第21話 十三夜の下で①

 ――――小嶌神社。


 そこには多くの島民たちで賑わっていた。

 五穀豊穣と、この島に棲む神への感謝を表した郷土芸能は、島民にとって、数少ない楽しみの一つだろう。

 数は少ないものの夜店なども出ている。定番の焼そばや輪投げの他に、団子や飴屋、天ぷら蕎麦など都会では見ないものもある。さらに、石に水をかけ火を点ける古いカーバイトランプなど美雨は見たことがなかった。

 ランプの灯りと独特な香り、神社の松明や子供たちの声、カランカランという下駄の歩く音に、美雨は興奮して、目を輝かせている。

 まるで別の時代の縁日のようだ。


「フランクフルトとかねぇのかなぁ。あ、でも焼そば美味そう! 天ぷらもいいな」

「天ぷら美味しそうだよね。僕はこれにしよう。久しぶりに輪投げもしたい」

「腹ごしらえをしたらこの島の神楽をよく見たいなぁ。とても興味があるよ。それにしても本当に、タイムスリップしたみたいだ。カメラ持ってくれば良かったなぁ」


 美雨は大地と樹、そして勝己と行動を共にしていた。屋台ではしゃぐ彼らを微笑ましく思いながら見守る。

 潮風が心地よく、昼間の暑さも嘘のようで過ごしやすい。穂香と陽翔はいつの間にかいなくなり、由依も少し周りを見てくると言って、その場から離れてしまった。

 ふと、美雨が何気なく空を見上げると十三夜月が輝いていた。もうすぐ、月が満ちる。


(――――悪樓さん、もうここに来てるのかな)


 美雨はぼんやりと、彼のことを思った。すると微かに境内から軽快なお囃子の音が聞こえる。もう、神楽が始まったのだろうか。

 そちらの方に視線を向け、人混みを見ていると悪樓の後ろ姿が見えたような気がして、無意識に美雨は、大地たちに断りも入れず、一人誘われるように歩いて行った。

 人混みはやがて、参道から境内に向けて流れ込み、美雨もその流れに乗り悪樓の着物と長い黒髪を追って歩いた。足の長い悪樓は歩幅も大きく、慣れない下駄ではどんどん彼との距離が開いていく。島民たちの楽しげな会話に、悪樓を呼び止める美雨の声も、掻き消されてしまった。

 キョロキョロと彼の姿を探していると、彼が脇道にそれて林道に入って行くのが見えて、美雨も人の波から逃れるように、脇道へと向かう。

 錯覚だろうか、月の光に輝く悪樓の髪は魚の鱗のように銀色に変わり、毛先が炎のように紅く染まっている。いつの間にか、夜光虫のような青い松明が道を照らし、まるで異界に迷い込んだような奇妙な感覚に囚われて、名前を呼ぶことを躊躇した。

 

(どこに行くのかな。もしかして、人が多いから抜け道を使ってるのかな。でも、あの人本当に悪樓さんなの。まるで夢の中の――)


 木々の合間に、月光と松明に彩られた古式ゆかしい舞台が見える。歓声と笛の音に気をとられて見ると、鮮やかな着物と烏帽子姿の青年が笛と軽快な太鼓に合わせて、飛び上がり、くるりと舞っている。

 よそ見をしてしまったせいか、慣れない道を歩いたせいか、木の根につまづき美雨は小さく悲鳴を上げた。


「きゃっ……!」


 そのまま地面に倒れるかと思って反射的に目を瞑ると、ふわりと体を受け止められる。驚いて顔を上げると、どうやら悪樓が自分を抱きとめてくれていたようだ。彼は、自分が後をつけていたことに気付いていたのだろうか。それにしても、どうやってあの距離からここまで移動してきたのだろう。

 けれど、今は後をつけていたこと悪趣味だと思われる方が、怖いと美雨は思ってしまった。


「あ、悪樓さんっ……あ、ありがとうございます」

「美雨、怪我はないか? 本当に私の嫁御寮は目が離せぬな。しかし、私を追ってこの道を来るとは。美雨にだけ許された特権だ」

「え……、こ、ここ入っちゃいけない場所でした? あの、私、悪樓さんの姿が見えてつい嬉しくなって。後を追いかけちゃったんです」


 あの不思議な色に見えた髪も錯覚だったのか、普段と変わりない。柔らかく微笑む悪樓を見上げた美雨は、恥ずかしくなって赤面する。

 もしかすると、この道は神社の関係者以外は立ち入り禁止の場所で、神聖な場所に踏み入ってしまったのかもしれないと思うと、美雨は冷汗をかいた。

 よくよく見ると、悪樓の格好は朝方見た黒の着物ではなく、白と墨色の紋付袴の正装姿で、神聖な感じがする。

 彼にも何か、この祭りで役割があるのではないだろうか。


「嗚呼、本当に貴女は愛らしいことを言うな、美雨。別に構わぬ、貴女と共に小嶌神楽を観ようと思っていたから。私が貴女に怒ることなどあり得ない」

「良かった」


 ごく自然に悪樓の手が伸びてきて、頬を撫でると屈み込んだ悪樓のキスを受け入れた。笛と、ドンドンという太鼓の音がして、軽く愛でるようなキスでゆっくりと離れると、なんだか名残惜しくて頬が火照る。

 いつの間にかぎゅっと、彼の服を握っていた。もう、怒る気にもなれないくらい悪樓のキスが当たり前になりそうだ。

 話を変えるように、美雨は木の間から見える神楽を見ると言う。


「あ、あれが小嶌神楽ですか? 神楽を見たの初めてで、動きも激しくて凄い格好いいです」

「あれは小嶌神楽の前座だ。巫女舞と穴渡神舞と続く。最後の舞いには席につかねばならないが、このような美しい月下で貴女に会うと、まるで逢瀬のような気になってしまう」


 淡々としている悪樓の声が、艶かな色を増すと、美雨の薄桃色の唇に指が触れ優しく、艶めかしく撫でると、抱きしめた。

 悪樓の温もりを感じると、美雨は彼の背中に腕を伸ばして、ぎゅっと服を掴む。


(温かい……悪樓さんに抱きしめるられると安心しちゃうな)

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