第15話 小嶌神楽②

 美雨は、三面鏡の鏡の前で少女に髪を梳かれていた。彼女は妙子たえこと言い、十四歳になる。八重というあの老婆の孫で、祖母と同じように巫女服を着ていた。

 このお屋敷に仕える者は巫女服を着るのが決まりになっているのか。着物も、彼女に着付けを手伝って貰った。

 妙子から、この屋敷には美雨のために格式高い着物が各種用意してあると告げられ、美雨は、その中から夏らしく鮮やかで、カジュアルな華の小紋こもんを選んだ。

 これも上質で、肌触りからも高価なものだと思う。おまけに可愛らしい華の髪飾りまで用意して貰い、美雨はまるで自分が、昔のご令嬢にでもなったかのように、気分が高揚こうようする。

 人見知りなのか、妙子は美雨の支度を手伝っている間、ずっと緊張した様子だった。美雨と、鏡越しに言葉を交わすうちに、その年頃の少女らしい笑顔を浮かべるようになって、美雨は安心した。


「はい。代々このお屋敷で仕えております。悪樓様は礼節には厳しいですが、お優しいですよ。子供の頃は良く水飴をお駄賃だちんに頂きました」

「そうなんだ……ふふっ。私食べたことがないけれど、水飴って美味しいの?」

「ええ。私は今でも好きです。美雨様も一度、悪樓様と一緒にお召し上がり下さいませ。さぁ、行きましょう」


 小さい子供に、水飴を手渡す長身の悪樓を思い浮かべると、なんだか微笑ましい気持ちになった。そして、彼と一緒に水飴を食べる様子を頭に思い浮かべると、楽しい気持ちになった。

 昨晩は眠りにつくまで、沢山の話をしたが、飽きることもなく楽しかった。

 今日は、悪樓にこの島のことを教えて貰い、友人たちに逢って、彼と『小嶌神楽』という島の五穀豊穣ごこくほうじょうの祈願行事を見ることになっている。

 

(これ、デートだよね。うん、デートだ)


 それを意識した瞬間、なおさら恥ずかしくなってしまう。男性を避けてきた人生だったので、陽翔以外に、二人きりになって遊びに出かけるのは、生まれて初めてのこと。

 妙子に促され、長い廊下を歩いて土間を抜けると、開け放たれた玄関先に悪樓が立っている。腕を組んで、美雨を待っているその姿に彼女は息を呑んだ。


(悪樓さん、綺麗だな)


 晴天の空を見上げる悪樓の横顔は、現実離れしていて美しい。陽光の下で見た長い黒髪は、まるでキラキラ光る、魚の背ビレのように見える。

 例えば、人間ではない異世界の大きくて美しい種族いきものを目の当たりにしているような不思議な感覚。

 その姿に見惚れて硬直していると、視線に気付いたように美雨を見て、優しく微笑んだ。


嗚呼ああ、貴女に良く似合っている。さぁ、おいで美雨」

「は、はい。悪樓さんおはようございます! ありがとうございます、今日はその、あんな高価な着物を、たくさん用意して貰って、あの」

「先刻も、挨拶をしたが……ふふ。好きなものを着ると良い。貴女の着ていた服も洗って置いてあるよ」


 手招きされると、美雨は慣れない草履を履き彼の元へと向かう。さっき朝食を共にしたというのに、緊張のあまり、もう一度挨拶をしてしまった美雨を見て、悪樓は思わずくすりと笑う。

 美雨は穂香が選んでくれた、お気に入りのワンピースを、捨てずに洗って置いてくれていることも嬉しかった。

 隣に寄り添うようにして歩き始めると、八重と妙子が深く頭を垂れ『行ってらっしゃいまし』と見送ってくれた。美雨は、二人にペコリと頭を下げると、悪樓を見上げる。

 

「悪樓さん、あの、今夜から『水底から君に愛をこめて花束を』読み進めようと思います。パラパラ冒頭ぼうとうをめくってたんですけど、吉備の穴海あなうみってあって、吉備って……きびだんごだから岡山です……よね?」

「―――今ではそう呼ぶようだな。ぜひ、感想を聞かせて貰いたいものだ。きっとあの男も常世あのよで喜ぶだろう。さて」


 ふと美雨は立ち止まると、この屋敷が島の高台にあり、ちょうど村を見下ろせる形で建っていることに気付いた。

 まるで神社のように続く石の階段を見下ろすと、不意に悪樓に軽々と抱き上げられた。


「ひぁっ!? あ、あのっ」

「私の嫁御寮は怖がりだからな。抱いて降りてやろう。遠慮することはない」

「えっえっ、大丈夫ですっ! 一人で降りられますっ、あ、あまりにも恥ずかしすぎて。それに重いですよっ」

「草履に慣れておらぬだろう? 貴女が怪我をしては困る。重い? いや、美雨は羽のように軽いな」


 美雨は赤面しながら悪樓の首に抱きつくと、涼しい顔をして、階段を降り始めた彼を見つめる。本当に重さを感じていない様子だったが、美雨は、口から心臓が飛び出そうなくらい羞恥心で赤面すると、借りてきた猫のように大人しくなった。


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