言い、二人は再び古い日本家屋が立ち並ぶ田舎道を歩く。

 美雨は、今になって行き交う若い村人たちが、垢抜けた美男美女が多いことに驚いていた。全員が悪樓に対して恭しく頭を下げ、隣で歩いている美雨に対しても、まるでお姫様のような扱いをしてくる。

 風車を持った幼児でさえ、美雨と悪樓を見るなり、可愛くペコリと頭を下げるのだ。

 網元ともなると、殿様のような扱いになるのだろうか。


「嫁御寮は、地引き網漁を見たことがあるか? 外界そとでも、昔からある漁のやり方ではあるだろうが、貴女の生まれは武蔵むさしだろう」

「武蔵……、えっと……確か、東京方面のことですよね? 悪樓さんって時々、凄く古風な言い方しますよね。地引き網って、名前だけは知ってはいるんですけど、見たことはないです」


 悪樓は、フッと口元に笑みを浮かべると潮風に黒髪を靡かせた。そして遠くの浜を見るようにして言う。


「それでは見に行こう。貴女の友人も集まっているようだから」

「えっ、皆もあそこにいるんですか?」


 久しぶり、と言っても彼らに会うのは一日ぶりなのだが、お互い海難事故に巻き込まれて九死に一生を得た。怪我もなく無事に再会を果たしたら、積もる話も沢山あるだろう。

 美雨が目を輝かせて彼を見上げると、悪樓は柔らかく微笑み、そして釘を刺すように言った。


「友と話をするといい。だが、前にも言った通り、私と夫婦になるまでは、夢の逢瀬のことは口にしてはならぬぞ」


 まるで、悪樓の禁忌は神様との約束のようだな、とぼんやり美雨は思った。


(夢の中の姿が本当の彼で、嫁ぐ人以外が見たり話したりしたら、駄目なのかな。なんて、アニメの見過ぎかな?)


 ともかく、悪樓の真剣な眼差しに美雨はあの夢がとても神聖なもので、特別なのだと感じて、秘密を閉じ込めるように頷く。

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